第29話 万能言語を活用せよ
窓の外から聞こえる蹄(ひづめ)の音で眼が覚めた。ノロノロと身体を起こそうとすると、続けて強い声まで聞こえてきた。
「シンペイ殿はご在宅か。ヤハンナだ!」
朝っぱらからうるせぇなと思うが、時計の針を見れば9時を過ぎた頃だった。この眠気とダルさ。きっと毎晩のように繰り広げられるシャーリィとの追いかけっこのせいだろう。
そんな恨み言はアクビに沈め、とりあえず出迎える事にした。
「おお良かった。不在だったら困っていたところだ」
ヤハンナが微笑みを向けてきた。用件は奴隷館の襲撃についてだろうか。だとしたら無用に疑われる訳にはいかない。ここは絶妙な演技力を発揮して乗り切らねば。
「おっす。こんな早くから見回りか。奴隷商人を襲った連中でも探してんのか?」
「なんだ、随分と耳が早いな。まだ事件から日も浅いというのに」
やばい、いきなり地雷をブチ抜いたか。ヤハンナの視線が少し窺う感じになっている。どうにかリカバリーしろ、オレの魂よ。
「そりゃ噂になってたからな。北の村をうろつくだけでも、嫌でも聞こえちまうよ」
「確かにノースガヤは商人が集まっているな。さぞや多くの情報が飛び交っていた事だろう」
「まぁ良いや。オレに何の用事だ?」
「実はな、とうとう捕まえたのだ。魔獣騒動の犯人を」
「本当か?」
「あぁ。ヴァーリアス城の地下牢に捕らえてある」
ヤハンナは更に言葉を続けたが、顔色は優れない。手柄を喜んでいるようではなさそうだ。
「巡回中に不審な男を見つけたのだ。人相書きに酷似していたので、調べてみると作戦指示書なるものを持っていた。それが決め手になったな」
「ふぅん。だったら事件解決じゃねぇの」
「背後に潜む組織を調べたい。どうやら黒幕がいるようなのだ」
「その指示書から辿れないのか?」
「手がかりになるものは何も無かった。だから犯人の口を割らせたいのだが、どうにも難航していてな」
「そんな時って拷問でもするんじゃないのか」
「既に実行済みだ。だがコイツはなかなか腕の立つ魔術師らしく、魔法で切り抜けられてしまうのだ」
ここまで聞いてようやく納得がいった。だからオレん家までやって来たのか。
「オレにやれってんだろ。同じ魔術師として」
「理解が早くて助かる。ご足労いただけるか?」
「どうせ断っても連れてく気だろ、行くよ」
「済まない、恩に着る」
話はそこで一度まとまったのだが、少し厄介な事態になる。小屋の方からフレッドが現れたのだ。
「えっ……騎士!?」
これはヤバい。子供達をヤハンナに引き合わせるのは危険だ。
「フレッド。オレは仕事で出かけるから、後を頼んだぞ」
「う、うん。気をつけて……」
「さぁ行こうヤハンナ。犯人をギッチギチに締め上げないとな」
「シンペイ殿。あの子達は何者だ?」
「ちょっとした縁から保護してるんだ。いいから行くぞ」
有無を言わさずフワリングで飛んだ。出だしからかなりの速度が出ている。ヨハンナ達も馬を疾走させなきゃ追いつかないくらいに。
「スピードを落としてくれ、馬がもたない!」
そんな懇願を耳にしつつ、オレ達は都へと向かった。道を封鎖するバリケードを何度か抜けると、大平原にポツリと佇む城塞都市が見えた。城壁は何重にも張り巡らされ、中心にゆくほど建物が上等なものになる。きっと中では、貴族だ平民だなんて区分で住み分けがされてるんだろう。
「シンペイ殿。正面ではなく裏手に回ってくれ」
ヤハンナの求めるままに進んでいくと、城の裏側に着いた。細長い階段を延々と昇り、城壁の高さに比べチンマリとしたドアを潜る。そうすればそこは城内だった。
石造りの巨大な城。ネットやゲームでしか見たこと無いオレからすると、まさに圧巻という感じだった。
「こっちだ。来てくれ」
またもヤハンナが誘導する。庭の端っこにポツリと建つ建物の、これまたチンマリとした扉が開かれる。その先は地下へと続く階段だ。設置型の松明はあまりにも弱く、奥は真夜中よりも暗かった。それにこの臭い。ただの湿気だけじゃなく、胃液を逆流させかねない不快な臭気が漂ってきた。
オレ以外は全員慣れたものだ。何の躊躇もなく階段を降っていく。仕方なく後をついていくが、今にも鼻がひん曲がりそうだ。とりあえず唇を真横に歪めては、浅い口呼吸を繰り返して堪える事にした。
「団長、中に変わりありません!」
見張りの兵が飛び上がって敬礼した。ヤハンナ達は片手をあげて素通りした。そうして牢屋へと辿り着く。
長い通路を挟んで無数の牢が並ぶ。中は無人だったり、傷だらけの男がうずくまっていたりと、まちまちだ。
「んで、例の犯人とやらはどいつだ?」
「ここの更に奥だ。何せ特別待遇だからな」
やがて突き当りにまでやって来ると、眼の前の扉を開けた。その瞬間に強烈な臭いが這い寄り、嗅覚越しの頭痛が走った。この世の物とは思えない臭気の中、やはりヤハンナ達は平然と足を踏み入れていく。安請け合いするんじゃなかったと後悔しても、既に手遅れだった。
中は6畳くらいの部屋で、中央には両手を吊り下げられた男が居た。これまでどんな扱いを受けてきたのか。色々と推察出来るが、考えるのは止めておこう。
「起きろ。団長のお目見えだぞ」
お供の若い騎士が手桶の水をブッかけた。男は頭から被り、ずぶ濡れになる……と思ったのだが、結果は違った。
「うるさいな。誰が来ても同じだぞ」
男は毛先すら濡らしてはいなかった。眼を凝らすと、彼の周囲には半透明の壁のような物が出来ており、それが水を防いだらしい。
「見たかシンペイ殿。始終この調子でな。どんな責めを試しても効果が無いのだ」
「なるほどねぇ。どうしたもんかな」
そっとアドミーナに尋ねてみる。対処法を知っていたらと思ったのだが、答えは割と残念なものだった。
「魔法壁を破るには上級である解呪魔法を使うか、攻撃魔法による破壊の2択となります」
「解呪魔法なんて知らないな。オレに使えんの?」
「現時点では中級が限度となります」
「じゃあ攻撃の一択になるか」
「魔法で打ち破るのは可能ですが、余波で城が崩壊します。くれぐれもお気をつけください」
いや、それもダメだろ。シレッとぼざきやがってアドミーナこの野郎。
こうなったら工夫するしかない。城と心中だなんて絶対に嫌だ。死ぬ時はクロエの胸の中でと決めている。
「ヤハンナ。尋問の為に外へ連れ出して良いか?」
「それは勘弁してもらおう。万が一でも逃げられる訳にはいかない」
「まぁ、そうだよな」
これは難しい依頼だ。魔法で守られた男から情報を引き出すにはどうすべきか。拷問の類が不可能となると、本人から自ずと喋らせるしかない。
そうなると弱点を突く必要がある。だが見ず知らずの男の弱みとは何か。個人差までは考えず、割と一般的と言うか、汎用的な責め方とは何か。
その時、ふと閃く物があった。
「……これならイケるかもしんねぇな」
「おお。シンペイ殿、目星がついたか?」
「ちょっと1度家まで戻る。準備が必要なんだ」
「分かった。見張りには話を通しておくから、行ってくると良い」
そうしてオレは文字通りに飛んで帰った。部屋に戻るなりダンボールを開いて、中をひっくり返す勢いで探し始めた。
やがて一冊の本が見つかる。状態は悪くない。それを小脇に抱えると、再び牢屋へと戻ってきた。
「早かったな。準備とやらは済んだのか?」
「当たり前だ、ホラ」
「何だこれは。画集にしては随分と精巧じゃないか。まるで本当に生きてるかのようだ」
「これはな、ヘアヌード写真集だ」
「へ、へあぬーど?」
「現代科学の結晶みたいなもんだ。すげぇだろ」
「イカガク……?」
「ともかくアレだ。オレに任せとけ」
効果があるかは分からん。だが試してみる価値はありそうだ。視覚情報とは、時として百万の言葉を凌駕する、と思う。
繋がれた男と向かい合った。オレを出迎えたのは、不敵な笑みだった。
「何をやったって無駄さ。口は割らねぇし、簡単に殺されもしねぇ」
「強がりはコレを見てからでも遅くはないぞ」
手始めに表紙を見せつけた。そこには美しくもグラマラスな女性が、目映い水着姿で写されている。抜群のプロポーションは、異世界人を相手にしても通用するのか。
「な、何だそれは……!」
ちょろい。これだけで釘付けだ。意外と交渉は簡単かも知れない。
「美人だよな、ほんと。オレも表紙につられて買ったもんだ」
「こんな物を一体どこで」
「まぁまぁ。細かい話は抜きにしようか。それよりも、この美女の裸が拝めるとしたらどうよ」
「何ぃ!?」
「これは魔法の画集でな。いつでも好きな時に裸体を見れるっつう、夢みたいな本なんだ」
ゴクリと唾を飲む音。あと一押しか。
「でもなぁ。口を割らないヤツに見せてもなぁ」
ほんの少しだけ表紙をずらす。すると、中のページが露わになり、被写体のふくらはぎだけが見えた。均整のとれた形は心躍るほどで、そのフェチの人が見たら卒倒するに違いない。
だが男は堪えてみせた。中々に根性がある。
「こ、これしきの事で……!」
「そうなの? こんなにもキレイなんだがなぁ」
もう少し表紙をめくってみる。すると魅惑の曲線を描くフトモモが飛び出してきた。絶妙に引き締まった足はとにかく垂涎もので、顔をうずめて窒息死したくなるほどだ。
もし仮にこんなクッションが合ったとしたら、オレは全財産を投じてでも買っただろう。実家を売り払ってでも求めたに違いない。そう惑わすほどの脚線美。これには流石に陥落を免れない。
「ぐぬ、ぐぬぬ……」
男は口を割らない。あと一押しが強固だった。こんな時はゴリ押しせず、緩急をつけるのが得策か。
「そっか。んじゃあもう良いよ」
オレは勢いよく本を閉じると、すぐさま小脇に抱えて立ち去ろうとした。すると背後から金切り声が追いすがる。
「オレを雇ったのはノースガヤの連中だ!」
落ちた。これからはビックリするくらいスムーズに喋ってくれるだろう。
「さぁヤハンナ。色々と質問してみっか」
「……こんな下世話な拷問は、古今東西ないだろうな」
ヤハンナは呆れたように首を捻るが、それはまだ世の中を知らないだけだ。エロスは万能言語。それは異世界ですら通用するコミュニケーションなのだ。
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