第39話 再会は微笑みと共に
王宮に泊まる機会が巡ってくるだなんて、これまで考えもしなかった。しかし別に緊張もせずグッスリと就寝。きっと貸し与えられた部屋が6畳程度という馴染みきった広さであり、シングルベッドもやたらと硬く、小市民を威圧しない待遇だったからだろう。
朝食も出たので、城勤めの人たちと肩を並べて食べる事にした。黒糖風味のパンと野菜スープという質素な献立だが、同席する人たちが気の良い連中だったので、終始明るい雰囲気で朝餉(あさげ)は終わった。
「さてと。食った後は仕事しなきゃ」
さっそく倉庫で石柱と向かい合う。素材を残り2本にまで減らしており、これ以上失敗を重ねる訳にはいかなかった。メイドさんも在庫はないと肩を落とす。
だからまずは精神統一。胡座(あぐら)をかき、何かそれっぽい気分に落ち着くまで瞑想だ。効くかは知らん。
「それでも、無闇に失敗するよかマシだからな……」
瞳の裏に映るのは、絵画や石像でしか知らない女性だ。最初はボンヤリと浮かんだ姿も、いつしか表情が鮮明になっていく。それから髪の先、腕や手の形、足の先までが克明に見えるようになる。そして腰回り。これだという曲線美を描いた瞬間、すかさず叫び声をあげた。
「モールディング!」
光の輪っかが柱を通って降りていく。頭から始まり、肩や胸が造られ、そして肝心の腰。成功だ、イメージ通りの角度が出せている。その後も足の先まで抜かりない。
「どうよコレ。大成功じゃないか?」
後ろのメイドに話を振る。彼女も何かを感じたのか、前のめりになって石像を注視した。
「おお。これは凄い力作ですね」
「マジか。だったら公爵さんに持っていっても良いよな?」
「うぅん。その前にメイド長に見せても良いですか? 若かりし頃は奥様に付きっきりだったそうで」
「なるほどね。そんな人の意見なら聞いておきたい」
「ちょっと呼んできますね」
メイドさんが慌ただしく飛び出していく。それから戻ってきた時には、両手でお婆さんを抱っこしていた。だいぶ高齢だ。下手すると公爵さんより年上かもしれない。
「メイド長、どうでしょう。この石像は奥様なんですって」
「はぇぇ。そうかい、そうかい」
「公爵閣下への捧げ物なんですよ。このままお出しして良いか、見てもらえますか?」
「そうかぇ、そうかぇ」
メイド長は緩やかに床へ降りると、チマッとした歩幅で歩き、やがて像の前に立った。眺める顔のシワが何度か揺れ動く。それを見る度に微かな緊張が駆け巡る。
「確かに、よう出来とる。アーネット様にソックリだなぁ」
「そんじゃあ、これは完璧な作品って事で……」
「でも公爵閣下は、お気に召されんだろうねぇ」
「ええ!? どうして?」
そんな事を言われても困る。姿形はもちろん、表情や仕草まで肖像画やら彫像に合わせたのだ。特に毛先の微妙なクセまでも再現しているのだから、これ以上似せようがない。
「なぁメイド長さんよ。どこがダメか、具体的に教えてくんないか?」
「魂だよ魂。心の部分が違うんだべ」
「魂って言われてもな……」
「この像、笑っちゃあいるけど空っぽなんだわ。だから眺めててもなぁんも感じねぇ。閣下は敏感なお方だからよ、すぐ見抜かれっぺよ」
「そうか。ありがとう、参考になったよ」
それからすぐ、メイド長は部屋を後にした。中に残されたのは倦怠感と無力感だ。ここまでやってもダメだとしたら、もはや打つ手は無い。やはり安請け合いは厳禁だと、今更ながらに後悔した。
「魔術師様。気晴らしに散歩でもしませんか?」
メイドさんが気を遣ってくれた。確かに塞ぎ込んでるよりは、出歩いた方がマシだ。倉庫を出て、回廊を少し行くと裏口に着いた。そこを通り抜ければ外になり、開けた空が出迎えてくれる。
「良い天気ですね。お日様が気持ちいいですよ」
普通ならここで、空に向かって伸びでもする所だろうが、オレの眼は足元ばかりに向いた。あちこちに転がる石を手にとってはモールディングをかけていく。もうすっかり脳内は彫刻の事で満杯だった。
「どうよこれ。トカゲなんだけど」
小サイズの作品であれば、魔力消費も微々たるものだし時間もいらない。唱えた次の瞬間には、ちょっとした置物に早変わりだ。
「うわぁ、お上手ですね。お店に並べても違和感無いですよ」
「こういうのはちゃんと出来るんだよなぁ」
それからも石を見つけた側から唱えていく。足跡代わりに散らばる細工物。バッタ、ヤモリ、カブトムシ。そこらに量産しては、ただ当て所もなくうろついた。
「問題はなんだろ。やっぱり大きさなのか、それとも人間って題材が難しいのかな」
その時ふと、手頃なサイズの岩を見つけた。割と歪な形だが、人間がスッポリ収まる程度には大きい。練習台としてはうってつけだろう。
「ちょっと別の題材で試してみるか」
「えっ、魔術師様、それは……!」
脳内にイメージしたのは魔法少女。これまで何百、いや何千時間と眺めてきた、あのアニメだった。もちろん細部に至るまで克明に記憶している。浮かび上がるのは最もお気に入りの妖艶なるシーン。激情を胸で焚きつけるなりモールディングを発動させると、想定以上のものが出来上がった。
「おい、これは傑作ってやつじゃねぇか!?」
芝生の上に横たわるヌメリンは途方もなく煽情的だった。服装に一切の乱れがなくても、醸し出される色気は重厚かつ奥深い。視線と指の位置だけでこうも豊かに表現できるものなのか、とても驚かされる。
これにはメイドさんも絶賛するだろう、などと考えていたのだが、それは思い違いでしかなかった。
「あぁーー! 公爵閣下の岩が!」
「へっ? どういう事?」
「これは閣下が遠い所から取り寄せたヤツなんですよ。すっごい高いの」
「言われてみりゃ、ここは庭園か! てっきりただの岩だとばかり」
「噂によると50万ディナしたとか、しないとか……」
「50万!?」
一気に血の気が引いた。向き合う顔も真っ青だ。その結果、オレの足は逃走を選択してしまう。こうして2人が倉庫に逃げ込んだのも、まぁ無理からぬ話というものだ。
それからは再び仕事と向き合った。最後の素材、泣いても笑ってもラストチャンス。だから雑念を払う必要がある。50万もの請求が飛んでこない事を祈りつつ、ともかく石柱と睨み合った。
「まぁあれだ。悔いのない作品を創るしかねぇよな」
両手をかざし、意識を深いところまで落とした。最初に浮かんだのは街の喧騒だ。お祭り騒ぎはあれからも続いたんだろうか。誰もが笑顔で、初対面でもお構いなしに肩を組んで笑いあった。
これは感謝の気持ちか、あるいは労いに近い感覚。そうだ、公爵さんはがむしゃらに働き続けた人だ。良心の呵責(かしゃく)に苦しみ、善政を心がけてもなお、領民達の暮らしを案じている優しき領主。
だから言ってやるべきなんだ。お疲れ様と、もう休んで良いと。だがそれを告げるのはオレじゃない。アーネット夫人、アンタ以外に有り得ないんだ。公爵さんは、アンタを愛してやまない旦那は、まもなく生涯を終えようとしている。その締め括りをどうか豊かなものにしてやってくれ。
(そう、愛なんだよ。愛が必要なんだ)
恋愛に疎いオレが語れるもんじゃない。だから縋(すが)る。クロエという存在に力を求めた。真っすぐで可憐な笑顔、ひたむきな心、文句ひとつ無しに着てくれた変なTシャツ。最後のは要らん。とにかく温もりを。疲れ切った男が休めるだけの温かさを。
「モールディングッ! わっしょいオラァーーッ!」
大量の魔力が吹き飛ぶとともに、室内は真昼以上の明るさに見舞われた。そしてキンという甲高い音が鳴ると輝きは陰り、周囲も元の様子を取り戻した。
「……像は、どうなった?」
そちらの方を見れば、これまでとは一線を画すような仕上がりだった。微笑みを浮かべる顔は生きているとしか思えないほど精巧で、今にも動き出しそうだ。全身を眺めてもおかしな所は無い。それどころか、辺りに漂う光の粒子が美しさに拍車をかけた。これはきっと幻素の輝きだ。まるで七色の粉雪でも舞い散るかのようで、思わず溜め息が溢れてしまう。
だが唯一の致命的な欠点は、そのポーズだろう。直立する姿勢がテーマだったのだが、出来たものは膝を折り曲げて座っているのだ。
「なぁどう思うよ? ちょっと趣旨から外れちまったが、オレはこいつを納品したいんだが」
メイドさんに話を振るも返事は無かった。振り向いてみれば、彼女はただ像の方をジッと見つめるばかりだった。
「キレイ……」
茫然自失というやつか。オレは1度手のひらを大きく鳴らし、彼女を現実に引き戻した。
「なぁ、これを納めて良いと思うか?」
「えっと、ちょっと待ってください。メイド長を連れてきますんで!」
ドアが乱雑に開け放たれ、駆け足の音が遠ざかり、すぐに迫る。戻ってきた時にはあの婆さんを胸に抱いていた。
「今度はどうだ。自信作なんだが」
婆さんは何も言わなかった。ただただ歩を進めて像の前まで近寄ると、おもむろに膝を屈した。
「こりゃ驚いたぁ。アーネット様の生き写しでねぇか。今にも喋りだしそうだわぁ」
「そんじゃ、この作品は……」
「完璧も完璧。すぐに持ってくべきだべ」
「よっしゃぁ! 行ってくる!」
像を脇に抱えて部屋を飛び出した。回廊を駆け抜けて階段を登る。じれったい。窓から直接飛べば良かった。何度も何度も階段の踊り場を回ると、ようやく公爵さんの部屋へと辿り着いた。
「待たせたな、お望みの品はここに……」
開け放った扉からは異質な空気が溢れ出した。さめざめと泣く声、医師の遠い目、そして何よりも強烈な気配。抗いようの無い力が通り過ぎようとする気配。それを見た瞬間、腹の底に重たいものが叩きつけられた。
「御最期にございます」
泣きじゃくる声が大きくなる。それは何の事か。まさか公爵さんの話じゃないだろうな。
「来たか、シンペイ殿。どうやら依頼は達成してくれたようだな」
「ヤハンナ。これは……」
「少しばかり遅かった。閣下はたった今、天に召された」
「そんな……!」
足が自ずと駆け出した。わずか5歩。そこに出来立ての像を置いた。ベッドから良く見える位置だ。
「なぁ公爵さん。死ぬのはもうちっとだけ待ってくれよ。ほら、嫁さんを連れてきてやったぞ!」
横たわる青白い顔は動かない。それこそ、身動ぎのひとつさえ。
「アンタはやたら気を揉んでたよな。大変な人生を送ってきたよな。でも最期くらいは楽しくやろうぜ! 寂しそうな顔してないでさ、笑顔で幕を閉じようじゃねぇか!」
「シンペイ殿。閣下はずっと像を待ち望んでおられた。何度も何度も下女に問いかけては、困らせたりもして……」
その時、ベッドが軋んだ。
「えっ……?」
誰かが小さく声を漏らすなり、今度は絶句した。死んだはずの公爵さんがムクリと身を起こしたのだ。そして自ら布団をどかし、床に降り立った。
「まさか、動かれるとは!?」
医師が眼を見開いて叫んだ。ヤハンナも大差ない反応だ。居並ぶ一同の中で、動けたものは誰も居ない。そんな連中をよそに公爵さんは、ヒタリヒタリと一歩を惜しむように歩き、やがて像の前まで辿り着いた。
「アーネット……」
震える腕が像を包み込み、そして抱きしめた。右手は肩に、左手は腰のくびれにまで届き、そこでシワだらけの手に力が込められた。
次の瞬間、公爵さんはその姿勢のまま、長く大きな溜め息を吐いた。これはただの呼吸じゃない。どこか厳(おごそ)かで、崇高なる何かが飛び去っていった気配がある。
「見事であった、魔術師殿」
掠れきった声は摩擦音に近く、上手く聞き取れなかった。それでも差し出された小袋により、褒められたのだと悟った。
「これを……」
麻の袋が指先からスルリと落ちた。それを宙で掴み取る。温かい、そして、途方もなく重たく感じられた。
「アーネットよ。やはりそなたは美しい。美しいのだ……」
言葉はそこで途切れた。背中に回した手はダラリと落ち、身体も力なく投げ出された。まるで石像に寄りかかるかのように。
それきり室内は哀しみに染まった。メイドだけでなく、ヤハンナまでもが声をあげて泣き喚く。居たたまれなくなり、そっと部屋を後にした。そんなオレを止めようとする者は誰も居なかった。
手にした報酬をふと眺めてみる。その袋はまだ、ほのかな温もりを宿していた。
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