第16話 老婆の怪
翌日は宣言通りに、空が赤いうちに出発した。車内にはしばらく眠気がつきまとったが、目的地が近づくにつれ、意識は徐々に覚醒へと向かった。
まだ早い時間だというのに、やたらと通行人が目についた。馬車の数も少なくない。その方向から、もしかすると目的地が同じなのかもしれない。
「お待たせしました、ようやく到着ですよ」
セルシオが村の郊外で言った。ここがどんな名前なのかは覚えていない。マンションからそれほど遠くはないので、今後もお世話になりそうと思っただけだ。
「では、私達は買い付けに向かいます。魔術師様にはクロエをお付けしますので、観光を楽しんでいただければ」
「良いの、父さん?」
「恩人を雑用に付き合わせる訳にはいかないだろう。頼んだからね」
「うん、任せといて。それじゃあ行きましょう、魔術師様!」
クロエが声を弾ませると、真っ先に馬車を降りていった。その姿につい苦笑を浮かべつつ、すぐに後を追いかけた。
一緒になって歩き出した時、ふと思った。これはデートなんじゃないか。小学校の時、コンビニでクラスメートと偶然はち合わせた事件を除けば、人生で初の体験だった。思い出作りとしては最上級のものかもしれない。
「ここはですね、スゴイんですよ。キノチトやマーグーンとか、キャスリーバ地方なんかの名産品が集まってるんです」
その言葉の通り、辺りの賑わいには眼を見張るものがある。村の規模そのものは大きくなく、大小の家々が20軒あるくらい。注目すべきはその外側のエリアだ。
そこには数え切れない程の露店が整然と並んでいる。多種多様な品々が集められ、それを目当てに訪れた人々が肩を擦り合わせる程の賑わいとなっているのだ。そのせいで、オレはクロエと縦並びになって歩かざるを得なかった。レトロゲームみたいなノリで。
「かなりの人混みだ。よっぽど立地が良いんだろうな」
「この村でなら大抵の物は手に入るみたいです。そのかわり現地で買うより割高だって」
「金を惜しむか、時間を惜しむかって所なんだな」
クロエの言葉も大げさでは無さそうだ。食品に衣服、木彫りの民芸品やら武器防具なんて物まである。
その中でも気になったのは食い物だ。例えば生魚や干物。アジとか鯛だの小海老やらと、馴染み深い物も多く見られたが、深海魚のような不思議な形をした品種も少なくない。
果物もミカンらしきもの、スイカやらキンカンみたいなものが山のように積み上げられていた。こうして眺めていると、1つくらい味見してみたくなる。
「美味そうだな、ちょっと買ってみようか」
せっかくのデートだ。クロエにも好きなものを買ってあげるとしよう。
「ええと、どれも1個5ディナですって」
「ディナ……お金の単位か」
ここで致命的なミスに気付く。オレはこの世界の金を一銭も持ち合わせていない。それこそ子供の小遣い程度の物すら手に入らないのだ。
まずは目先のピンチを脱しなくては。クロエに無一文である事を気付かれたくない。嘘を吐いてごまかすか、それとも正直に話すべきか悩ましい。
とりあえずポケットをまさぐるフリを続けるが、いつまでも持ち堪えられるものではなった。そうして修羅場に苦しめられていると、不意に遠くから声をかけられた。
「おやまぁ坊やたち。随分と変わった相をしているねぇ」
そちらを振り向いていると、そこには一際小さな露店があった。天井は1枚布、柱には木の棒を立てただけの簡素な店に、老婆が1人だけ座っていた。腰の曲がりきった高齢者だが、妙に鋭い眼光が警戒心を呼び覚ますようだ。
「今のはオレ達に言ったのか?」
「そうだともそうだとも。あたしゃ一応は名の知れた占い師でねぇ。この道80年やってきたけども、アンタみたいなんは初めてさね」
「悪いが、占いの類は信じてない。他を当たるんだな」
そもそも金が無い。よそへ移ろうとしたのだが、老婆の声が止めにかかる。
「お代ならいらないよ。珍しいもんを見せてくれた礼に、特別タダで占ってやるよ」
「魔術師様、無料なんですって」
クロエが眼を輝かせてオレを見た。あぁ、そういうのが好きな年頃か。もはや選択肢など有って無いようなもので、とりあえず観念することにした。
「そこまで言うならやってくれ。手短にな」
「せっかちな坊やだねぇ。さぁさぁ、そこにお座んなさい」
老婆が折りたたみ式の椅子を2脚出して、そう促した。とりあえずクロエと並んで座る。
顔を老婆の方へ向けてみると、いつの間にか両目をカッと見開いて、オレ達を交互に睨みつけていた。もう占いとやらは始まっているらしい。
「ど、どうですか?」
クロエが遠慮がちに言う。老婆は問いに答えず、しきりに唸り声をあげては独り頷いた。
「見える、見えるよ。アンタらの未来が手に取るようにねぇ」
「未来……ですか」
「坊や。アンタにはこれ先に途轍(とてつ)もない運命が待ち受けてるよ。それこそ世界の行方や在り方を左右するような、とんでもない運命がね」
「そんな、魔術師様どうしましょう!」
「クロエは期待通りのリアクションするなぁ」
「覚えとくんだよ。困難を乗り切れるか、そして世界を導いていけるかは、アンタ達の絆次第さ」
「私と魔術師様の……絆?」
「下手したら何もかもが滅びちまうかもしんないから、くれぐれも仲違いせんように。もっとも、滅多な事じゃそうはならんかね」
何がおかしいのか、老婆は引きつった風に笑った。そこまで聞いて、やっぱり占いなんてアテにならないと思う。
何が絆だ。もうしばらくすれば、クロエとは離れ離れになってしまうんだ。セルシオの買い付けが終わるまで、残された猶予は僅かしかない。
スマホやパソコンのある世界ならいざ知らず、この環境下での距離は致命的だ。ほんの数日を過ごしただけの男を、クロエはいつまで覚えていてくれるだろう。
そこまで考えて、止めた。後に残ったのはやり場のない怒りだけだ。
「婆さん、そろそろ良いか。オレたちは他にも回りたい所がある」
「なんだい、もう行っちまうのかい。始まったばかりじゃあないか」
「占い目的で来たわけじゃないからな。クロエ、行こうか」
「わかりました。お婆さん、為になる話を足がとうございました!」
「構いやしないよ。お前さんはその素直さを大切にするんだよ」
「分かりました、そうしますね」
「坊やも忘れんじゃないよ。絆が大切なんだかんね」
老婆は去り際でも口やかましかった。完全に背中を向けたオレにすら話しかけようとする。
もう勘弁してくれ。クロエの腕を引きつつ足早に立ち去ろうとした、その時だ。思わず耳を疑うような言葉が投げかけられた。
「達者でな。地球人の坊や」
「えっ……!?」
振り向いた時には、もう老婆の姿は無かった。それどころか、例の粗末な露店さえも無い。今は相応の空きスペースだけが、不自然な空間をポツリと生み出されている。
「何モンだよ、あの婆さん……」
地球の話は一度として口外してはいない。それこそクロエにだって打ち明けた事はないのだ。なぜあの初対面の婆さんが知り得たのか、何度頭を捻っても答えは見つからなかった。
「魔術師様、サーカスが来てますよ! ニャンコロ舞いが始まるんですって!」
いつの間にか道の先に居たクロエが叫んだ。オレは仕方なくその場から立ち去った。後ろ髪引かれるような、そんな気分で。
クロエが先導する一帯は人だかりが出来ていた。どうやら馬車の前に簡易的なステージが作られ、そこで公演するつもりらしい。前列で見物するには金が必要だが、後ろから見る分にはタダで済んだ。
「うぅん。あまり見えませんね」
「この人混みじゃ難しいよな」
頭を左右に振っても、演者の姿は群衆に隠れてしまい、ロクに楽しむ事は出来なかった。感じ取れたのは僅かなお祭り気分だけで、何一つ理解できないままに演目は続いていく。
そんな折の事だ。セルシオがヤミールを伴って、オレの方に向かって歩いてきた。それだけで自覚した。とうとうその時は来たのだと。
「どうでしょうか、観光の方は?」
「楽しくやらせてもらってるよ。賑やかで退屈しない」
「それは何よりです」
セルシオは少し喋りにくそうだ。少し視線を彷徨わせては口ごもり、咳払いで何度か喉を鳴らした。だがそれも長くは続かない。ようやく腹が決まったのか、ハッキリとした口調で告げられた。
「我々の為すべき事は終わりました。これより急ぎシャマーナへ向かおうと思います」
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