第42話 父公認
オレは迂闊にも、敵地の真っ只中でダウンしてしまった。まさに絶体絶命。かつてないピンチに見舞われる……かと思いきや、意外にも容易に脱出できた。
まずクロエはオレを背負って歩き始めた。そのまま次の部屋まで行けば、今度はヤミールがセルシオを背に担いでいる最中だった。ずんぐり育った巨体を、細腕が軽々と背負う光景は、まさに異様としか言えなかった。
それからは一直線に厩(うまや)を目指して辿り着くと、セルシオの馬に加え、さらにもう一頭を拝借して逃走に成功した。その間セルシオは終始気絶。オレも似たようなもので、クロエにされるがまま。
「頼りなくてすんません」
思わず生の声が漏れたりする。
「えっ? 何か言いました?」
「いや、うん。独り言」
「すみません。馬のひづめで聞き取りにくくって」
そんなやり取りを挟みつつ、人里離れた森に逃げ込んだ。潜むこと半日。そうしてようやく気力を取り戻したオレは、クロエたち一行とともに、当然馬も忘れず仲間に加えてマンションへと帰還した。
これで一件落着……とまではいかないのが世の中の難しいところだった。
「なかなかマズイ事になりましたな」
オレの部屋ではしかめっ面ばかりが並んでいる。セルシオを筆頭にしたクロエ一家と、村長のアダモンを交えて善後策を話し合っているんだが、雲行きは怪しい。ちなみに壁をカサカサとうろつくシャーリィについては触れないようにした。
「セルシオ殿。あなた方は厄介な人物に目をつけられたものですな」
「悪い予感はしておりました。良くない噂も耳にしていたのですが」
「確かに噂とは大げさに広まるものです。しかしながら、あの人物に限っては十中八九が真実でしょう」
アダモンの言葉にセルシオの顔が曇る。塩を届けた先の伯爵とは、そこまでヤベェやつなのか。
「あの貴族様は久々の大口だったのです。あまり評判の良くない事は知っていましたが、正直なところ報酬に目がくらみました」
「いつもの手口ですよ。美しい娘の噂をかき集めては、呼び寄せるなり捕らえてしまう。奴隷館にも頻繁に人を出しておりましたので、根っからの女好きといった所でしょうな」
「悔やんでも遅すぎますが、後悔の念が苛みます。やはり上手い話には裏があるようで」
2人の溜め息が交錯する。その重みが今ひとつ理解できないオレは、とりあえず口を挟んでみた。
「なぁ、そんなヤツはぶっ飛ばされて当然じゃないか。そいつをやっつけたオレ達が、どうして悩まなくちゃいけないんだ」
「それは曲がりなりにも、あの伯爵が王より任命された存在だからです。領主への反抗は反乱と同義。すぐにでも厳しい捜査が始まり、犯人を執拗に追い回す事でしょう」
「あんなに悪いヤツなのに? 人さらいとか平気でやらかす男だぞ」
「因果関係や善悪はそれほど問われません。公職にある人物が、ましてや広大な領土を授かる者が襲撃されたという事実だけが、問題視されるでしょう」
「でもオレ達の身元は割れてない。ここはクロエ達の故郷からも離れてる。簡単には見つからないだろうさ」
「難しいでしょう。目撃者を全員始末した、というのなら話は別ですが」
兵士たちの生き死にを確認する余裕なんて無かったし、するつもりも無かった。だが少なくとも、メイドさんはオレ達の顔を覚えていそうだった。
「そんな過激な事はやってない」
「ではいずれ人相書きが出回るようになります。それにセルシオ一家のお名前も添えた形で」
「おかしいだろ、こっちは被害者だぞ。正当防衛だ。それなのに犯罪者扱いされちまうのか!」
「はい、私もおかしいと思います。ですがその誤りが通ってしまう国であり、それを何十年と続けて参ったのです」
全員が押し黙る。これがこの世界の理不尽だ。どんな正論を並べようとも、様々な力でねじ伏せようとする体制。歪な支配に民衆が苦しめられるのは、異世界でも変わらないらしい。
「すみません、シンペイ様。私のせいで……」
クロエが顔を俯かせて言う。握り拳が裾をギュッと掴んだ。
「何を言うんだ。君が謝るような事は何も起きてない」
「私さえいなければ、シンペイ様は騎士様と争わずに済みました」
「クロエ。オレはな、君と出会えた事を人生最大の幸福だと思っているし、その気持ちはこの先も変わらない。君が傍で笑っていてくれたら、それだけで十分だ」
「シンペイ様……」
「騎士団がなんだ。そんな連中が100億人押し寄せて来ようとも、オレが全員ぶっ飛ばしてやる。たとえ世界中の人間を全て敵に回したとしても、君だけは必ず守り通してみせるさ」
「……すみません、100オクって何ですか?」
しまった、クロエは基礎教育を受けていないんだ。
「数え切れない程たくさんって事さ」
「そうなんですね。教えてくださってありがとうございます!」
その時、聞えよがしの咳払いが鳴る。突き刺さるような視線を辿れば、ヤミールの呆れ顔があった。
「アナタ達ねぇ。仲が良いのは結構だけども、話を本筋に戻しましょう」
「いや、うん。悪かったよ。続けよう」
「ともかくセルシオ殿のご一家は外出を控えてください。誰かの目に触れれば厄介です」
「アダモンさん。そりゃあんまりだろ。せっかく窮地から脱したのに散歩もロクにできねぇってのか」
「辛抱ください、としか申し上げられません」
「……納得いかねぇぞ、オレは」
振り返れば、奴隷制度の辺りから既に腹立たしかった。貴族連中には連中なりの言い分があるのかもしれないが、贔屓目に見ても強権的すぎる。少なくとも、クロエを毒牙にかけたヤツだけは許せる気がしない。
「まぁまぁ。今はともかく、身近な対応から始めませんか」
「何の話だ?」
「セルシオ殿のご一家を村に匿うのでしょう。でしたら当座の住居が必要になります」
「ああ、確かにその通りだ」
アダモンが言うのももっともだ。生活基盤は何よりも重要だ。オレは心理的に振り上げた拳を下ろし、話し合いの場を村の方へ移すことにした。
リビングを後にして、ごく普通に玄関から出ようとしたところ、背後から人影が迫ってきた。いや何のことはない。シャーリィが背中に飛びついただけの話だ。
「随分と懐かれているんですね」
そう言ってクロエは微笑んだ。クロエに嫉妬されないのは助かるが、暑苦しさを感じてはいる。
「シャーリィ。オレの背中から離れてくれないか」
「それは出来ない相談なのです。今は昆虫ごっこの最中ですから。ミンミンミーン!」
「セミの真似かよ。季節はずれも良いとこだな」
「どうですシンペイ様。冬でもこうして真夏の気分が味わえますよ」
「いや、別に望んでないし」
「クロエさんに同じ事ができますか? シャーリィには簡単にできちゃうのです」
「だから、望んでないってば」
移動中にそんなやり取りはあったものの、特に支障は無かった。まずは村の中を案内し、ひとしきり紹介を終えると住居の案内になった。だがそこで問題が起こる。
「一家で住むには少し手狭じゃないか」
アダモンが連れてきた家は4畳半程度のスペースしかない。家具が一切無い状態でこの有様だ。何か置いただけでもすぐに混み合ってしまうだろう。
「申し訳ありません。空き家はここだけでございまして」
「そっか。だとしたら手段はひとつだけだろうな」
大きめの家を建てよう。その為には木を切り倒して資材を集めなくちゃ。そんなことを思い浮かべながら、何の気なしに視線を巡らせてみたら、セルシオと眼が合った。オレは反射的に見てしまっただけなんだが、彼はそう考えはしなかったらしい。妙に意味深な唸り声をあげ、強く頷いたのだ。
「想定より早く時は来たようです。魔術師様、クロエをあなた様の部屋に住まわせてはいただけませんか」
「ちょっと待て、急に何を言い出すんだ」
いきなり同棲の要請とか、どんな心境だ。いや嬉しいけど、両手を挙げて歓迎したいけども、話が飛躍しすぎている。
「この家には私とヤミールがお借りしようかと思います。クロエはぜひアナタ様のもとへ」
「いや、オレは構わないんだが、父親としてそれで良いのか?」
「騎士団の捜索から逃れるには、あちらの方が良いと思えますし、それに……」
「それに?」
「魔獣がうろつき、理不尽がまかりとおる世の中です。いつ恐ろしい目に遭うか分かりません。ですので、シンペイ様に委ねるのが最上だと確信しています。それとも、うちの娘では物足りぬでしょうか」
「そんなことはない! それだけは天地が裂けたって有り得んぞ!」
「では宜しくお願い申し上げます」
なんて事だろう。お父さん公認の同棲生活が始まるだなんて全く想定していなかった。そもそもクロエはどうなんだろう。嫌がられるとは思わないが、本人の気持ちを聞く前に決める訳にはいかない。
「良いこと、クロエ。その時が来たらシンペイさんに全部委ねちゃいなさい。その後は流れでどうにかなるから」
「う、うん。分かったよお姉ちゃん」
そのクロエはヤミールと何やら会話を重ねているが、横から話しかけにくい雰囲気だった。だが拒絶するような感じはない。これはオッケーという事で良いのか。
またいつぞやのように、クロエと一緒に居られる。そう思うと、全身の血流が胸を目掛けて押し寄せてくるようになる。クロエが傍に居る暮らし。軽く想像を浮かべただけで心は甘美に染まり、控えめに言っても、気絶しそうなほど嬉しかった。
「ズルいですよぉ。シャーリィも混ぜてくださぃぃ」
背中の少女が怨念を満載したトーンでつぶやく。そうだ、今はこの子が居る。オレの生活は転生当初とは大きく変化しているんだ。何もかもがあの時のようにとはいかなかった。
それでも嬉しいものは嬉しい。オレは季節外れのセミの鳴き声を至近距離で聞きながら、クロエの準備が終わるのを待ち続けた。
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