第12話 クロエの為に出来ること
手早く朝の準備を終えたオレ達は、昨日と同じルートを辿った。辺りを見回してみても、やはり人通りは無い。さすがに2日続けて閑散としていると、心細さから悪い予感を抱いてしまう。
「とにかく足を使おう。ジッとしていても仕方ない」
「わかりました」
クロエが力のない笑みを浮かべるのを見て、胸に鋭い痛みが走った。一刻も早く彼女を安心させてやりたいが、オレに何がしてやれるだろう。そう思いはしてもロクなアイディアが浮かばず、ただ時間だけが過ぎていく。
歩き続ける間、口数は少なかった。こんな時の静けさとは本当に重たく感じる。たまに聞こえる鳥のさえずりが微かに心を和ませてくれた。話題作りとばかりに姿を探してみるものの、一瞥(いちべつ)しただけでは見つけられなかった。
「魔術師様、あそこ!」
曲がり角を進んだ所で、クロエが前を指差しながら叫んだ。遠くに馬車が2輌ほど進んでいるのが見える。久しぶりとも言える通行人に思わず前のめりになり、クロエなどは走り出してしまった。その背中のすぐ後ろを駆けた。
「おおい、そこの馬車。止まってくれ」
馬車列はオレの呼びかけにゆるりと止まった。クロエが御者を一人一人確かめると、その顔がすぐに曇る。どうやら家族はここに居なかったらしい。
「何だねアンタら。ワシらに用かね?」
先頭の御者がそう言った。豊かな口ひげを歪ませているあたり、歓迎されてはいないようだ。
「すまん。ちょっと人探しをしてるんだ。父娘2人組の馬車を見かけなかったか? 行商人なんだけど」
「さぁてね。今日は誰とも会ってないよ」
「離れ離れになったのは一昨日なんだ。ちょうど魔獣騒ぎに巻き込まれて、それ以来行方が分からなくて困ってる」
「一昨日ならワシらはマーグーンの国境付近に居たよ。申し訳ないが、期待には応えられないな」
御者はそう告げるなり、懐からパイポを取り出した。指先で火をつけ、深く吸い込むと、勢い良く煙を吐き出した。知り合いの癖に似ている。仕事で理不尽な目に遭った時なんか、虚ろな眼差しを浮かべながら喫煙していたものだ。
「気を悪くしたなら謝るよ。呼び止めて済まなかった」
「うんにゃ。アンちゃんに腹を立ててんじゃないよ。ヴァーリアスまでの街道が封鎖されちまってね。おかげで納期に遅れそうで参ってんだ」
「封鎖? そんな事になってんのか」
これまでの街道の様子からは全く想像もつかなかった。往来が無いのも、魔獣を警戒してるせいだと思っていたが、別の要因もあったらしい。
「ここいらじゃ分からんだろう。もっと街寄りの場所での事だからな。それにしても騎士団の連中め、何を警戒してんのか知らんが、商隊まで追い返すなんざ正気とは思えないね」
「何て言うか、災難だったな。化物のせいで」
「まぁ、迂回すりゃ行けるかもしれん。キノチト方面から向かってみるよ」
「そうか。じゃあオレ達はこの辺で、良い旅を」
「お2人さんもな」
それから休憩に入った商隊をその場に残し、オレ達は先へと進んだ。ちなみにマーグーンやキノチトとは、この国の北側に隣接する国なのだとクロエが教えてくれた。内心は苦しいだろうに、こんな時でも律儀さを忘れないらしい。
「今回の封鎖で多くの人が困ってるだろうな」
「だと思います。期日に間に合わないと罰金が科せられたり、酷い時は牢屋に入れられたりするので、皆ピリピリしてるんじゃないでしょうか」
これは他人事ではなく、クロエの親父さんも同じ立場なんだろうと思う。やはりどんな世界でも、働くというのは楽じゃないって事だ。
それから道なりに進んでいると、分かれ道に差し掛かった。右手は引き続き石畳で、左手は地面を均しただけの小道。どうやら右のがメインのようだが、クロエは真逆の方へと顔を向けている。そしてそちらに駆け出すと、道の真ん中で膝を折った。
「魔術師様、これを」
彼女が注目したのは壊れた木箱だ。中から飛び出したのか、辺りには口の空いた麻袋がいくつも転がっており、白っぽい結晶が茶褐色の地面を染めていた。
「もしかして心当たりが?」
「はい。運んでた荷の中に塩がありました。箱にも見覚えがあります」
「じゃあ、こっちの道に逃げたかもしれないと?」
「可能性はあると思います」
「分かった。他に手がかりも無いし、クロエの記憶を信じてみようか」
「ありがとうございます!」
クロエの顔にいよいよ緊張が走る。家族の安否を一刻も早く確かめたいのだろう。文字通り飛んで行きたいくらいかもしれない。
しかしその気持ちに反して、オレ達の歩みが遅れがちになったのは魔獣が行く手を阻むせいだ。初日に遭遇した植物のヤツだ。幸いにも集団で現れる事はなく、1匹2匹と散発的に襲ってきたおかげで、撃退しつつ前進する事が出来た。
それからも捜索を続けるうち、手がかりはいくつも見つかった。麻袋の中で潰れた果実、粉々に割れた壺やガラス瓶。徐々に重苦しさが増して行く中、とうとう決定的な物証を見つけてしまう。
「この馬車は!」
クロエが横転する馬車に駆け寄った。幌は激しく裂かれ、車軸もへし折れたのか、後輪があらぬ方を向いている。よほど激しく攻め立てられたのだろう。
「クロエ、これはもしかして……」
「父さんのものです。ここに商人ギルドで登録した紋様がありますから」
クロエは幌の外側に描き込まれた記号に指を重ねた。そこが赤く染まっている事に、一層不吉なものを感じる。
「ともかく急ごう。この道の先に逃げたハズだ」
「あの、森の中は探さなくて良いのですか?」
「蹄(ひずめ)の跡が道の先に続いてる。それに手綱を見てくれ。鋭利な物で切られている。魔獣がやったとしたら、引きちぎった様になるはずだ」
「言われてみれば……」
「きっと、ここで馬車を切り離して逃げたんだ。馬で逃げるなら、森より更地を選ぶ方が自然だろ」
「わかりました、急ぎましょう!」
確たる証拠は無い。それでも何かを決断して選択するのなら、確率の高い方を信じるだけだ。今の推理は、少なくともクロエを説得させるだけの信憑性はあったらしく、踏み出す足に迷いは見られなかった。
しかし気持ちとは裏腹に歩みは遅い。奥に進むほど襲撃が激しさを増したからだ。現れるのは大抵が食虫植物で、たまにオーク。遅れを取る程の相手でもなく、順調に撃退を続けていく。
苛立ち混じりの戦闘を重ねたあと、ふと景色が変わった。木々の隙間に水面が見えたのだ。
「これは湖か」
自室から見えたものと同じだろうか。方角的に間違いでは無い気がする。
「どうだクロエ。どこかに手がかりはあるか?」
小道はここが終点だ。有力な情報が無ければ、後はしらみ潰しに探すしかない。
「そうですね。ちょっと見つからないです」
だったら辺りを探索しようか。そう言おうとした時、背後から物音が聞こえた。そちらを振り返れば、若い女が立ち尽くしていた。両手を口許に当て、足元には大量の枝が落ちている。
「まさか、クロエ……?」
その言葉に返事は無かった。何かを告げる代わりにクロエは走りだし、向こうの女も同じ動きを見せた。
「ヤミール姉さん!」
「よかった、無事だったのね」
熱い抱擁が交わされる。お互いが慈しむように、それでいて喜びを分かち合うように、シッカリと抱き合っていた。
クロエが姉と呼んだ女性は、20代半ばくらいか。琥珀色の髪は長く首周りだけではなく、顔の半分までも覆い隠している。上下のチュニックやロングスカートは所々に赤黒い点で染まっており、何か凶事のようなものを連想させた。
しかし再会の喜びも束の間。クロエは弾かれたように顔を離した。
「ねえ、父さんは無事?」
「お父さんはね、その、何て言えば」
「どうしたの? まさか怪我でも!?」
「……とりあえず案内するわ。付いてきて」
姉のヤミールはオレ達を近くの洞窟へと案内した。しかし道中で経緯の説明はなく、入り口付近に繋がれた馬についても触れずに、ただ黙々と先導を続けた。
そうして暗い洞窟を進むと、すぐ最奥まで辿り着いた。ヤミールの松明が一人の男を明るく照らし出す。ゴザの上に横たわる壮年らしき男の姿を。
大柄で、体つきは引き締まっている。たぶん毎日のように鍛えているんだろう。しかしその頼もしい腕は力なく投げ出され、厚い胸板も呼吸に合わせて大きく上下するばかりだ。
そして服の汚れ。ヤミールに比べて、赤黒い着色がずっと激しい。その様子だけでも、かなりの血を失ったんじゃないかと思える。
「そんな、父さん!?」
クロエは息を飲むと、傍に跪いた。しかし父親の方は全く反応を示そうとしない。喘ぐような息遣いが聞こえるだけだ。
「ごめんなさいクロエ。お父さんはね、逃げる間、私を魔獣から守る為に……」
「父さん、目を開けてよ。開けてったら!」
湿った叫び声が虚しく響く。
「昨日までは意識があったの。しきりにアナタの事を気にしてたわ。自分の傷なんか厭(いと)わずに探しに出ようとして、それを私は必死で止めて。そうしたら今朝から、ずっとこんな状態なの……」
「そんな、嘘よ! せっかく会えたのに、こんなのってないよ!」
泣きじゃくるクロエの背中がしきりに震える。心は壊れそうなまでに打ちのめされているだろう。
今、彼女にオレがしてやれる事は何か。たぶん1つだけだ。そう思いつくなり、オレはそっと腕輪に話しかけた。
「アドミーナ。魔法で回復させる事は可能か?」
返答は心強くも早いものだった。
——理論上は可能です。しかし重症者の治癒となると、魔力の不足から難しいと思われます。
「じゃあ可能性はあるんだな?」
——ご健闘をお祈り致します。魔力の源は想いや感情です。それをお忘れなきよう。
その言葉を胸に、クロエの隣に膝を着いた。そしてすぐに父親の体に手を当てる。衣服の脇腹、それと胸元辺りが赤黒く染まっている。他に目立った外傷は無さそうだ。
「魔術師様?」
「今から回復魔法を試してみる。集中したいから静かにしていてくれ」
「わかりました。父さんをどうか、どうか……!」
最後はもはや言葉になっていなかった。悲痛な願いを受けて、両手に魔力を込めてみた。イメージするのは傷一つ無い体。脳裏に浮かべたのは傷口がみるみる塞がる光景。
すると、全身から血の気が引いていった。まるで採血のような感覚だ。アドミーナの指摘通り、相当な魔力を消費してしまうらしい。このペースで魔法を使い続けたら、すぐに気絶してしまいそうだ。
「クロエ、頼みがある。手を握ってくれ」
「わかりました!」
クロエは両手で父親の手を強く握りしめた。形相も必死そのもので、自身の命を分け与えるかのように。
「ごめん、そうじゃなくて。オレの手を握ってくれないか」
「えっ。魔術師様のを、ですか?」
「頼む。君の力が必要なんだ」
「……よく分かりませんが、言う通りにします!」
手汗と涙で湿った手がオレの左手を優しく、フワリと包み込んだ。次の瞬間、脳天に突き刺さるかほどの激しい鼓動が全身を駆け抜けた。力が溢れに溢れる。なんだか産毛の先にまで気迫が満ちるような想いだ。
「よし、いけるぞ!」
右手に全精力を注ぎ込むと、手のひらが眩く発光した。手応えは十分すぎるほどだ。父親の顔色もみるみるうちに生気を取り戻し、呼吸が整いだす。
もう少し、あとちょっと。そうして一頻り魔力を注いだ後、たまらず大きな息が溢れた。襲い掛かってきた目眩に耐え切れず、その場で尻餅を着いてしまった。
「あ……あぁ」
グニャリと歪む視界に吐き気を覚える最中、男の声を聞いたのだが、空耳では無かった。クロエが、そしてヤミールが父親の体に抱きついては泣き叫んでいる。
「父さん、気がついたんだね!」
「もしかして、クロエか? どうしてここが?」
「そんな事はどうだって良いの! 体は平気? 痛くない?」
「あ、ああ。怪我の方は大丈夫らしい。驚くほどに」
「良かった、本当に良かった……!」
3人が一塊になって抱きしめ合う。離れ離れになっていた家族の再会だ、その喜びようは計り知れ無いものだろう。
さて、この一家の悲劇を救ったのは、どう考えてもこのオレだ。報酬として娘のクロエさんをいただけないか。そしてオレも晴れて家族入りとし、その輪に加えてはくれないか。
そう願いはしたものの、口から要求は飛び出さなかった。ただ延々とこみ上げる吐き気を堪え、瞳をゆっくり閉じた。オレ達4人が仲睦まじく語り合う姿を想像しながら。
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