第30話 季節の香り
男は意外にもノースガヤの名前を口にした。そこはオレが何度も足を運んだ村であり、先日の奴隷館襲撃を起こした場所でもある。
それを改めて考えると衝撃的な話だ。毎日賑やかに商いを繰り返す平和的な人たちが、その裏で大それた事を企んでいたのだから。
しかしヤハンナは顔色を変えていない。いつもより低い声で尋問を開始した。
「改めて問うぞ。貴様はその村に雇われて、魔獣によって街道を脅かした。そうなのだな?」
「あぁ間違いねぇよ。喋ったんだから続きを見せてくれよ、ホラ」
「それは洗いざらい話してからだ」
「チッ。ケチくせぇこった」
男は唾でも吐きたそうに横を向いた。こうして眺める顔はムカつくくらい整っている。イケメンなんだから女の裸を見飽きてそうなのに、と思わなくもない。
「なぜ街道で騒ぎを起こした。何者かを襲うつもりだったのか?」
「当たらずも遠からずってヤツかな。別に魔獣をけしかけるつもりはなかった」
「ではなぜだ」
「足止めだよ、足止め。街道で魔獣が溢れてるって事になれば、奴隷商人はヴァーリアスへの移送を諦める。大事な『商品』に傷がついちまうからな」
「では貴様らの狙いは、奴隷商人だったと言うのか?」
「そうだよ。ヴァーリアスへの道が封鎖されれば、やがて直接王都を目指しただろう。人里離れた暗く長い森を進んでな。騎士団も街の警備に回されて、護衛もだいぶ減った事だろうよ。後は大勢で囲んで襲うつもりだったんだが……」
そこまで言うと男は笑い始めた。やがて声は高くなり、牢屋にうるさく響くようになる。
「何がおかしい」
「これが笑わずにいられるか。せっかく計画を立てたのによ、奴隷館はもう潰されてんだぜ」
「では、奴隷を解放したのは貴様ではないのだな?」
「あたり前よ。直接乗り込んで潰す気なら、始めから街道で騒ぎなんか起こさねぇよ」
「ふむ、そうか……」
ここでヤハンナがこっちに振り向いた。いまだに眼は鋭い。
「後の尋問は我々がやる。シンペイ殿はこの辺りで十分だ」
「そうかよ。続きが気になるけど」
「報酬を渡そう。1度地上まで来てもらおうか」
踵(きびす)を返してヤハンナ達が部屋から出た。オレもその後を追う。
「待てよ、あの本を見せろ!」
男のがなり声が追いかけてくる。
「確かに約束を破るのは良くないよな」
前のめりになる男からも見えるよう、見開きにして本を床に置いてやった。露わになる豊かに膨らんだ純白の丘と、そこに咲く小さな桃色の花。どこのとは言わないが、麗しくも艶(なま)めかしい毛の流れ。
次の瞬間に男は眼をカッと見開き、そして白目を剥いて気絶した。せめて安らかに眠れ。本は選別代わりにくれてやる、オレにはもう不要な物だから。
「どうしたシンペイ殿。早くしてくれ」
ヤハンナに呼ばれてしまい、早足になって再び追いかけた。
そうして地上まで出ると、広々とした青空が迎えてくれた。オレを歓迎するように微風も吹く。思わず伸びをして、鼻から息を吸い込んだ。
「あぁ、空気ってこんなに美味いんだなぁ」
「シンペイ殿。私は謝礼金の手続きをしてくるので、少しだけ待っててくれないか」
「ここで? 周りには何もねぇんだが」
「すぐ戻るさ」
そう言うとヤハンナはいずこかへと歩き去って行った。しかも護衛の騎士を1人だけ残して。
2人きりは気まずい。いっそのこと独りほっぽり出された方がマシってもんだ。こんな時は軽く世間話でもするもんだろうか。例えば「良い剣だな、舶来品か?」くらいの話題を振るべきかもしれんが、残された騎士はこれまた仏頂面だ。話しかけるべきか悩むくらいには。
そうして押し黙っていると、何人かの足音が聞こえてきた。血相を変えたメイド達が隣の騎士に駆け寄ると、短い耳打ちをした。それで騎士も慌てた様子になり、メイドたちと一体になってどこかへと消えていった。
そうなるといよいよ一人ぼっちだ。
「……ちょっとくらい散歩しても構わねぇべ」
ここからは、本城に隠れるようにして庭園が見える。たいして遠くはないし、そこを眺めるくらいは許されるだろう。
「へぇ、さすがは城の庭だ。結構キレイなもんじゃないか」
近寄って見えた全景はなかなか見応えのあるものだった。人工池の回りに植えられた木々は紅葉で彩られ、赤茶けた輝きに眼が奪われるようだ。季節の花も甘い香りを漂わせ、それが土の臭いと混ざりあい、心の隅々まで染み込むほどに濃厚だった。
この胸を打つような爽快感。例えるなら、女子大生の集団が放つ残り香に似ているかもしれない。園芸サークルとか、農学部の子達が放つような匂いに。
「おや。見慣れぬ人が居るね。どなたかな?」
声の見る方を振り向いてみれば、長椅子に腰掛ける1人の老人が見えた。優しげな顔で好々爺といった感じだ。世が世なら、コイに餌でもやってる様な人だろう。
「ええと、オレは怪しいもんじゃないんだ」
「そうかい。まぁなんとなく分かるとも、悪人じゃないって事くらいは。だが城の者でもないな?」
「ヤハンナに連れてこられたんだ。魔法での仕事があって……」
「おぉ、ではそなたが塔の魔術師殿か。思っていたより若いのだな」
老人が重たい腰をずらし、椅子の端に寄った。
「立ち話では忙しない。ここに座ってはくれんかね」
そう囁く老人の顔は穏やかだった。そこへまた微風が吹く。それはどこか、オレの背中を押したいかのようだった。
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