第13話 一難去って
窮地を脱した喜びが洞窟を去った頃、オレ達はまだそこに居た。松明のか細い光の元で、全員が円を作るように座った。既に眼は暗さに慣れてしまっている。
「この度は危うい所を助けていただき、何とお礼を申し上げれば良いのやら」
クロエの父であるセルシオが、ゴザに腰を降ろしたまま頭を下げた。短く切り揃えられた髪でやられると誠実さが増すようだ。
その隣のヤミールも無言でそれに倣(なら)った。浮かべる微笑はさりげなく、所作も精練されている。妹のクロエと比べなくても物静かな印象を受けた。
「気にしないでくれ。ところで、さっきの怪我は魔獣にやられたのか?」
「経緯について説明いたしましょう。クロエにも是非聞いて欲しいので」
視線を向けられたクロエが居住まいを正し、真っ直ぐな瞳を向けた。オレも、どんな話が聞けるのかと、セルジオの顔をじっと見る。それからは、記憶を辿る時間となった。
「あれは一昨日、昼前の事です。休息を取ろうと思って街道の脇に馬車を停めました。そこでヤミールには商品の整頓を、クロエには食材探しを頼み、私は周辺地図を片手に行程の確認をしておりました。賊徒の出ない道です。特に危険は無いという認識だったのですが……」
セルジオの顔が俯く。後悔の念があるのか、それとも恐怖が蘇っているのか、瞳は暗い床へと向けられた。
「突然でした。誰かが魔獣の襲来を叫ぶと、一斉に逃げ出したのです。私は近くに居たヤミールを馬車に乗せ、クロエを待とうと思いました。ですが敵の攻撃は激しく、とてもじゃないが持ちこたえる事は不可能でした。やがて馬が恐怖から暴れ出し、制止も虚しく駆け出してしまいました。あろうことか、クロエを置き去りにして」
そこまで言うと、セルジオは自身の拳を膝に叩きつけた。怒りが彼を苛んでいるんだろうか。
「父さん。私はね、公樹園で魔術師様と知り合えたの。だから無事に帰って来れたんだよ」
「ああ……親子共々、命を救われるとは。このご恩をいかにしてお返しすれば」
「まぁまぁ。とりあえず話を聞かせてくれよ」
「そうでした。続けさせていただきます」
それからもセルジオ父娘は、例の食虫植物にしつこく追いかけ続けたそうだ。周りの馬車や通行人は街道から外れ、森の方へと散り散りになり、父娘は街道で孤立した。追手の数は減りこそしたものの、依然として数体の魔獣は張り付いて離れなかったのだとか。
「我々は、とにかく魔獣を撒こうと考えました。しかし馬の制御は利かず、そして敵も俊敏でした。仕方なく車内の荷を投げつけ、牽制を続けながら逃げ回りました。その最中です、ツタによる攻撃で負傷したのは」
「酷くやられたらしいな」
「その時は無我夢中でしたが、浅くない傷を負いました。そこで観念した私は娘ともども馬に乗り、馬車を切り離すことでようやく逃げ切る事が出来たのです」
「そうだったのか。それからはこの洞窟の中に?」
「左様です。不幸中の幸いと言うべきか、近くに澄んだ湖があります。そのおかげで我々は助かったのです」
「どういう事だ。飲み水が手に入ったから?」
「いえいえ。魔獣は清らかな水を嫌うのですよ。実際我々もここに居るうちは、一度も襲われませんでした」
そういう事か。魔獣は奇麗な水が苦手、という話も覚えておこう。
「ひとまずは洞穴に身を潜め、翌日にはクロエを探しに出ようと考えました。しかし、ヤミールが猛反対しまして。また、傷が思いの外深かった事もあり、落ち着くまでは大人しくせざるを得ませんでした」
「やがて身動きが取れなくなり、オレ達がやって来たという訳か。血を失いすぎたのかもな」
「ええ。そのようです」
「うろつかなくて正解だったぞ。傷口がさらに悪化してたら、オレでも治せなかったかもしれない」
「いやはや。ジッとしている方が正解だったとは。父親として失格でしょうが、命は拾えました」
実直な人だ。助かった今も、自分の命とクロエの安全を秤にかけて苛まれているようだ。いや、助かったからこそ悩むのかもしれない。
「さてと。せっかく合流できたんだ。こんな所に居てもしょうがないし、ウチに来ないか?」
「ウチとは……」
「魔術師様の塔だよ父さん。ホラ、この前話題になった」
「なんと、あそこにお住まいの!? 高名な方とお見受けしておりましたが、まさかそれほどとは……」
「いいよ、畏まらないで」
「お住いへ伺いたい気持ちはありますが、この周辺には今も魔獣どもが潜んでおりまして」
「そいつらなら、多分倒してる。道すがら戦ったんだ」
「……貴方様は雲の上を行くようなお方ですな」
とりあえず了承は得られ、程なくして洞窟を後にした。セルシオの様子が気がかりになるが、身のこなしからは問題が見当たらない。顔色も良いので、本当に復調したらしい。
入り口に繋いだ馬ももちろん連れて行く。セルシオが手綱を握り、せっかくなので女性陣には馬に乗ってもらう事にした。2人乗っても悠々としているのは、馬が強いのか、それとも彼女たちが軽いからか。
「コイツは頑丈な馬なのかな?」
地球で見るよりも、足が一回りは太いように思えた。
「それなりに鍛えた馬です。普段は荷物を満載した車を牽(ひ)いているので、娘2人くらいなら楽なものでしょう」
「父さん。その馬車だけど、壊れちゃってるよ」
「そうだろうな。資金が足りれば良いのだが」
しばらく進むと、その馬車が横倒しになっている現場にたどり着いた。セルシオ達は荷物の様子を確かめると、首を小さく横に振った。
「覚悟はしてましたが、荷は全てダメですね。これでは買い手などつきません」
「馬車の方はどうだろう。こっちも廃棄なのかな」
「ええと……こちらは応急処置をすれば何とか。中を空にすれば走れるでしょう」
セルシオはそう言うと、木の枝とツタを数本ずつ見つけては修復を開始した。それで折れた車軸は直り、動かせる程度にはなった。
それはもちろん車内を軽くしていれば、の話だ。品物の残骸はその場に打ち捨て、再び馬に牽(ひ)かせる事にした。
「こんだけ商品がムダになって、生活は大丈夫なのか?」
素朴な疑問だった。セルシオの苦難はクロエに直結しているのだから、気にならないハズはない。
「大損害ですが、無一文という程ではありません。肌見放さず白金貨を1枚だけ持ち歩いてますので」
「へぇ、白金貨か」
それは知らない、でも高価なんだろう。セルシオの胸元には紐付きの麻袋が下がっていて、そこには大層な物があるという。
しかし、この損害を挽回できる程のものなのか。オレの予想を肯定するかのように、セルシオは表情を暗くした。
「馬車の修復に塩の購入となると、不足するかもしれません」
「塩だんて、今すぐ買わなきゃいけないものなのか?」
「それだけは確実に依頼主にお届けしなくてはなりません。お相手は貴族様である上にお代も頂戴しています。数日の遅れは許されても、失敗したとなると厳しく罰せられるのです」
「なるほどな。じゃあ手配しなきゃ」
「今から再度買い付けるとなると、北の村まで戻らねばなりません。今日明日の出立で、どうにか間に合うといった所でしょう」
それはつまり、クロエとの別れが迫っている事でもある。覚悟はしていた。いつまでも寄り添い合える関係ではないと。
そう自分に言い聞かせても、心は深く沈んでいくようだった。その間もセルシオは付近の相場や『商人あるある話』をしてくれたのだが、あまり記憶に残っていない。
やがてマンションの前まで戻ってくると、入り口にアドミーナの姿を見た。恭(うやうや)しいお辞儀と、いつもの調子で出迎えてくれた。
「お帰りなさいませタキシンペイ様、ゲストの皆様」
「ただいまアドミーナ。新しく来た2人に入館証を渡してくれ」
「承知致しました」
アドミーナは片手を掲げると指先を発光させ、セルシオ達に腕輪を与えた。それらはやはりオレのような銀細工ではなく、琥珀色(こはくいろ)に染められていた。
「魔術師様、馬車はどこに停めれば……」
「門の傍で良いんじゃないか。テキトーで構わないよ」
「では仰るとおりに」
不規則な音を立てて馬車が進む。タワマンなんて彼らにとって異質な建物だ。もしかすると萎縮でもしているのかもしれない。
「タキシンペイ様、あの乗り物は修復が必要に思えるのですが」
「そうなんだよ、結構酷くやられてな。お前に直せたりしないか?」
軽口のつもりだった。
「はい、可能です。復元と複製のどちらになさいますか」
「えっ。マジで直せんの!?」
「タキシンペイ様が望まれるのであれば」
言ってみるもんだ。まさかクロエ達が抱える問題のひとつが、こうもアッサリと解決の糸口を見つけられたのだから。
「セルシオさん、ここで馬車を直せるってよ!」
「なんと! 真にございますか!?」
裏返った声が、驚愕の眼差しとともに投げかけられた。この言葉が本当なのかはオレの方こそ知りたい。
ちらりとアドミーナの横顔を見てみる。そこに動揺した様子は微塵も無かった。
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