第17話 小指の約束
村の郊外で、馬車の前に並ぶ3人と向き合った。その背後に伸びる街道では、どこかへ向かおうとする馬車や通行人の集団で、それなりに混雑している。やがてクロエ達もその中に混じるのだろう。
「魔術師様。この度は娘共々、大変お世話になりました。感謝の言葉もないとは正にこの事でございます」
「気にしないでくれ。そういう縁だったんだよ」
「今は大したお礼もできませんが、せめてこちらを」
差し出されたのは下ぶくれに膨らんだ麻袋だ。中を確かめてみると、そこには銀色に輝く板が何枚も詰め込まれていた。
「これは……?」
「1000ディナ入っております。恩義には到底見合わない額ですが」
「こんなに貰って平気なのか? お金はギリギリだったと思うんだが」
「いえいえ。必須の塩に交易品、それから多少の路銀を確保した上でのお礼です。馬車の修復代を浮かせたので、かなりの余裕が生まれました」
「大丈夫なのか、本当に? 少しでも多く手元に残していたほうが安全じゃないか」
「私も商売人の端くれです。これだけの資本があれば、必ずや軌道に乗せてみせますよ」
そう言ってセルシオは白い歯を見せた。受け取る以外の選択肢はないだろう。
「分かった。ありがたく使わせてもらうよ」
「いずれ大きな利を得た頃には、改めて参上致します。真の恩返しの為に」
「気にするなって言ったじゃないか。とにかく、元気でな」
セルシオに手を差し伸べると、すぐに堅い握手が交わされた。その力強さに頼もしさを感じつつ、手を離す。
オレは次にヤミールの前に歩み寄った。彼女と視線が重なるなり、深々としたお辞儀によって迎えられた。ここ数日を振り返れば、直接会話した記憶が無い事に気付いた。
「家族揃ってお世話になったわ。心から感謝してる」
「別に苦労はなかったよ。むしろ、一人暮らしの寂しさが和らいだくらいさ」
「そう言ってもらえると、私達も少しは気が楽になるわ」
「クロエの事、よろしく頼むぞ」
「もちろん。たった1人の妹だもの」
オレが微かに頷(うなず)くと、ヤミールも深くと頭を下げた。元気な妹のお目付け役としては、丁度良い落ち着き加減だと思った。
そして最後に一歩進む。眼前には、歪な笑顔を浮かべるクロエの姿があった。
「魔術師様……」
今、どんな言葉をかけてやれば良いんだろう。あらかじめ、セリフをいくつも用意しておいたのに、いざとなると1つも浮かんでこない。そして言葉を漁ろうとする程、目頭が熱くなるのを感じた。
これではいけない。笑顔、笑顔。言葉が出ないなら、せめて口角だけでも笑っていようと思う。
「魔術師様。短い間だったけど、私にとって夢のような時間でした。何もかもが新しく、刺激的で、そしてすごく穏やかで」
心地よい声が耳を伝い、胸を熱く焦がす。
「気に入って貰えたなら嬉しいよ」
ようやくひり出せたのは、何とも味気ない言葉だった。
「ところで、この腕輪はどうしましょうか?」
「腕輪……あぁ、それか」
アドミーナが用意した琥珀色の入館証の事だ。オレとしては預けたままで構わない、いや、ささやかでもクロエとの繋がりは残しておきたい。
「それは皆にあげるよ。もし近くを通りがかったら、気軽に訪ねてくれ」
「良いのですか? 高価な品にも見えますが……」
「再発行する方が面倒なんだ。受け取ってくれないか」
それに根拠は無い。ただ、こんな言い回しをすると、クロエは応じてくれる事を知っている。
「それではお預かりしますね。大切にしますから」
「道中は気をつけるんだぞ、クロエ」
「魔術師様も。どうかお元気で」
いよいよ本当の最後だ。せめて握手くらいしておきたい。しかし、そう申し出る勇気が無く、ただ見つめるばかりになる。
やがてクロエ達は馬車に乗り込んでしまった。ゆっくり、ゆっくりと影が遠ざかってく。道は上り坂になっていて、小さな峠を越えたなら、それすらも見えなくなるだろう。
「これからどうしようか……」
目的を無くしたオレの胸に、秋風が通り抜けていくようだった。手元には銀貨の重みがある。それでも、クロエを失った苦痛を埋めてくれるとは思えなかった。
まさか三十路を前にして『彼女さえいれば金なんか要らない』だなんて青臭い気持ちを抱くとは、微塵も考えはしなかった。過酷なサラリーマン時代に叩き潰されたハズの、甘くも懐かしい感覚。それが今、大きく空いた胸の風穴から垣間見えるのだ。
だが、この境遇を前にして、何の意味があるだろうか。こうして離れ離れになる運命は止められないのだから。
「あれ……どうしたんだろ? 」
クロエ達を乗せた馬車は、何故か峠の頂上で動きを止めていた。そして中から飛び出す人影。クロエだ。彼女は1人だけで、坂を駆け下りてきたのだ。
そうして時々転びそうになりながらも、一息で走り続け、ついにはオレの前まで戻ってきた。その頃にはスッカリ息があがっており、両手を膝に乗せて荒い呼吸を繰り返した。
「クロエ……?」
息が整う間、期待した。結局はオレを選んでくれた事に。またあの部屋で面白おかしく暮らせる事を。
しかし彼女から告げられたのは、予想を上回る言葉だった。
「すみません、1つ大事なお話を忘れてしまっていて!」
「忘れてた事? 何かあったかな」
「あの、私ってお弟子さんにしてくれたのに、まだ何も教わってませんでした」
「弟子……。あぁ、あの話か」
この瞬間まで忘れきっていた。いつぞやの晩に、確かにそんな約束を交わした気がする。
「なので、その、厚かましいとは思いますが! お暇な時に魔法を教えてもらえませんか?」
「クロエは魔法に興味があるんだったよね」
「そうなんです。もちろん、無理にとは言いません。やる事がなくて、庭の落ち葉を数えちゃうくらい、暇を持て余した時とかで結構ですから!」
身振り手振りを激しくさせながら、クロエは必死そうに懇願した。その姿が愛らしく、どこか喜劇的に感じて、思わず吹き出してしまった。
「あの、一応は真面目なお願いなんですけど……」
「ごめん、つい面白くなっちゃって。魔法だったらいつでも教えてあげるよ」
「ほんとですか!?」
「もちろんだよ。約束する」
オレは小指を立てた拳をつきだした。指切りげんまん。この世界でも通じるかは知らないが、とりあえず試しにやってみた。
だがクロエは目を丸くするばかりで、一向に手を出そうとはしない。
「あの、魔術師様、これって……」
「約束しようとしたんだけど、もしかして知らない?」
「ええと、噂くらいには知ってますが」
「なら話は早い。お互いに小指を絡め合うんだよ」
「はい。作法も聞いた事はありますが……」
クロエはそう言いはするものの、両手でスカートの裾を握りしめたままだ。オレ達はこれまで何度か肌を触れ合ってきたけども、全てが差し迫った状況下だった。もしかすると、彼女は接触するのを快く思っていないのかもしれない。
「オレが相手じゃ嫌かな?」
「いえいえ! 決してそのような事は!」
「その割には手を出さないじゃないか」
「えっと、その、魔術師様こそ良いんですか? 私なんか貧乏人だし、貴族様みたいにキレイじゃないし」
今ひとつ話が見えてこない。魔法の習得とどんな関係があるんだろうか。まさかとは思うが、謝礼みたいなものを気にしているのかもしれない。
「細かい事は気にしなくていい。オレは相手がクロエだから言ってるんだ」
「あの、その……本気なんですか?」
「オレは君とは、真正直に付き合っていきたいと思っている」
「わ、わ、分かりました!」
震える小指が、そっとオレの指先に寄せられた。そこで指を絡めとり、繋ぐ。歌は歌わない。ただ数回ほど軽く揺すっただけだ。
「魔術師様。私、本当に信じちゃいますよ……?」
「こんな時くらい名前で呼んでくれ」
クロエの顔がいよいよ真っ赤に染まる。耳まで赤いというヤツなのかもしれない。
「し、しし、シンペイ様! 信じます、貴方の事を信じます!」
「約束したからな、クロエ。いつか必ずオレの元へ帰ってきてくれ」
互いの小指が名残惜しそうに離れる。その一部始終が、無性に嬉しく感じられた。クロエの頬はどこまでも真っ赤で、耳まで染まっている。視線もあらぬ方を向いているし、なんだかムズ痒さみたいなものが感じられた。
「それじゃあ、気をつけてね」
「あの、すぐ帰りますから! シャマーナで仕事を終わらせたら、すぐに帰ってきますから!」
懸命に伝えようとする仕草、表情、声色。なんて愛おしいのだろう。許されるなら、力強く抱きしめたいとすら思う。
「待ってるから、安心して行っておいで」
「2ヶ月くらいだと思います。でもひょっとしたら、もうちょっとだけ遅くなるかもしれません!」
「大丈夫だって。2ヶ月でも2年でもちゃんと待ってるから」
「ありがとうございます、行ってきます!」
クロエは飛び出したように駆け出すと、やがて馬車に乗り込んだ。遠くでセルシオが会釈を送ってきたのを最後に、彼らはようやく出立した。
しかし不思議な事に、オレの心境は別物に塗り替えられていた。胸の内は春風に包まれたように暖かで、ほのかに甘い。クロエに魔法を教えるという、次なる目的を見つけられた事も嬉しかった。
――ご多忙の中恐れ入ります。アドミーナです
不意に聞き慣れた声が体内に響き渡る。せっかくの余韻を汚された様な気にさせられた。
「聞いてたのかよ、お前?」
腕輪に向かって話しかけると、明瞭な声で返事があった。
「お見事な手腕にございました。ヒトの女とは、あのようにして惹きつけるのですね」
「何の話をしてんだよ」
「さっそくですが、住民情報の更新をさせていただきました。婚約者にクロエ様と……」
「だから、さっきから何の話をしてんだっつの!」
「この世界において、指を慈しむように絡めあう事は、求愛を意味しています」
「えっ、何それ知らねぇぞ!」
「特に、互いの名を呼び合いながらですと、最上級の表現となります」
「じゃあさ、別れ際のアレって……」
「言うなれば、『お前はオレのもの』と、お互いに宣言しあったようなものでしょうか」
「マジかよおいィィーーッ!?」
恥ずかしい。いや恥ずかしいなんてもんじゃない。知らなかったとはいえ、オレは何の脈絡もなく公衆の面前でプロポーズしたってことか。あんなに長々と、しかも堂々と。
そりゃクロエも赤くなるわ。真っ赤になって躊躇するわ。つうか最終的にはオッケーもらってるしアアァァあぁキャッホォーーッ!
「マジかよ異世界おっかねぇ……」
「重ね重ね、タキシンペイ様の手腕には脱帽いたしました。いつぞやの夜は、クロエ様を手篭めにするべく腕輪を操作したのですが、それも無用な事でした」
「ちょっと待て。なんだその話?」
「クロエ様が無防備に寝入っておりましたので、手早くタキシンペイの物と出来るよう、腕輪に強烈なる魔力を送りまして……」
「あれはお前の差し金だったのか! おかげで夜通しの瞑想まで強いられたんだぞ!」
「安易な発想でございました、お許し下さい」
「二度と妙な真似をすんな。絶対だからな!」
やたらと右手(よくぼう)が荒ぶった夜が鮮明に思い出された。あの謎の騒動は、オレがエロいせいじゃなかった。全部アドミーナの仕業だったのだ。自発的な感情じゃ無かったと知り、少しだけ安心したが、もちろん穏やかとまではいかない。心の中は真夏の嵐みたいに荒れ狂っていた。せっかくの余韻が台無しなんてもんじゃない。
さっきの春風を返せ、アドミーナこの野郎。
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