第32話 あなたの声が聴きたくて
思えば転生当時に比べれて、暮らしぶりは随分と変化したもんだ。不定期とはいえ収入はあるし、ひとまずは食っていけるどころか、子供の2人を養う事まで出来ている。孤独スタートの生活も今やそれなりに賑やかで、少なくとも話し相手には不足しない。
それなのに満たされない。いつも心に隙間を感じてしまい、なぜだと考えれば、必ずといって良いほど同じ名前が脳裏に浮かんだ。
「クロエに会いたいな……」
まだ別れて半月も過ぎていないのだが、早くも恋しさを覚えた。いや厳密に言えば、翌日から既に寂しさが大きく、相応の虚しさがあった。だからついつい怠惰な日々を送ってしまった、そんな感じだった気がする。
「クロエってどなたです?」
シャーリィが不自然なまでの笑みをオレに向けてきた。しかも窓の向こうで、ナイフを片手にしながら。怖い。
「クロエってのは、世界で一番大切な人だ」
「それは何というか、許せないです。首ポロンさせたくなります」
「クロエに危害を加えるつもりか。だとしたらオレは本気で怒るだろうなぁ」
「えぇ!? そうなったら、どうなっちゃうんです?」
「ここから追い出すね。そんでもって、ずっと無視しちゃうかもしれない」
「嫌です、絶対嫌です! 仲良くしますから、クロエさんとはもう、めっちゃくちゃお友達しますから!」
「なんだよ。お友達するって言葉は……」
あの子は今、どこに居るんだろうか。シャマーナはかなり遠い場所だと聞いている。旅路は順調にいって2ヶ月かそこら。トラブルがあったら更に延びるだろう。どれだけ時間がかかったとしても待つつもりだが、だからと言って平気なワケじゃない。
「せめて声が聞けたらなぁ」
仕方のないボヤキが漏れた。ここが現代の地球だったら、スマホやSNSで頻繁に連絡が取れたのに、と。
それから漏れる溜息。だがそれに被せて、室内に『ポンッ』という間の抜けた音が鳴った。アドミーナが何か言いたいようだ。
「どうかしたか。何か問題でも?」
「いえ、そうではありません。婚約者のクロエ様と通信したいとの事でしたので、アップデートの提案をさせていただきます」
「おいまさか、会話が出来るようになるのか?」
「はい。機能を向上させる事で、腕輪の所有者同士での通信が可能となります。アップデートには幻魔石の消費が……」
「良いよ良いよ、全部使っても構わないから早くしてくれ」
「ご快諾いただきまして。ではこれより対応いたしますので、しばらくお待ちください」
それきりアドミーナの声が止んだ。オレはというと、もう『一秒千秋』の気持ちで待ち続けた。今か今かとあの平たい言葉が飛び出すのを待つ。ここまでアイツを待ち焦がれるなんて、後にも先にも無いんじゃないか。
「お待たせいたしました。アップデートは完了しております」
その言葉を証明するように、腕輪はほのかに輝いていた。窓の外に目をやれば、シャーリィのものも同じ光を宿している。いや、宿してるじゃねぇわ。いつまでベランダに居る気なのか。
「そろそろ家に戻りなさい。暇ならお兄ちゃんと遊んでたらどうだ」
「兄さんは構ってくれないのです。やたらと稽古だ訓練だと言って、無闇に鍛えてばかりです」
ちらりと小屋の方を見れば、確かにフレッドはトレーニングの真っ最中だった。彼も腕輪の所有者なので、一般人よりは強靭な肉体を手に入れており、腕立て伏せも片手でスイスイこなしている。以前より圧倒的な強さを得たハズだ。なのにこうして自ら率先して鍛えようというのだから、彼は生真面目なんだろう。遠目に見える姿に気後れしないでもない。
「シャーリィ。それじゃあ花でも摘んでらっしゃい。気が向かなきゃ、木の実とか晩飯に食えそうなものでも良い」
「わかりです! シンペイ様のために取ってくるです!」
「夕暮れまでには戻るんだぞ」
無事シャーリィを送り出したオレは、腕輪を耳元に近づけた。アドミーナの説明によると、発信者の魔力を消費して通信が出来るらしい。ただし距離や通話時間によって魔力使用量が異なり、場合によっては損耗状態になって気絶するそうだ。
ちくしょうめ。電話代やパケ代を気にしないで済むかと思いきや、今度は気力と相談しながら通話しなきゃならんとは。遠距離恋愛の苦労は異世界でも変わらんらしい。
「まぁ細々とした話は良いか。今はクロエが第一だ」
喉を鳴らして通りを良くしておく。久しぶりに投げかけた声が痰(たん)混じりでは格好がつかない。
「……クロエ。聞こえるか?」
そっと囁いてみる。するとまずノイズが走り、そこそこ大きな魔力が吸い取られていく。キツイ、だが我慢できない程じゃない。
襲い来る軽い目眩に耐えていると、やや遅れて返事が返ってきた。この声は忘れもしない。魂が潤う感覚、クロエのものだった。
「えっ。シンペイ様!? どこにいるんですか?」
「ごめん、驚かせちゃったかな。ついさっき、腕輪越しに会話出来るようにしたんだけど、ちゃんと聞こえてる?」
「は、はい。それはもうハッキリと」
他愛もないやり取りなのに、胸は上気して張り裂けそうな程に膨らみ、鼓動がうるさいくらいに高鳴った。クロエだ。姿こそ見えないものの、彼女は今こうしてオレと喋っている。それだけでもう三日三晩は寝ずに働けそうだった。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「そうですね。こっちはみんな、いつも通りですよ」
「ご飯はちゃんと食べられてる?」
「はい。この辺にも公樹園はありますし、父さんが買い溜めした食料も多いので、食べるには困ってません」
「魔獣は平気か? それから夜は眠れてるか?」
この問いかけには少し間が空いた。言葉の代わりにクスクスと笑う声が聞こえてくる。
「どうしたの、急に笑って」
「だって話の内容がおかしくって。もう一人お父さんができたみたい」
「そりゃ心配だからさ。クロエは、なんていうか、誰よりも大切な人だから」
「……シンペイ様」
「いつも君の事を考えているよ。朝も夜も休みなく。その間に、心配ごとが浮かんだりしてね」
「シンペイ様。今の言葉、父さん達にも聞こえてますよ」
「えっ、マジで!?」
「なので父さんは小川に水を汲みに行きました。姉さんは、三日月みたいな眼をして笑ってます」
「うわ恥ずかしい! てっきりクロエだけに聞こえてるもんだとばかり!」
「……結構響くみたいです、コレ。だから周りに人には丸聞こえになっちゃいますね」
なんてことだ。言われてみれば腕輪は受話器みたいな形をしていない。それが音を発するとしたら、方向なんか関係なしに伝わってしまうんだろう、恥ずかしい。
「次からはもう少し話題に気を遣うよ」
「その方が良いですね。でも、嬉しかったですよ。2人きりになったら、もっと聞かせてくださいね」
「クロエ……」
なんて可愛らしい事を言うんだ。出来る事なら今すぐ抱きしめたい。両腕の中にスッポリと格納してしまいたい。そして永遠の愛をささやきながら夜景を眺め、たまにからかったりして、長い夜を明かしたくなる。
そんな願望を抱いたせいか、いつの間にかベランダに足を踏み入れていた。下に目を向ければ、変わらずフレッドが訓練に勤しむ姿が見える。
「そう言えばさ、今はどの辺りに居るんだ?」
「そろそろヴァーリアスから抜ける頃で、もうじきシャマーナ地方に入るみたいです」
「そうかそうか。順調に進んでるみたいだな」
「まぁ、ここから街までが遠いんですけどね」
次は何を聞こうか。相槌を打ちながら考えていた。だがそんな思考も、地上の方から聞こえる叫び声によってかき乱されてしまう。
——兄さん、ウンコです。何かのウンコ踏んじゃったです!
——うわホントだ。早くどこかで洗ってきなよ。
——くっさいですコレ。鼻が曲がりそうです。
——ちょっと! わざわざ見せなくて良いから!
台無しだ。クロエとのひとときが台無しだ。よりによってウンコってお前。
「シンペイ様。今の声は?」
「知り合いになった子供達だ。ちょっと訳ありで、当面は世話しようと考えている」
「そうなんですか。やっぱりシンペイ様ってお優しいですよね」
「そんな事ないさ。ただちょっと気が向いたというか、まぁ、当然の行いってやつだよ」
フレッド達のやり取りは終わりそうにない。とりあえず場所をベランダからリビングに移す。
だがその時、うかつにもテレビのコントローラーを踏んでしまった。そうして動き出したのは、よりによって『魔法少女ヌメリン』のDVDだった。慌てて停止させようにも手遅れで、わざとらしいまでのダミ声が聞こえよがしに響いてしまう。
——ゲッヘッヘ。お前ら全員を触手まみれにしてやるでゴザンスぅ!
「シンペイ様。今度は一体……?」
やばい、エロアニメの存在がバレる。ごまかせオレ。幸いクロエには声しか聞こえていないんだ。急場凌ぎで十分。何か的確な言い逃れをひり出しやがれ。
「今のは、えっと、通りすがりの『触手ますらお』さんだ」
「触手ますらおさん!?」
「そうだ。彼はなんていうか、この世の女性全てを触手で縛り上げたいっていう、とんでもない願望の持ち主でな」
「へぇ。それはちょっと、コメントに困る人ですね」
「あまり関わり合いにならない方が良さそうだ」
「私もそう思います」
それからもしばらくの間、クロエとは会話を続けた。旅の日程やら街での仕事やら、割と真面目な話題ばかりになり、その日は会話を終えた。
通話を切った瞬間、とてつもない疲労感に襲われた。魔力の消費もそうだが、何よりも腕輪通信に慣れていないのが大きかった。次からは色々と、特にうっかりヌメリンを再生してしまわぬよう、気をつける必要があった。
「でもまぁ、喋れるようになったのは嬉しいな」
迎えた夕暮れ時。魔力損耗(まりょくそんもう)からも回復したので、改めてベランダに出てみた。赤く染まる空。街道にはシャーリィの姿があり、両手にはたくさんの果物を抱えていた。何か食べるものを見つけたのだろう。後で頑張りを褒めてやらないと。
「それにしても今日の空はいつもより赤いな。天候によるのかな……」
何かがおかしい。そう思って改めて注視すると違和感に気付いた。空が明るいのは北の方だ。暮れ行く太陽は西に沈みかけており、そこから分離したような赤が北の空を染めている。あれは火柱。空を焦がすほどの大きな炎が立ち昇っているのだ。
そしてその方角は、ノースガヤの村と完全に一致するものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます