第31話 陽だまりと老人
なんだかよく分からんウチに、オレは爺さんと肩を並べて庭園を眺めることになった。だが悪い気はしない。この景観を邪魔しない柔和さが爺さんに備わっている為かもしれない。眼前はもとより、遠くに段々と並ぶ街並みも美しい。
「どうかね、キレイなもんだろう。ワシのお気に入りでな」
ゆったりとした口調が心を解すようだ。いつの間にか、初対面とは思えないくらいの親近感を覚えていた。
「ゆったり落ち着けるよ。造ったやつのセンスが良いのかな」
オレがそう答えると、爺さんは鷹揚(おうよう)に頷いた。オレと違う秒針の世界で生きてるかのように、緩やか過ぎる動きだった。浮かべる笑みも陽だまりの様に温かい。
だが、柔和な気配も、話し込む内に陰りが見え始めた。
「だがのう。城の外はここほど平穏ではない。そうだろう?」
嗄(しわが)れた声は今にも消え入りそうだった。風向き次第では聞き逃しそうな程に儚(はかな)い響きがある。
「ワシはな、気になって仕方がないのだよ。街の者たちが、領民達が本当に幸せに暮らしておるか。部屋に居ても分からんので、せめてこうして庭まで出るのよ」
爺さんは眼を遠くへ向けるが、人々の顔色までは拝めない。それでも耳を澄ませば街の喧騒が聞こえてくる。いくつもの声が重なって塊になったものが。
「気になるんなら、街まで降りていけば良いんじゃないか?」
「こう見えて患っていてな。もう長くはない。この半年間は、馬にすら乗れておらん。若かりし頃は戦場を駆け巡ったものだが、もはや大昔の話よ」
「へぇ。爺さんは退役軍人か? 元騎士だったり」
「まぁ、似たようなものだ」
爺さんの瞳が一層曇っていく。過去の栄光を自慢する気はなく、むしろどこか深い所へ潜っていくようだ。
「お前さんは知らんだろうが、この大陸も昔は酷い乱世でな。血で血を洗うような大戦乱よ。昨日の味方が今日裏切るというのも珍しくはなかった」
「そうだったのか? 知らなかった」
「今の時代は、キャピタルランドに住まわれる国王陛下が、あまねく地方を統治しておられる。だが、それもせいぜい20年。いまだに人々の心には癒やし難い爪痕がハッキリと残されておる」
正直なところ、昔の戦乱はもちろんの事、今の統治機構すら知らなかった。統一王朝による支配だと、今になってようやく認識した。
「当時のワシは必死に戦ったよ。敵を討てば、敵軍を蹴散らせば、それだけ安全になる。富や名声も得られる。自分の家族に良い暮らしをと、その一心で戦場を駆け巡ったものだ」
「それが自分の仕事だっていうなら、頑張らないとな」
「かつてはそう信じておった。だが、今こうして死期を目前にすればどうだ。大勢の血で濡れた手のひらは、果たして正しさを語ってくれるか。無抵抗の民を捕らえた事も一切ではない。彼らを縄で縛ったこの指は、神の祝福を得られるだろうか」
爺さんの震える手が硬く握られる。そうした今も震えまでは止められていない。
「重ねた罪が許される事はない。だからせめて善政を敷こうと心がけた。数多の命を散らせた分だけ、多くの者を幸せにしようと誓ったのだ。だが、ワシの想いは下々の者には届いていないのだろう」
「それは、なんつうか……」
「隠さずとも良い。ワシが弱ったとみるや、多くの者共が暗躍するようになった。これ幸いとばかりにな」
この爺さんは魔獣騒ぎや、奴隷問題を知っているんだろうか。尋ねてみたい気分になるが、なぜか言葉が出なかった。下手な事を言えば、失意の底に突き落としかねない気がして。
「世の中、色々あるさ。あまり気に病まない事だ」
「それは分かっている」
「それとさ、これはオレの親しい人が言ってたんだ。優しい領主様だって。ここの経営は上手くいってるって事じゃねぇの?」
「……そう言ってくれると気分が軽くなる」
「まぁ、あれだ。家族を大事にしてたんなら、辛い時も家族と過ごしなよ。暗い気持ちも楽になるんじゃねぇの」
「妻は若かりし頃に亡くした。息子は地方の領主となり、娘達も皆が嫁いでいった。気軽に話せる家族など、傍には居らんのだよ」
すまん、地雷をブチ抜いた。悪気は一切無かった。より小さくなる背中をどうにかしてやりたいが、オレに出来る事なんか無い。
それでも気休めの言葉を投げかけるべきだろうか。何か耳障りの良いセリフを残すべきだろうか。そんな風に考えを巡らせていると、あらぬ方から呼びかけられた。
「探したぞシンペイ殿。あまり出歩かないで貰えるか」
甲冑の音がガシャガシャと騒がしくなる。だがすぐに、そんなものが霞むくらい大きな声が響いた。
「公爵閣下! なぜこのような所に!?」
弾かれたようにヤハンナが跪(ひざまず)いた。話しているうち、薄々と感づいてはいたが、やっぱり偉い人だった。公爵ってどれくらいのポジションだっけか。部長とか、エリアマネージャーみたいな感じか?
「なぜも何も、ここはワシの城だ。どこに居ようとも咎められる謂(いわ)れなどあるものか」
「供を連れずに出歩かれては危険です。それに一言も告げずに部屋を出られましたな、メイド共が大慌てで街中を探し回っておりますぞ」
「やれやれ。老い先短い人生だと言うのに窮屈で叶わん。まるで乳飲み子に対するような囲いっぷりではないか」
「……ご不満でしたら、復調なさいませ。誰もが閣下を身を案じているのですから」
爺さんはそこまで聞くと、長い溜息を吐いた。まるで子供のワガママを受け止める父親のような顔をしていた。
「客人よ、長話に付き合ってくれて済まなかった。もし良ければ、またワシを訪ねてはくれんか」
「そうだな。城に来る事があれば、ついでに寄るよ」
「十分だとも。外の話を存分に聞かせておくれ」
満足げに頷く爺さんとは対照的に、ヤハンナは鋭く睨みつけてきた。
「シンペイ殿。知らぬかもしれんが、このお方はな……」
「やめんか、ヤハンナ。ワシとて生身の人間だ。領主の冠を外して対話できる者を必要としているのだ」
「上下のけじめは重要です」
「ワシが望むのだ。それとも何か。友人を求めるささやかな願いすらも、贅沢であるのか?」
「……いえ、そのような事は」
引き下がるヤハンナを横目に、爺さんは短い別れを告げて去っていった。彼の行く先には若いメイドが何人も待ち受けており、多くの涙目によって迎えられた。彼にとって娘のような、いや、孫とも言える年代の使用人に慕われているとは。よほど信頼されている人物なのかもしれない。
それからはというと、ヤハンナから報酬と、小さな恨み言を受け取った。今回は500ディナ。仕事の対価を受け取ったわけだが、心は今ひとつ晴れやかでない。公爵さんの切実な話が突き刺さっているのかもしれない。
「さてと。そろそろ帰らないと、フレッド達が心配するだろうな」
フワリングで帰宅する間、あの哀れな老人について考え続けた。若い頃は仕事に打ち込み、必死になって駆けずり回った半生。その甲斐あって誰もが羨むような暮らしを送っているが、あまり幸福そうには見えなかった。あの小さな背中。今にも虚無感や孤独感に押しつぶされそうだった。やはり奥さんに先立たれたというのが大きいんだろうか。幸と不幸を分かち合えるパートナーとの死別は、想像以上に辛いものなのか。
「オレでたとえたら、クロエを失うような感じか……」
あぁ、それはキツイ。魂が歪んで根性がひん曲がり、邪法に手を染めて転生させようと励むくらいには。
そう思えば公爵さんへの同情心も強くなる。オレに出来る事は数少ないが、せめて明るくなる話題くらいは用意してやろう。そんな事を考えるうち、いつの間にかマンションに到着していた。部屋には直行せず、ひとまずフレッド兄妹の小屋へと向かった。
「フレッド、シャーリィ、いるか? 今帰ったぞ」
「シンペイさん? シャーリィがそっち行った、捕まえて!」
「おいマジかよ!」
目の前の草むらが勢い良く割れた。そして飛び出してきたのは、言葉通りシャーリィだった。右手にはナイフを握り、よくみれば両目が真っ赤に充血している。
「どうしたシャーリィ、落ち着けよ」
「……シンペイ様? ご無事なのです!?」
「そうだよ。ちょっと仕事に行ってただけだよ」
「よかった、よかったですぅーー!」
シャーリィはその場で膝を着いて泣き始めた。どうして良いか分からなくなり、とりあえず頭を撫でてやった。すると、多少は会話できる程度には持ち直した。
「シンペイ様が、騎士どもに連れてかれたって、兄さんが言うから……」
「いや、そう見えたかもしんねぇけど。別に捕まった訳じゃないんだよ」
「だから私、ヴァーリアスを火の海にしてやろうって。そのあとは騎士どもの首をはね飛ばして、血の雨で鎮火してやろうって思ったです」
「うん、それは思うまでに留めておけ。出来れば思い浮かべるのも止めてくれ」
相変わらずの危険思想だ。これを矯正するのは可能なのか、出口が見えない想いだ。そんな会話を重ねていると、再び茂みが揺れた。そこから現れたのは、もしかしなくてもフレッドだ。
「ありがとう。シャーリィを落ち着かせてくれたんだね」
「フレッド、頼むよマジで。コイツかなり誤解してたぞ」
「一応丁寧に説明したんだけどね。シャーリィは割と話を聞かないタイプなんだ」
「それはまぁ、知ってるけど」
安堵の表情を浮かべるフレッドに、少し尋ねてみたくなった。もしかすると、爺さんへの土産話が聞けるかもしれない。
「フレッド。お前はここいらの貴族についてどう思う? 統治法とかさ」
「なぁにそれ。危うく妹を奴隷にされかけた僕に聞くのかい?」
「うん、まぁ、恨み言しか出てこねぇよな」
実際そのようになった。フレッドはいかに自分らが虐げられてきたか、餓えと渇きがどれほど辛いかを、とても丁寧に語ってくれた。そして締めくくりには『貴族なんか全員死ねば良い』だなんて、彼らしからぬ言葉まで飛び出した。
こんな土産話など持っていけない。リサーチ相手の選定が重要であるのは、地球のビジネスシーンはもちろん、異世界でも変わりがないのだと思い知らされた瞬間だった。
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