第11話 コア・ルーム
夜になれば眠くなるのは、別に珍しい事じゃない。風呂に入ったら寝る。それは極自然な行為だ。恋仲ですらないお嬢さんとは寝室を別にする。それも極々当たり前な振る舞いだ。しかし、ここまで「当然」を重ねているのに、何故か「夜更けに寝入る」というありふれた行為だけが難航していた。
今日は仮眠を一度とったきりで、やたらと寝不足のはずだ。全身も酷くだるい。それでも胸の奥では何かが滾(たぎ)り、絶えず燃え盛っては健やかな睡眠を邪魔してしまうのだ。
「それでもまぁ、昨日よりはマシか」
クロエが眠るリビングは静かなものだ。物音ひとつ聞こえては来ない。耳に届くのは、窓の外でさえずる野鳥や虫の鳴き声ばかりで、それが心に凪(なぎ)を生んでいるのかもしれない。ここで彼女の寝息ひとつでも感じたなら、また昨晩の悪夢(よくぼう)が再来する恐れがある。気晴らしの散歩をしようにもリビングを通らねばならず、仕方なしに寝室に籠って悶々とするしかなかった。
「どうしよう、暇すぎるぞ……」
天井は一面が真っ白で、眼に引っかかるものなんか見当たらず、眺めていても退屈になるばかりだ。羊でも数えようか、と思ってやめた。何万匹という大陣容でも無力だったのは昨晩(けっせん)で実証済みなのだから。
「アドミーナ。聞こえるか」
問いかけに応える声は早かった。まるで、直前まで会話していたかのようなテンポだ。
「いかがなさいましたか。眠れぬ宵の夜這いについてご検討でしょうか?」
「んな訳あるか。いくつか質問したい事がある」
寝付けないなら小難しい話に限る。そう思って声をかけたのだが。
「承知しました。それでは『コア・ルーム』を起動致します」
その言葉とともに天井が、壁や床までもが変異した。辺りには、いつぞやの宇宙空間が広がり、何もない所で寝そべる格好になってしまう。
再びうろたえるオレ。それを平然と受け入れたアドミーナは、いつものようにお辞儀をした。その隣には前と変わらず光球が浮かんでいる。
「やっぱり宇宙みたいだ。そもそもここは何なんだ?」
呟きにアドミーナが反応した。
「コア・ルームとは、グランディオス・ヒルズの性質を最も色濃く反映させられる場所です。その有用性から、独断ながらお招き致しました」
「有用性って、具体的には何があるんだ」
「コア・ルームは現世界と連続性を保ち、次元境界を共有しつつも異空間としての性質を内包します。その為いかなる事象を発動させたとしても、物理的結果を消失、ないし極限まで減ずる事が可能となっています」
「なるほど、全ッ然わかんねぇ!」
「失礼しました、平たく申し上げます。ここでの出来事は、基本的には現実世界に影響を与えません。ゆえに何かと都合がよろしいのです」
「そういうやつか。分かったよ」
「なお、ここに女性を連れ込んで様々な事をしたとして、当事者の記憶や感覚までも消す事は敵いません。全てをキャンセルできる訳ではない旨、重々ご留意願います」
「おいやめろ。オレは非変態(しんし)だと言ってるだろ!」
逐一振ってくる下ネタは何のつもりなのか。そろそろ逆セクハラで訴えてしまいたい。
「さて、それでは本題に入らせていただきます。ご質問をどうぞ」
「急に戻しやがって……。ええと、魔法について詳しく知りたい」
クロエは魔法を覚えたがっている。実際に教えるかはさておき、基礎知識くらいは学んでおきたかった。
「ご説明致します。魔法とは、様々な手法により大気中を漂う『幻素』に働きかけ、大いなる力を発動させる現象と言えます」
「ゲンソ?」
てっきり元素かと思ったが、それとは違うらしく、やんわりと指摘された。
「この星の大気は、地球に比べて窒素の割合がいくらか低い模様です。それは幻素が含まれている為でして、酸素や二酸化炭素の比率は同程度の濃度です」
「なるほどね。どうりで呼吸に違和感が無いと思った。腕輪のおかげだと思ったけど、そもそも装着する前から普通に息してたもんな」
「はい。この星は大部分において地球と類似しております」
概念については何となく理解した。次は本命の質問に入る。
「魔法を使えるようになるには、どうしたら良い?」
それはもう興味津々だ。小学生の頃なんか、修行を重ねれば魔法が使えると信じ、ひたすら筋トレに明け暮れたオレにとっては夢のような話なのだから。
「手段は様々です。理(ことわり)を言葉に乗せて発動させる『詠唱術』、印を組み合わせた『印魔術』、魔術品の媒介による『代替術』が一般的な方法となります。プロセスに違いはあれど、魔力を用いて幻素に働きかけ、超常現象を起こす点はいずれも同じです」
「ふぅん。色々とあるんだな」
「本来であれば詠唱法の文言を一字一句覚えたり、媒介の活用法を学ぶなどの必要があるのですが、腕輪の能力により不要となっております。プロセスの一切を腕輪に代行させることで、魔法の発動が容易になるのです」
「それってもしかして、いきなり魔法が使えるって事?」
「はい。心の中でイメージするだけで、それが具現化します」
「マジかよ、試しても平気だよな?」
「問題ございません。その為のコア・ルームでございます」
魔法が使えるだなんてロマンの塊みたいなもんだ。さっそく手のひらに、炎が浮かぶのを想像してみる。すると、拳サイズの火の玉が浮かび上がった。
「すっげぇ、成功じゃねえか!」
「おめでとうございます。初級の炎魔法に相当するものです」
「そんで、こっからどうしたら良い?」
「いかようにもお使いいただけます。ボールのように投げつける、ラジコンの様に操作して動かすなど、自由自在です」
言われるがままに試してみると、これが面白いように炎を動かす事ができた。遠くに投げた炎を手元へ引き寄せたり、頭上でひたすら円を描いてみたりと、本当に意のまま操れる。こうも上手くいくと楽しくて仕方がない。
「何だこれ、すっげぇ面白ェじゃん!」
「魔法は使えば使うほど精度や威力が増していきます。同時に魔力総量も増加するので、定期的なご使用を提案します」
「定期的どころか、これだったら毎日でも使いたいくらいだよ」
「お気に召していただけたようで何よりです。なお、こちらもアップグレードする事により、中級や上級の魔法も使用できるようになります」
「そういや、前も似たような事言ってたよな。アップグレードって、具体的にはどんなメリットがあるんだ?」
尋ねてはみたものの、それほど気にしている訳じゃない。何といっても今は魔法が面白すぎて仕方がなかった。炎は従順にも、オレの意思を瞬時に汲み取ってくれる。両手を使わずして物を操れる感覚は、ちょっとクセになりそうだ。
「アップグレードする事により、腕輪の機能向上や、グランディオス・ヒルズの拡張機能をご利用いただけるようになります。それを為すには多量の『幻魔石』をコアに投入せねばなりません」
「コアって、その隣で光ってるやつ?」
遠くに投げた炎を高速で動かすと、流れ星みたいで綺麗だった。これをクロエに見せたら喜んでくれるだろうか。そう思うと、リアリティを追求したくなり、繰り返し炎を走らせ続けた。
「はい。ご説明が遅れましたが、この光輝く球がグランディオスの核、本体とも言える物です」
「そうなんだ。妙に存在感があると思ったよ。そんで、ええと、幻魔石だっけ。それはどうやって手に入れるんだ?」
「魔獣を倒された後に美しい石が現れます。それが幻魔石と呼ばれる……」
話を聞けたのはそれまでだった。突然頭に鋭い頭痛が走り、思わず膝から崩れ落ちた。目眩はみるみるうちに酷くなる。世界が歪んだかのように、視界はグニャリとひん曲がり、上下左右すらも分からない。両手や頬に伝わる感覚だけでようやく、うつ伏せに倒れているんだと理解した。
「こ、これは、一体……?」
「魔法の使用には相応の魔力を必要とします。限界間近まで酷使したなら、一時的ながらも神経系統に狂いが生じます。これを通称、魔力損耗状態(まりょくそんもうじょうたい)と呼びます」
「いや、解説は良いから、早くなんとかしてくれ」
「申し訳ございません。現在、魔力薬の類はご用意がありません。そのまま自然回復をお待ちいただけますでしょうか」
なんて仕打ちだろう。これに耐え続けろというのか。視界を、身体全体を揺さぶられる感覚が激しい。船酔いだってここまで酷くはないはずだ。こんなもの、5分だって勘弁して欲しい。
「ご安心ください。やがて睡魔が押し寄せて参りますので、それからはお眠りになるのが宜しいかと」
「睡魔だって……?」
「今宵はこれにてコア・ルームを閉じさせていただきます。ご用命の折には、またお申し付けください」
アドミーナの言葉は事実だった。光景が移り変わっていくのを眺めるうちに、途方もない眠気が押し寄せてきた。意識を保つ事すら出来ずに、その場で気絶してしまった。
それから次に気がついた時には、既に辺りは明るくなっていた。スマホで時間を確認してみれば、今は6時過ぎ。活動するのに問題ない時刻が近づいていた。
「確かに、眠れなくて困ってたけどさ」
後味が最悪だ。あの酷い目眩から解放されてはいるが、思い出すだけでも胃液が込み上げてくるようだ。つい、魔法の使用を避けたいとすら思える程に。
「おはようございます、魔術師様!」
リビングに顔を出してみれば、クロエが太陽に負けない笑顔を輝かせた。そうだ、この子が期待しているんだっけか。
「クロエ。魔法は好きかい?」
脈絡の無い問いかけに驚いたようだが、すぐに笑顔に戻った。
「もちろんですよ。魔法ってこう、ズギャン、ドーンって出来るじゃないですか。ほんと憧れます!」
鼻息を荒くしてまで熱く語られた。やはりクロエの関心をひきたいなら、魔法の訓練は避けて通れないのかもしれない。
ここでふと、彼女の胸元に眼が向いた。本日の一言Tシャツには『苦労は心の筋トレ』と描かれていた。何か天啓じみたものを感じつつ、蛇口の水を一息で飲み干した。
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