第36話 桃

 桃レスリングとは。その疑問が安らかな眠りを奪い去ってしまう。早めの就寝なんか完全に無意味で、気づけば空は白くなり、太陽が昇り始めていた。


 いやマジで眠れない。それにしても、なんてネーミングしてやがる。


「気になって仕方ねぇな、とりあえず調べてみっか」


 開け広げた窓からはヒンヤリとした風が吹き込んできた。この澄みきった空気。冬は目前なのかもしれない。


「うん? あれはアダモンかな」


 街道を歩く人影に、ベランダから声をかけてみる。顔を持ち上げた男はやっぱり村長で、オレと眼が合うなり会釈を返した。


「これはこれはシンペイ様。随分とお早いのですな」


「村長こそ。今は散歩中か?」


「ええ。私はこんな時間くらいしか出歩けませんので」


「確かに。人目を気にしなきゃいけないってのは窮屈だな」


「それでも騎士団連中に捕まるよりはマシです」


 アダモンが柔らかく微笑んだ。それを見ているうち、ふと思った。彼に聞けば良いのではと。桃レスリングも、シリアンナについても、まとめ役なら知らないハズはない。


「なぁ村長。ちょっと聞いても良いか?」


「えぇどうぞ。なんなりと」


 快諾してくれたので、とりあえずベランダから下に降り立った。だが尋ねるにもどうすべきか。尻レスリングがもしアダルトコンテンツだったら、オレはエッチな人だと誤解されてしまうかもしれない。1度そんなイメージを抱かれてしまえば払拭は困難で、それはクロエとの新生活を脅かす可能性がある。


 問いかけは慎重に、細心の注意を払わねば。


「尻レスリングって何だ? 昨晩は随分と盛り上がってたようだが」


「……それはもしや、桃レスリングでしょうか?」


 ヤバい、いきなりミスった。どうにか取繕え、オレの魂よ。


「そう、それ。オレは昨日用事があって外してて、どんなものか見てなくってさ」


「なるほど。しかしご説明したいのは山々ですが、あれをどう伝えたものか」


「村長も昨晩は参加してたんだよな?」


「とんでもない。私はもうこの歳ですし、肩や腰にガタが来てますから。盛り上がっていたのは、もっぱら若い衆ですよ」


 そう言って笑う村長も、それほど老け込んでいる訳ではない。恐らく40前後。その彼が言うのだから、やはりエロス成分が特濃なイベントなんだろうか。


 更に詳細を尋ねようとしたところ、アダモンは村人に呼ばれてしまい、彼は頭を下げて立ち去っていった。謎は大して解明されず、深まるばかり。むしろ疑惑の色を強める始末だ。


 他にも事情通はいないもんかと、早朝の村を訪れみた。やはり人の姿はまばらだが、全くの無人という訳でもない。


「あれ、シンペイさん。おはよう」


 井戸の側でフレッドに話しかけられた。顔でも洗っていたんだろう、タオルでアゴの先を拭っている最中だ。


「ちょっと調べたいもんがあってな。だからこんな時間にうろついてる」


「そうだったんだ。何を調べてるの?」


「フレッドは桃レスリングを知ってるか」


「ええと、昨日の夜にやってたよね。ボクはシャーリィの介抱をしてたから全然見てないよ」


「気にはならなかった?」


「なんだか楽しげな雰囲気だったけどね、それほどには」


 フレッドが白い歯を見せて笑った。なんて爽やかさだろう。オレが彼くらいの年齢の時は、とにかく生欲が破裂しそうで苦労したというのに、その余裕はどこから来るのか。これがイケメンにのみ許された何かだとしたら、世の中は不公平の塊だと言える。


「シンペイ様、おはようです!」


「おはようシャーリィ。今日も元気いっぱいだな」


 挨拶と同時に背中にしがみついてきたのはシャーリィだった。これは調査を中断するしかない。まさかあどけない少女を背負ったままで、桃だのシリだの話す訳にもいくまい。


 それからしばらくして、村のおばちゃんに声をかけられた。良かったら朝食をと言う。用意してくれたのはサンドウィッチで、挟んだチーズがとろりと零れ落ちそうだ。それをフレッド達と肩を並べて食べる。シンプルな味わいだが、朝には丁度良い品だと思う。チーズの塩加減も眠気覚ましにピッタリだった。


「さてと。どうやって調べたもんかな」


 適当な理由づけでシャーリィ達と離れたオレは、当て所もなくさまよっていた。村の皆も暇をしているようではない。ある者はなけなしの農具を使って土地を耕し、またある者は石や木材で、どうにか作業しようと格闘している。


 誰もが生計を立てようと必死だった。だから聞きづらい、それはもう難易度マックス。こんな空気の中、尻だのケツだの聞けるヤツがいるか。オレにはとても出来ない。


「あれ。シンペイさんじゃない。こんちわー」


 不意に声をかけてきたのは、フルーツ屋のお姉さんだった。この気安さは正直嬉しい。


「オッス。調子はどうよ」


「いい感じね。でも忙しいわ。そろそろ冬が来るから、色々と準備が必要なのよ」


「そうか。最近はグッと冷えるようになったからな」


「明日には鍛冶屋さんが工具を作り始めるんですって。そうすれば細工物が作れるようになるから、冬でも食べていけるかもね」


 真面目だ。真剣だ。ここでは冬の到来は一大事であって、飢えるか生き残れるかの瀬戸際を迎えているのかもしれない。このお姉さんも大きなカゴを抱えており、何かの仕事を請け負っている最中なんだろう。


 やっぱり調査は遠慮しておこうか。村に余裕が出来た頃に、それとなく聞いてみれば良い。ケツレスリングって何ですかと。いや、桃だっけか、尻だっけか。まぁいいか。


 そう思って踵(きびす)を返そうとしたところ、見慣れない女性が現れた。


「ステイシー。洗濯物はどこに置けば良いかしら」


「あらシリアンナ。タライが置いてある小屋に出してくれれば、そのうち誰かがやってくれるわよ」


 ついに現れたシリアンナ。こいつの名前に何度惑わされた事か。不躾に凝視してしまったのも、今度ばかりは許されるだろう。


 歳は恐らく20代半ば。被った頭巾からは、薄紫色の長い髪が伸びている。服は長袖のワンピース、靴も平凡な革製のもの。特に目立った印象の無い女性だった。


「どうしたのシンペイさん。そんなジィーーッと見ちゃってさ」


「いや、この人がやってたんだろ。レスリングだっけ」


「あらあら。そういうのに興味あるの?」


 フルーツ屋のお姉さん、もといステイシーが頬を歪ませながら言った。やはりアダルトコンテンツか。真っ直ぐな瞳で見てもらえない内容なのか。


「あなた、桃レスリングに興味があるの?」


 シリアンナが顔色を変えずに言った。無表情といった方が適切かも知れない。


「興味あるっつうか、気になってるっつうか」


「そう。だったら今から練習があるから

、見ていけば」


「それは……邪魔にならないか?」 


「平気。むしろ観客の1人も居たほうが、実戦に近いから助かる」


 そこまで聞いて、隣のステイシーをチラリと見た。すると、今にも吹き出しそうな顔で、こんな言葉を投げつけられてしまった。


「見物してきたら良いじゃない。この間のお嬢ちゃんには黙っててあげるから」


「やっぱり、そういう感じのコンテンツなのか……」


「ねぇ。アタシも見物させて貰っていいかな? ちょっと息抜きがてらにさ」


「好きにして」


 やっぱり桃レスリングとは、言葉のイメージ通りいかがわしいモノなのか。そうと分かれば、やるべき事はひとつ。オレはつぶさに確かめ、健全なイベントか判断する必要がある。村の安全を預かる1人の人間として。


 これがドエロい内容であったなら規制も考えなくてはならない。クロエに白い眼で見られたらと思うと、それだけで足が震える想いになる。

 

「ココよ。入って」


 案内されたのは練習場と呼ぶにも粗末な場所だ。四方を板で仕切られただけで、屋根すらも無い空き地だった。草はキレイに刈り取られているものの、目立った手入れはそれくらいだ。


 中には既に先客がおり、その人も若い女性だった。それからシリアンナと何度か会話を重ねては、納得したように頷いた。


「じゃあ早速始めるわね」


 シリアンナが勢いよく服を脱いだ。だが裸にまではならず、中に革製の下着を着込んでいた。地味な水着姿に見えなくもないが、露出度は格段に高くなった。並んで見学するステイシーが言うには、これがユニフォームなのだと言う。たしかに対戦相手の女性も似たような格好だ。


「さてと……ここからどう卑猥な感じになるんだろうか」


 見た目からしてポロリ系か。激しい動きに伴い、上も下もはだけていくとか。最終的には全部見えてヤベェ感じになるんじゃないか。


 だがそんな邪推は瞬く間に吹き飛ばされてしまう。


「始め!」


 鋭い声と共に両者は激しく激突した。先手を取ったのはシリアンナ。長い足で細かな蹴りを繰り出し、早くも相手を釘付けにした。相手の守りも鉄壁だが、何度も攻撃を浴びせられれば、やがてダメージが蓄積されるだろう。


 ここでシリアンナが攻勢を強めた。足の角度を変えてのハイキックだ。それが顔を正確に撃ち抜くと思われたが、相手も負けてはいない。その足をガッチリ絡め取ると、背負投げの動きでシリアンナを高々と掲げ上げ、地面に叩きつけようとした。


 絶体絶命か。いや違う。シリアンナは両手を大きく振るって身体を回転させると、足の拘束から逃れ、見事に着地してみせた。


「す、すげぇ……」


「見応えあるでしょ。なんつうか、血が騒ぐのよねぇ」


「確かにこれなら盛り上がるな。レスリングっぽくはねぇけど」


 ジャンル的には総合格闘技と言うべきだろう。だがそんなものは些細な事だ。肉薄する技と技が織りなす光景は、とほうもなく胸を熱く焦がしてくる。真剣に戦う姿がこうも格好良いとは予想だにしなかった。


「なんだよ、健全な試合じゃねぇか。てっきりアダルトコンテンツかと思ったぞ」


「どうしてそう思ったのよ?」


「だって村長がさ、腰痛いから無理だの言うから」


「あぁ。村長さんね、前に観戦した時にギックリ腰やっちゃったの」


「なるほど。そんな意味だったのか」


 そうこうする内に対戦は佳境を迎えた。シリアンナの拳が相手のアゴ先にクリーンヒット。相手の首が高々と弾ける。シリアンナが攻勢を強めた。これはチャンスか、いや誘いだ。


 相手は強引に態勢を立て直すと、すかさずシリアンナに絡みつこうとした。精錬された動きは熟練の技。両腕は獲物を絡めとろうとする蛇のように、機敏で的確に展開していく。次の瞬間には締め技をかけられ、形勢が逆転する。


 しかしシリアンナの方が一枚上手で、優勢に見えた対戦相手は白目を剥いて倒れた。超至近距離で肘打ちが決まったのだ。それで勝負は決まり、練習は終わりを告げた。


「すげぇ、最高だよ!」


 オレは思わず盛大な拍手をもって健闘を讃えた。まさかこんな所で本格的なバトルを見られるとは思いもしなかったからだ。だが、その高揚感も長くは続かない。なにせ、戦った2人は少し不審な動きを見せたのだから。


 両者が握手を交わし、並んで立った所までは問題なかった。だが、その立ち位置がおかしい。シリアンナはこちらを見るように、対戦相手は背中を向けて立つという、どうにもチグハグになっていたのだ。


「ステイシー。これは何が始まるんだ?」


「まぁ見ててよ。こっからが目玉なんだから」


 何だか嫌な予感がする。そして具体的な予想が浮かぶ前に、それは起きた。


 なんとシリアンナが対戦相手のパンツをズリ下げてしまったのだ。それで形の良い尻肉がプルンと露わになる。


「……なにしてんだ?」


「桃レスリングはね、負けるとこうやってお尻を見られちゃうんだよー」


「やっぱりアダルトコンテンツじゃねぇか!」


「観客の要望次第じゃあ、上が脱がされる事もあるねぇ」


「アダルトコンテンツじゃねぇか!」


「ちなみにシリアンナちゃんはね、その美尻から凄い人気なんだけど、まだ一度も晒した事ないっていう無敗の王者なんだよねー」


「知らねぇよ、そんな希少性! ともかく今後は禁止だからな!」


「えっ、どうして!?」


「オレと縁のある村でいかがわしいイベントなんか許せるか! クロエに軽蔑されたらどうする!」


 オレは急いで飛び出すと、すぐさま村全体に厳命を下した。それは桃レスリングの禁止。破れば追放という、重い刑罰までセットにして知らしめた。


 だが返ってきたのは凄まじい反発だった。それは涙混じりの訴えで、中には血涙まで見せる者が現れる始末。


「お願いします、我らに自由を。自由な桃レスリングを!」


「生き甲斐なんですよ。あれが無きゃ明日も見えないんですよぉ!」


 そんなにもか、と思う。演技ならともかく、本気で泣くほどかとも。


 だが彼らの姿を、かつての自分と重ねてみたら別の感情がこみ上げてきた。エロスは心の慰め。人生の潤い。それを彼らから奪う権利など、オレにあるのだろうか。


 そう思うと、渋々ながらも撤回せざるを得なかった。だが公演を許す代わりに、彼ら全員に求めた。オレは桃レスリングに全く関心を示さなかったと、今後は証言する事を。

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