第10話 変わらぬ吸引力

 帰宅して迎えた夜。リビングには調理音が軽やかに響いている。トントントン、トントトン。なんて心の安らぐリズムだろう。録音して楽曲リストに加えてしまいたいくらいだ。


「すぐにご用意しますから、もう少しお待ちくださいねー」


 クロエは今、集めた食材を手にして料理をしている所だ。驚くべきことに、オレの助け無しに数々の器具を操ってみせた。彼女はやたらと飲み込みが早い。水は蛇口、火の扱いはボタン。最初に実演してみせた時は、ホェェと驚かれたものだが、すぐに順応してくれた。


 音を聞く限り、下ごしらえは順調に進んでいるらしかった。こうしてソファに座りながら眺めるだけで、ジワリジワリと喜びが押し寄せてくるのが分かる。


 ただし、彼女の手元さえ見なければ、だが。


「凄いですね、この包丁。筋張った芋虫だって一刀両断です」


 あぁ、それは聞きたくなかった。あの大きな虫がどうなったのか、どう捌(さば)いてしまったのか、想像しては鋭い頭痛に襲われた。


 オレが何も手伝わずにボヤッとしているのも、亭主関白気取りだったり料理を嫌うからではない。今夜扱う食材に難があったからだ。クルミらしき木の実、ノビルやゼンマイにも似た山菜類は良いとして、そこにデップリと太った芋虫が加わるのだ。


 いやほんと勘弁してほしい。クロエの手料理は幸福の代名詞だが、今夜ばかりは絶食も辞さない構えだ。


「魔術師様、お塩ってありますか?」


「うん。別室にあるから、ちょっと待っててね」


 塩と聞くなり、オレは重たい腰を持ち上げた。寝室に積み上げたダンボールから新品の塩袋を取り出し、封を切ってクロエに差し出した。


「はい、持ってきたよ」


「ええっ!? これがお塩なのですか?」


「そうだけど……何か気になるの?」


「こんな真っ白なものは初めて見ました! 私みたいな庶民の口に入るものじゃないですよ!」


 話を更に聞いてみると、一般庶民が買うのはもっぱら粗悪品で、それは薄ら変色している上に形も不揃いなんだとか。


 そんなクロエに純白でサラッサラの塩を出したのだから、驚かれるのも当然かもしれない。ついには『さすが魔術師様』だなんて誉められてしまう。スーパーで買った最安値の塩なのに申し訳なく思う。


「貴族様のお塩にソックリ……。この貴重品は大切に使わせていただきます!」


「そんな気負わないで。テキトーで良いから」


 塩騒動(ひとさわぎ)が落ち着きを見せた頃、料理はいよいよ佳境を迎えた。よく温められたフライパンからは景気の良い音が響き、香ばしい香りが辺りに立ち込める。クロエに躊躇(ちゅうちょ)は見られない。眼の前で虫の残骸が炒められてるハズなのに。


「お待たせしてスミマセン。出来ましたよ!」


 クロエが大皿を携えてやってきた。山盛りの料理は、しんなりとした山菜を下敷きにして、凄い量の『何か』が乗せられていた。薄目越しに見れば、ホタテの貝柱と誤認しなくもない。しかし原材料を知っている手前、どうにも食欲は引っ込んだままで、むしろ微かな吐き気が込み上げてくる始末だ。


「あったかいうちが美味しいですよ。どうぞ召し上がれ!」


 出たよ例の笑顔。ついつい快諾して、更に上の笑顔を見たくなってしまうが、こればかりは無理。どうにかして拒絶は出来ないか。欲を言えば、クロエを傷付けずに回避する方法は無いものかと模索してみる。


 だが、都合よく名案なんか出てくるはずもない。とにかく時間がほしい。落としどころを模索するだけの時間が。


「ええとだな。実はオレ、猫舌でさ。熱いものは食えない気がするんだなぁー」


 とりあえず真っ赤な嘘。だがそのお陰で、料理が冷めるまで時間を稼げるだろう。およそ5分くらいは粘れるか。


「そうだったんですか。失礼いたしました、気が利かなくて」


「いやいやコチラこそ。そういう訳だから、もうしばらく置いといて……」


「今スグ冷ましますね」


「えっ?」


 オレは予期せぬ動きに眼を疑った。この光景はきっと忘れたりはしないだろう。


 クロエはスプーンを手に取るなり料理を掬い、口元に近づけた。そしてフゥフゥと優しく息を吹きかけると、頃合いを見計らってから差し出してきたのだ。これはどう見ても『はいアーン』そのものじゃないか。


「もう食べられると思いますよ、どうぞ」


 不思議なものだ。頭では拒絶を考えているのに、唇はスプーンに吸い寄せられていく。魔法じかけを疑うほどに抗いがたい吸引力。だが、それも当然の話かもしれない。


 クロエの吐息がかけられた料理。それ食ったなら、間接キスが成立するのではなかろうか。いや、それどころか、直接口づけを交わした事にはならないか。


 そう思った瞬間に未来は決まった。差し出された料理を一口で頬張る。我ながら、実にスムーズな動きだったと思う。


「どうですか。お口に合いますか?」


「これは……美味い。美味いぞ!」


 お世辞じゃなく、本当に絶品だった。見た目からしてヤバい虫は脂が濃厚なくせに、キレが良い。歯ごたえも申し分なく、独特の弾力が食欲をそそる。例えるならエンガワに近いだろうか。煎った木の実とも相性は抜群で、柔らかな甘みが口と鼻の隅々にまで広がっていく。塩加減も素材を邪魔しない絶妙な味付けだった。


「こりゃ衝撃的だぞ。クロエも食べてご覧よ」


「そうですか? では、いただきますね」


 2人並んで同じ料理をつつく。食べ進める度に、身体だけでなく心までもが満たされていく気がした。これが幸せというヤツなのかもしれない。


「これだけ料理ができるなら、良いお嫁さんになるんじゃないか」


 ふとガラにも無い言葉をこぼしてしまった。時代錯誤な発言も、この異世界ではどのように伝わるのだろう。


「結婚ですか? うちは支度金を用意できないので、中々難しいと思いますね」


 特に引っかかった様ではない事に安心した。


「そうなんだ。じゃあ、将来を決めた人とか……」


「居ませんよ、そんな人。昔からずっと行商続きだから、男性とは全く縁が無いんです」


 さりげなく聞いてみたが、これは重要情報じゃないか。クロエは独身で、恋人らしきものも居ない模様。しかも恋愛には悲観的ときている。


 もしかして千載一遇のチャンス。そう思い至った瞬間には、別の言葉が飛び出ていた。


「まぁあれだ。将来の事は不安に思わなくて良いよ。オレが面倒見るからさ」


 クロエは大きく眼を見開くと、やがて柔らかく微笑んだ。気持ちが通じたのかと、思わず腰が浮き上がる。


「ありがとうございます。ぜひお弟子さんとして迎えていただけたら!」


「で、弟子……?」


「はい! 私、実は魔法に興味があるんです!」


 全く伝わってなかった。クロエはやる気に火がついたらしく、魔術師への憧れを散々にまくしたてた挙げ句、力強く決意表明までする始末。しまいには「ご期待に沿えるよう頑張ります」だなんて言い出してしまった。


(やる気を出されても困るんだよなぁ)


 それはもう酷く困る。何せオレは魔法なんか使えないのだから。クロエが有り難がってる数々も、大抵は腕輪の恩恵か、現代科学の結晶なのだから。魔法技術の欠片も無いものばかりだ。


 お嫁さんになってくれないか。オレは魔術師なんかじゃない。そんな言葉を頭に浮かべながら、しかし伝えるだけの勇気は無く、仕方なく眼の前の料理を食べ進めた。噛みしめる度にコキリ、コキュリと音が鳴る。オレの口数に比べて、随分と饒舌なまでに響いた気がした。

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