第35話 育めよ愛
マンションの側に村を作るだなんて最初は気が進まなかったが、意外にも収まりは良かった。村人の皆も基本的には出歩けるし、アダモンみたいな主要人物が少し窮屈なくらいか。
日暮れを迎えた今、村の方はだいぶ賑わっている。どうやらイノシシが捕れたらしい。そのおかげでお祭り騒ぎの様になっており、ベランダからでも熱気は存分に伝わってくる。
「こんな時ひとりぼっちなのは、ちょっと寂しいかな」
手持ち無沙汰なうえに集団からはみ出していると、そんな気持ちが浮き彫りになる。ましてや夜風の寒い季節だ。自然と誰かを求めるようになり、オレは腕輪越しに語りかけた。
「クロエ、今暇かな?」
「えっ。シンペイ様!?」
耳が震えるほど麗しい声に続き、ダポンなんて音が聞こえた。一体何をしてるんだろう。音声だけでは、向こうの様子を知るにも限度がある。
「ごめんよ。忙しかった?」
「いえ、あの、湖で水浴びをしてたんです」
水浴び、だと!?
それを聞いた瞬間、胸の一番奥底に爆炎が巻き起こり、魂をどこまでも熱く焦がしていく。水浴びとは真っ裸でなされる行為だ。そんな彼女とリアルタイムで会話しているオレは、肌を重ね合わせた事になるのではないか。
そしてオレは聞き逃さなかった。今ピチョンと水滴のしたたる音がした。それはどこから零れ落ちたものか。艶かしくシットリと濡れた髪か、煽情的に折り曲げた肘の先か、それとも悩ましいほどに膨らんだおっぱいか。
だとしたら、その水滴を買おう。100万ディナを支払っても惜しくはない価値が、それにはある。小瓶に詰めて冷暗所に保管し
、辛く苦しいときなんかに眺めるという、長い人生の潤いとして……。
「そんな訳ですみません。水浴びが終わるまで、もう少し待っててもらえます?」
「分かったよ。もうしばらくしたら改めて声をかける」
「なんか声がおかしいですね。もしかして笑ってます?」
「いやいや、そんな事はないよ。それじゃあ後でね」
「はぁい。分かりましたー」
危ない所だった。妄想熱が激しすぎて、つい口調に現れてしまったらしい。次からは気を引き締めないと。
「シンペイ様、ご飯ですよ!」
「うわぁ!?」
ベランダの縁に突然人影が現れた。顔をみれば、やっぱりと言うかシャーリィだ。愛くるしい笑顔を壁の上から覗かせるのだが、ここが5階である事を考えれば異様な光景でしかない。
「準備ができたから呼んでこいって。行きましょう?」
「それは良いけどさ、ちゃんと玄関の方から来いよ」
「面倒くさいですもん。こっちの方が早いし」
「ったく。しょうがねぇな」
ベランダから飛翔して向かう。それに間髪入れず、シャーリィはオレの背中を目掛けて飛び、抱きついてきた。こんな芸当が出来るのも腕輪のおかげなんだが、果たして躾としてはどうなのか。訳わかんねぇ大人になりはしないか不安だ。
そうして村のど真ん中までやってくると、温かな空気に包まれた。たき火にかけられた大鍋からは間断なく湯気が立ち昇り、辺りに漂う匂いが強烈なまでにヨダレを誘う。
「シンペイ様。食事の準備が出来てますが」
「ありがとう。貰おうかな」
「丁度良い時に来ましたね。今が一番美味しい頃合いですよ」
おばちゃんはそう言うと、お椀(わん)に盛り付けて差し出してくれた。最初にオレとシャーリィが受け取ったのだが、いつの間にか背後には長い列が出来ている。彼らも食事を受け取るなり、地べたや岩に座り、口を付け始めた。
「あっ、シンペイさんも来てたんだ。ボクも一緒に食べていい?」
「もちろんだよ。そんで、わざわざ断らなくても良いって」
オレ達はフレッドも交えつつ、近場に腰を降ろした。まずは汁を一口すすってみる。
「……うん、旨いなコレ」
「おいしいーー! とってもおいしいです!」
シャーリィが歓声を上げるのも無理はない。実際、この鍋は絶品とも言える程に美味い。味付けは塩ベースなのだが、あっさりめではなく濃厚だ。獣肉の出汁が上手に使われてるらしい。
具材の方も完璧だ。イノシシらしき細切れの肉は、臭み抜きが完璧で、質感は柔らかい。脂も濃いもので、噛めば噛むほど旨味が広がるようだ。他にも角切りの人参やジャガイモ、そしてお米まで投入されており、どれも味がしっかりと染み込んでいる。
「これはゴチソウだなぁ。毎日だって食べたいくらいだ」
「そりゃ無理な相談だよ。そんなに沢山食べたら、イノシシが居なくなっちゃうでしょ」
「おっ。まさにその通りだ」
10歳も若いブレッドにたしなめられてしまった。本来なら逆のコメントをしてる所だろう。彼は年齢の割に大人びており、たまに逆転現象が起きたりする。この場合は、オレが幼稚過ぎるって事になるのか。
まぁ細かい話は良いや。マジでうめぇぞコレ。お椀を抱えて搔き込んでいると、恰幅の良さそうな笑い声が聞こえた。
「あらまぁ。そんなに気に入ってくれたんです? オカワリありますけど」
「あっ。もう1杯貰おうかな」
「はいよ。おあがんなさい」
「シャーリィも食べます、オカワリ!」
「あいよ嬢ちゃん。ヤケドすんじゃないよ」
早くも2杯目に入る。舌も味に慣れたかと思いきや、意外とそうでもない。今度の汁は野菜の具合が別物だったのだ。このトロトロ感はジャガイモだ。時間が経って汁に溶け込んだせいだろう。このドロリとした食感も堪らない、これはこれで美味い。
「驚いたよ。ノースガヤは有名な料理人でも抱えてたのか?」
「アッハッハ、そんなん褒めすぎですよ。アタシは食い道楽なだけのオバちゃんですってば」
「へぇ、これはアンタが作ってくれたのか。本当に美味いよ。自慢して良いんじゃないか」
「そうまで言ってくれるんです? こりゃデブるまで食いまくった甲斐があるってもんだわ!」
そう言って彼女は太鼓腹を揺すった。その笑い声に周りも明るくなる。明るくなれば食を進み、やがて腹は限界まで膨れあがった。
「ごちそうさま。もう満腹だ」
「うぃぃ。食いすぎたです……」
「フレッド。シャーリィを小屋まで連れてってくれ」
「うん。分かったよ」
オレはオレで用事がある。クロエとの愛を育む時間が待っているのだ。あれから小一時間くらいは過ぎている。かけ直すには良いタイミングだろう。
そう思って皆の輪から遠ざかり、改めて通話を試みた。
「お待ちしてましたよ、シンペイ様」
甘くも爽やかな声が聞こえてくる。クロエ。クロエ。最高に最愛の人。
「どうだろう。今は平気かな?」
「えぇもちろん。ついさっき、ごはんも済ませました」
「そうなんだ。こっちも丁度食べ終わった所でさ。いやぁ、クロエにも食べさせたかった」
「えっ。何です? ゴチソウでも食べちゃいました?」
「……この話はどっから始めれば良いかな。えっと、まずは、すぐ近くに村が出来て……」
経緯をイチから説明しようとした、まさにその時だ。たき火の傍に集まる村人たちが、耳を疑うような言葉を口走った。
「よっしゃ。今夜は桃レスリングを始めっか」
「なっ……何だとぉ!?」
オレは思わず叫んでしまった。桃レスリングとは、いつぞや抱いた謎フレーズだ。それが何の因果か知らんが、またここで出会ってしまうだなんて、誰が予想しただろう。
「シンペイ様。急に叫んだりして、どうしました?」
「あっ、ごめんよクロエ。ちょっと取り乱しただけなんだ」
「もしかして忙しいですか? だったら、お喋りは明日にした方が」
「そんな事無い、そんな事無いよ。クロエより優先すべきものなんかある訳ないじゃん」
「そ、そうですか? エヘヘ……」
可愛い。照れ笑いが尋常じゃなく可愛い。女神様なんじゃないか、マジで。
念の為、村の連中からは距離をとっておく。愛を育もうとする貴重な時間を邪魔される訳にはいかない。
「ええと、話を戻すよ。実はオレんちのすぐ側に村が出来たんだ」
「本当ですか? ずいぶんと急ですね」
「まぁ色々あってな。村を焼け出された人たちを助けようとしたら、こうなったんだ」
「なるほど。そうだったんですね、シンペイ様らしいです」
「そうかな? オレらしいの?」
「はい。困ってる時にスパッと助けてくれて。誰もが見捨てちゃったりするのに、真っ先に駆けつけてくれる感じが」
「それって、後先を考えてないってだけじゃない?」
「そんな事ないです。シンペイ様のそういうところ、カッコイイですよ」
その瞬間、心に春一番が吹き荒れた。激しくも温かで、生命のエネルギーに満ち溢れたものが。
これには涙腺が緩む緩む。クロエの口から聞けただけで、生きてて良かったとすら思う。
「今のセリフ、もう1回言ってよ」
「えぇ!? どうしてですか」
「どうしてって、そりゃたくさん聞きたいから」
「うぅ〜〜。結構恥ずかしいんですよ?」
この甘ったる空気感。すごく良いと思う。こんな時間を積み重ねることで、愛情とは育っていくものなのかもしれない。
「頼むよ。もう1回だけで良いから」
「わ、わかりましたよぉ」
「オッケー。じゃあ待ってる。固唾を飲んで待ってるから」
「えぇーー! そんなにならなくても……」
「ホラホラ。オレは待つと言ったら夜通しでも待つ男だぞ」
「じゃ、じゃあ言いますね。シンペイ様は、カッコイイです!」
クロエから再び、待望のセリフが飛び出した。だが運命のいたずらか、村人たちが全く同じタイミングで、とんでもない叫び声をあげていた。
――待ってたぜ、無敗の王者!
――今夜も魅せプレイを頼むぞシリアンナ!
「とうとうシリアンナまで出てきやがったーーッ!」
「どうしたんですかシンペイ様!?」
まさかの真打ち登場で、うかつにもまた叫んでしまった。
もはやムードなどカケラもない。それからも会話は弾んだのだが、大して甘い空気にならず、その日は終わった。これは実にもったいない事だ。同じ過ちを繰り返さぬよう、オレは謎の解明を心に誓った。
桃レスリングとは何か、シリアンナとは何者なのかについて。
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