第33話 燃える村、蘇る村

 空が赤い。陽は西に傾き、落ちようとしている今もなお、夜の帳を切り裂くように北は煌々(こうこう)と燃えていた。


 胸の奥が騒ぐ。すぐにでも飛んでいきたい所だが、子供達の安全も考えなくてはならなかった。幸いにも、フレッド達はすぐ傍に居た。


「フレッド。お前はシャーリィと一緒にオレの部屋で避難してろ。絶対に外をうろつくんじゃないぞ」


「シンペイさん。ボクも連れて行ってよ。少しくらいなら闘えるよ!」


「今は止めておけ。よりによってノースガヤの方だ。奴隷騒動を起こしたばかりじゃないか」


「そりゃそうだけど……」


「今回はオレに任せてくれ。頼む」


「うん。分かったよ」


 次にシャーリィを見た。彼女は不安に歪む顔をオレの腹に押し付け、両腕を回してきた。小さな方も小刻みに震えている。


「行ってくるよ。お兄ちゃんの言うことをちゃんと聞くんだぞ」


「シンペイ様、帰ってきて……絶対に帰ってきて……」


「もちろんだ。こんな所で死ねるかよ」


 シャーリィの頭を軽く撫でてやると、両腕がゆるゆると解けた。後事はアドミーナに任せ、落ちたばかりの空を翔ぶ。全力の飛翔だ。木々を軽々飛び越えるだけの高度で一直線に向かった。


 北の空はまだ赤い。よほど盛大に燃えているのだろう。街灯ひとつ無い暗闇では、驚くくらいに目立つ。脳裏に浮かぶのは顔なじみの商人達だ。若いのから年寄りまで。ちょっと荒っぽいが気の良い連中ばかりだった。


「無事でいてくれよ、みんな」


 失火であると信じたい。そうだったら鎮火するだけで元通りだ。明日もその次の日も、また同じ様に市が立つだろう。そう心に言い聞かせていた。


 こうして村外れに降りるまでは。


「なんだ、この軍勢は……」


 燃え上がる村をぐるりと大勢が囲んでいた。500人か、もしかすると更に多いかもしれない。装備は整っている。きらびやかな槍の穂先が赤いのは、炎のせいだけではない。ドロリとまとわりつく様な粘性が、離れていても分かるほど禍々しく瞳に映る。


「そこの男、止まれ!」


 外側の兵士に鋭く問いかけられた。獰猛な顔をしている。血に酔っているのかもしれない。


「お前たちはヴァーリアス軍なのか?」


「旗を見ろ。それで分からないのか、馬鹿者め」


「そうかい。つまりは公爵の手下って事だよな?」


「我らは誇り高きヴァーリアス騎士団の軍だ、公務を邪魔をする気ならこの場で討ち果たすぞ」


 威嚇する蛇のように、槍の穂先が眼前で踊る。ゆらゆら、ゆらゆらと。その揺らぎで我慢が利かなくなった。


 槍の柄の横へ強く踏み込む。近づいた兵士の顔。力いっぱい殴る。そいつが吹っ飛びながら周りを巻き添えにすると、とたんに騒がしくなる。すぐに回りは切っ先で埋め尽くされた。オレも剣を呼び出し、構える。


「貴様も村の関係者か!」


「気をつけろ、今のは魔装術だ。きっと魔術師に違いない」


「陣を組め。一気に押しつぶすぞ」


 方々で沸き起こる声がうるさい。気がつけば、オレは叫んでいた。胸で猛り狂う爆発をそのままに。


「お前らの武器は何のためにある。積み上げた訓練は誰のためだ。まさかこうして弱者をいたぶる為だなんて言わねぇよな!?」


 連中の構える姿勢に揺らぎはない。その態度が腹の奥まで熱くさせた。


「公爵さんの部下なんだろうが、だったらどうしてあの爺さんの気持ちを汲んでやらねぇんだ!」


 槍の束がわずかに揺れる。それでもオレの口は休まらない。


「お前らは知らねぇのかよ。あの爺さんは、くたびれた身体を顧みないで街の様子を気にしてんだ! みんなが笑って暮らすのを心から願ってんだよ!」


 炎に照らし出されるのは、どいつもこいつも腑抜け顔ばかり。それが一層、右手に握る柄を軋ませた。


「それなのにお前らが村を焼いちまったら意味ねぇじゃねぇか! いっその事騎士だの軍だの捨てちまえ、山賊にでも落ちれば良いだろ!」


「何事だ、騒々しい!」


 不意に敵軍が割れた。オレの叫びに応えた声、それは今ここで聞きたくないものだった。今もなお収まらない火勢。そこで浮かび上がる顔は、やはりこの場で見たくないものだった。


「ヤハンナ。一体どういうつもりだ」


「貴殿こそ何の用だ。別に手助けなら要らんぞ。まぁもっとも……」


 ヤハンナが脇に眼を向けた。そこには手当てを受ける負傷兵の姿がある。


「村人に助力するつもりなら、話は変わってくる」


「お前、何の疑問も感じないのか。大勢の兵隊連れて村を焼き払って、良心は傷まないのかよ!」


「なぜ憤慨しているのか分からんが、私は自分の責務を全うしたまでだ」


 ヤハンナが鼻で笑った。その背後は炎にまみれ、あの活気に満ちた通りも露店や家屋の残骸で満ちていた。所々に黒ずんだ塊が転がり、まるで助けを求めるように、空へ向けて突起が伸びている。


 可哀相に。誰かの変わり果てた姿だろうが、もはや識別できない程に炭化していた。


「ヤハンナ。お前はさ、もうちっと話の通じる奴だと思ってたよ。道理をわきまえ、ちゃんと筋を通してくれる、立派な騎士なんだとよぉ!」


 オレは強く身構えた。知り合いに向ける刃は、一層冷たい光を放つようだ。不意に額から汗が流れ落ちる。今のが燃え盛る炎のせいか、それとも知った仲に殺意を向けたことの罪悪感なのか、分からなくなる。


「何か誤解をしているようだが、この村は大罪を犯した。往来に魔獣を出現させ、混迷の中で奴隷商隊を襲う計画を立てていた」


「確かにそんな話だった。だからってここまでやるか!? 普通は首謀者とか実行犯を捕まえるもんだろ」


「国家に逆らった。恐れ多くも国王陛下の定めた制度に反発したのだ。これは許されざる罪。密告者が現れなかった事から、他の者も同罪だ」


「なんだその結論。ムチャクチャじゃねぇか」


「貴殿の理解を得る必要はない」


「そもそも奴隷制度に問題があったんじゃねぇのか。危険を冒してまで反抗したんだから、よっぽど欠陥のある制度なんだろうよ」


「下民ごときが天下国家を語るなど許されん。ましてや逆らうなどあってはならん。下々の者はただ頭(こうべ)を垂れ、王の威光に従って生きれば良い。いや、それ以外の選択肢など許されぬのだ」


 暴論だ。人権意識が低く、権威主義に偏ると、ここまで醜悪な発想に取り憑かれるらしい。


「王様がやべぇヤツだったとしても従えってのか」


「無論だ。その時は国が傾き、滅びるだろう。だが下民ごときが逃げることは許されぬ。国の滅亡に殉じるべきなのだ」


「わかんねぇよ。上流階級さまの言葉ってのは」


「分からんのなら教えてやる。国が危うくなれば世が乱れる。世が乱れれば戦乱に苦しめられる。そうなれば貴族も下民もない。長年にわたり、大勢の人間が死にゆくだろう」


「だからお前は人々を力で押さえつけるのか。上辺の安定を生み出すために」


「そうだ。たとえ仮初(かりそ)めであったとしても、平和を実現し、多くの幸福を生み出すには国の安定が必要不可欠だ」


 ヤハンナがそこで馬首をめぐらせた。無防備な背中を晒しつつ、去り際に一言だけ残していった。


「その為であれば、私は何度でも血に汚れてみせるさ」


 それから進発、という声が響いた。回りを取り囲む兵士たちは構えを解くと、隊列を整え、やがて整然と行軍していった。オレは1人、焼け焦げた村に取り残されてしまった。今からでも追い駆ければ間に合う。仇討ちのような襲撃だって、やろうと思えば出来る。そう思いはしても、身体を動かせずにいた。


 ヤハンナの言葉には僅かながら納得のいく部分があった。国の安定、平和の実現。一見、それとは逆行する焼き討ち行為も、もしかするとこの世界の処世術なのかもしれない。不安定が不和を生み、やがて戦乱に結びつく。そうすれば数え切れないほどの人々が犠牲になるだろう。だから見せしめという意味も込めて、過剰なまでに取り締まる。反抗しようとする気持ちを武力で押さえつける。


「それも理屈かもしんねぇけど、やっぱり納得できねぇよ」


 鼻をつく臭い、パチパチと響く木材の音、あちこちに点在する焼け焦げた人々。それらの全てが心を苛む。オレの無力さを、意思の弱さを責め立てるかのようだ。


「せめて安らかに眠れ」


 オレは梅雨空を思い浮かべ、ジウと呟いた。ジウはそのまま慈雨。シトシトと降り注ぐ雨が、やがて炎を消し止め、辺りを優しく濡らすだろう。これが今の精一杯。何が転生者だ、魔術師だ。たかが村のひとつも救えない弱者じゃないか。


 結局オレは何も変われなかった。地球に暮らしていた時と同じだ。より大きな力の前で顔色を窺うばかりで、何の役にも立ちやしない。中途半端に広げた手では自分の良心を慰めるだけ。誰の窮地も救えないんだ。


「オレは、どうすれば良かったのかな……」


 返事はない。ただ延々と雨音が、木材の軋む音がするばかりだ。


 やがて炎は消え、辺りは闇に閉ざされた。視界が暗さに慣れた頃になって、オレは村から飛び立った。濡れそぼった服が重たい。だけど絞る気は起きなかった。せめてこれくらいは苦しませて欲しい。そうでないと自分自身を八つ裂きにしてしまいそうだ。


 ゆっくり、ゆっくりと飛翔すると、我が家に辿り着いた。灯りを見てホッと気が抜けるのを浅ましく感じつつ、部屋まで戻った。どんな顔をすれば良いんだろう。結論が見える前、既に手厚い歓迎を受けてしまった。


「おかえりなさい……ってどうしたの!?」


「シンペイ様、お気を確かにですぅ!」


 フレッド達が駆け寄っては口々に心配してくれた。アドミーナも、体温がどうのと言っていた気がする。その優しさが嬉しい。けれど、それを受け入れるだけの余裕は持ち合わせていなかった。


「悪いんだけど、1人にしておいてくれないか」


「それは良いけど。何があったの?」


「ノースガヤが騎士団に焼かれてしまった。たぶん、生き残りはもう……」


「そうなんだ……」


「頼む。今日はそっとしておいてくれ」


「分かったよ。シャーリィ、行こう」


「シンペイ様。元気だしてください、わたしはいつだって傍にいますから」


 フレッド達が部屋から出て行った。しばらくドアを眺めていた所までは覚えているが、ふと気づくと、オレはシャワーを浴びた後だった。髪からはシャンプーの香り、服も洗いたての物にすり替わっていた。今日はもう寝てしまおう。眠ったところで何の解決にもならないが、それは起きていても同じこと。瞳を閉じて横になる。


 あまり深く寝入る事ができない。浅い眠りを繰り返すうち、陽射しが差し込むようになり、やがて明るくなった。身体は酷く気だるい。起きようか、それとも二度寝しようか。ダラダラと決めかねていると、外が騒がしくなった事に気づく。何か言い争う声が聞こえるのだ。


——警告します。あなた方はタキシンペイ様の土地を侵そうとしています。お引き取りいただけないなら、撃退させていただきます。


——アドミーナさんの言う通りなのです。知らない人は帰ってください。


——そんな冷たい事いわないで。お姉さん達は、ここのお兄さんと友達なんだってば、たぶん。


——リストにない方を招き入れる訳には参りません。お聞き届けいただけないのなら、このまま消し炭にさせていただきます。


——ちょっと待って! 一回で良いから、ここの主人に会わせてよ!


 聞き覚えのある声。そう思った瞬間、飛び起きていた。すぐにベランダから顔を覗かせれば、通りには何十人もの人が押し寄せているのが見えた。揃いも揃って全身を泥で汚しており、つい身構えかけるが、その中には見知った顔がいくつもあった。


「アンタらはもしかして、ノースガヤの人じゃないのか!」


 気づけば叫んでいた。すると集団の先頭に居た女が手を振って答えた。


「やっぱり魔術師のお兄さんだ! アタシが誰か分かる?」


「もちろん。フルーツ売りの人だろ、生きてたのか!」


「ちょっとヤバかったけどね。でも大丈夫、みんな無事だよ!」


「マジかよ。あの地獄を生き延びるなんて、悪運強すぎじゃねぇか!」


 もう居ても立ってもいられない。ベランダから飛んで入り口まで一気に降り、彼女らを出迎えた。そうして分かち合った再開の喜びは、何物にも代えがたい温もりに包まれていた。 


 

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