第15話 月明かりのあなた

 馬車の修復という大仕事を終えたのだから、後はゆっくり自宅で過ごそう……なんて話にはならなかった。


 セルシオは「とにかく時間が惜しい」と塩の買い付けを希望し、娘のヤミールもそれに同意する。だったらオレ達もという流れになり、結局は全員で馬車に乗り込む事にした。


「塩っつうと、やっぱり海辺まで行くのか?」


 これから何日かけて走るのが気になる所だ。


「そこまでは戻りません、様々な品物が集まる大きな村を目指します。恐らく明朝には到着できるかと」


「そんで、塩を買ったらヴァーリアスの都に向かうのか。慌ただしいな」


「いえ、本来はその予定でしたが、時間がありません。お届け先であるシャマーナへ直接向かおうと思います」


「シャマーナ?」


「ここから南西の方にある地域です。馬車で片道1ヶ月前後といったところでしょうか」


「結構遠いんだな」


 その時はやっぱりクロエも付いて行くんだろう。そうだとしたら、彼女は別れについてどう思うのか。寂しがったり、涙ぐんだりして、最後の時間を迎えてくれるのか。


 軽く聞いてみたい気持ちになったが、止めた。それだけの勇気が湧いてこない。今は余計な事を考えず、残された時間を楽しもうと決めた。


「魔獣、出ないわね」


 ヤミールが外の様子に眼をやりながら、ポツリと漏らした。確かに今まで襲撃はないし、不穏な気配すら感じられなかった。見掛けたものと言えば、たまにすれ違う通行人くらいだ。


「そうだよね。さっきから凄い穏やかだもん」


「元々はこんなモノだったろう。例の騒ぎが異常だったんだ」


「まぁね。ここ最近はやたらと襲われたから、感覚が狂っちゃったわ」


 家族間で会話のキャッチボールが回された。普段のクロエ達を垣間見たようで、何となく嬉しく思う。声のトーンからして、大人しい一家なのかもしれない。


 それからも馬車を走らせ続けると、陽が落ち、いつしか月明かりだけが頼りになった。しかし暗夜の移動は長続きせず、街道沿いの原っぱに停車した。


「魔術師様。今宵はここで一泊をと考えておりますが」


「そうなんだ。オレは構わないよ」


「ご不便をおかけして恐縮です。食べるものですが……」


「それなら私が持ってる。干し肉だけど」


「十分だよ、ありがとう」


 思わず叫びそうになるのを寸前で堪えた。ともかく、謎の虫を食わされないのは嬉しい。


 話がまとまれば、後の動きは早かった。重ねた木の枝に火が灯る。ヤミールの魔法によるものだ。たき火を囲んでのささやかな晩餐。そこではクロエ達の故郷であるマーグーンの話を教えてくれた。


 それでも頭に入ってこないのは、ずっとクロエの方を眺めていたせいだろうか。暖色の灯りに照らし出される顔は、素直に美しいと思った。そして、儚(はかな)いとも。 少し足を崩すだとか、髪をかき上げるとか、そんな些細な仕草も見納めなんだ。そう思うだけで、胸が張り裂けそうになる。


「いささか早いですが、そろそろお休みとしましょう。明日は日の出と共に出立します」


 セルシオが馬車の周りに水を撒きながら言った。近くの小川から汲んだもので、魔獣除けに一定の効果があるのだとか。


 その慣れた手付きには、特に感心しなかった。場合によってはオレが撃退すれば良いと思っただけだ。


(急に寝ろと言われてもな……)


 馬車の中で4人並んで横になったのだが、やっぱり寝付けなかった。それはセルシオから漏れるイビキのせいでも、ヤミールがこぼす妙に饒舌な寝言のせいでもない。


 クロエだ。彼女が居なくなる事実が何よりも恐ろしいのだ。もうあの声も、立ち振る舞いも、目映い程の笑顔も消えてしまう。そう思うだけで息は浅くなり、胸が激しく締め付けられていく。


(ダメだ。水でも飲みに行こう)


 足音を殺して馬車から降りた、その時だ。

不意に背後から声をかけられた。


「眠れないんですか?」


「クロエ……。そうなんだよ、寝付けなくってさ」


「私も一緒です。これからどちらに?」


「まぁ、ちょっと水でも飲もうかと」


「じゃあ私も付いていって良いですか?」


「もちろんだよ」


 そう答えると、クロエは変わらぬ笑顔を見せ、馬車から飛び降りた。


 月明かりの下で影を並べて歩く。こうしてみると密着しているように見えるが、実際には違う。拳にして3個分。いつもそれくらいの開きがお互いを隔てている。


「川の水は……。やっぱり冷たいっ」


 クロエが小川に手を浸して、少しおどけた。


「夜は割と冷えるからな。下手すると風邪ひいちまう」


 とりあえず手で掬って水を飲む。腹の中を貫くような冷たさに、少しだけ落ち着いた気がする。


 クロエもオレに続いて飲み始めた。やはり何気ない仕草のひとつひとつが胸を刺す。いっその事頼んでみようか。これからも傍にいてくれと。父親ではなく、オレを選んでくれと。


 口に出すべきかどうか、迷う。すると、ためらいなど知る由もないクロエは、オレよりも先に切り出した。


「私、実は本当の子供じゃないんです」


「えっ……」


「姉さんもですけどね。私たち姉妹は拾われた子供なんですよ」


 クロエは小川のせせらぎを見つめながら言った。その横顔は寂しげだが、他の色も含んでいる。少なくとも、彼女が初めて見せる表情だと思った。


「あれは嵐の夜の事です。私たち姉妹は増水した川に流されていました。その時はまだ姉さんも幼かったんですが、赤ん坊だった私と、木の板を必死になって抱えていたそうです」


「それは……壮絶な話だな」


「そこへ助けてくれたのは父さんの奥さん、つまりは私の母に当たる人なんですが、身の危険を省みる事無く飛び込んでくれました。おかげで私たちは助かったんですが、母は帰らぬ人に……」


「そんな事情があったのか」


 クロエの瞳は水面を見つめたままだ。その心にあるのは自責の念か、それとも感謝の気持ちか。薄明かりの下でなくえも、窺い知る事は難しい。


「父さんはとても悩んだそうです。見ず知らずの子供を、男手ひとつで育てられるのかって。何日も何日も考えて、結局は受け入れてくれました。忘れ形見だと思うことにしたそうです」


 言えない。ここまで強い親子の絆を前に、オレを選べなんて言える訳が無い。よく考えれば、彼女たちには20年近い歴史があるんだ。それを行きずりの男が割り込むような真似は許されはしないだろう。


「だから、私は父さんに恩返しがしたいんです。本当の親子よりもずっと、ずうっと仲良く」


「うん。そうすべきだと思うよ」


「……つまんない話しちゃいましたね」


「そんな事はないよ、聞けて良かった」


「それじゃあ私は戻りますね、おやすみなさい!」


 クロエは勢いよく頭を下げると、馬車の方へと駆け去っていった。辺りに残されたのは、秋の虫と思しき鳴き声ばかりだ。


「仕方ない。そういう縁だったんだよ」


 だからせめて、残された時間は有意義に過ごそう。そして最後の時は笑って、気持ちよく別れよう。


 そう思うと、かすかな眠気が感じられた。その感覚を取りこぼさないよう、ゆっくりとした足取りで馬車の方へ歩いていった。 



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