第6話 ハイレベル手料理

 予定の無い午後に浴びる麗らかな日差し。大自然の濃厚な薫りを届けると共に、肌を優しく撫でる微風。庭に急造した石のカマドはキャンプを彷彿とさせ、何か特別な日である事を匂わせた。


 その上、気になる女性の手料理が食えるというのだから、心が踊らない訳がない。そう、踊らないハズがないんだ。


「これが幸せってヤツなのかな」


 胸の奥から込み上げる激情が目頭までも熱くする。しかし足元に積み上げられた食材が、期待感に冷えっ冷えの水を差してしまうのだ。


「それじゃあ料理を始めますね」


 クロエの微笑みの向こうには蠢く塊がひと盛り。囚われのトンボ達はまだ息があるのか時々動いた。怖い。心は無意識のうち、そちらをモザイク処理を施してしまう。


 それにしてもなぜトンボを食わなきゃならんのか。一応オレは命の恩人じゃないのか。そんな苦言のひとつも吐き出したい所だが、ご馳走になる手前なかなか言い出しにくいものがある。


「まずは火をつけまーす」


 彼女はそう言うなり掌をカマドの方へとかざした。それから小さな火の玉が生まれたかと思うと枯れ葉に火がつき、枯れ枝にも移ると、やがて十分な火力にまで達した。


「うおっ。今のは魔法か?」


「そうですよ。これくらいなら私にも使えます」


「へぇぇ。初めて見た。スゲェなぁ」


「何を言ってるんですか。不思議な剣を出してみたり、風のように速く動いたりしてたじゃないですか。やっぱり魔術師様の魔法は別格ですよね」


 何とも返しにくい賛辞だ。それらは全て腕輪のおかげであって、何の苦労や努力も無しに利用しただけだ。とりあえずボソボソと返事は濁しておく。


 幸いにもクロエからの追求はなかった。彼女は丸い果実を両手で絞り、その汁を鍋になじませる。しばらく火で温めた後は、いよいよ食材の投入だ。ジュワァと小気味好い音がしているけど、ここまでヨダレを誘わない光景も珍しいだろう。


「すごいですよ、このお鍋! 全然焦げつきません!」


 クロエが興奮混じりに手持ち鍋を揺らした。それはIH対応のものだが、直火でもいけるだろうと思い、部屋から引っ張り出してきた。まさかこの鍋も、出番の第一号が虫炒めだとは思わなかったろう。そんな同情心が芽生えると、鍋の縁に見える輝きもどこか侘びたように感じるから不思議だ。


「持ちやすいし軽い、非の打ち所がありませんよ。これも魔法の道具なんでしょうか?」


 やたらと褒めちぎられたが、特に珍しいものじゃない。量販店でも安値の品だ。ありふれた調理器具でも、この世界ではオーバーテクノロジーの類なのかもしれない。再び返答に困り、曖昧な相づちだけ打っておいた。


「そろそろ良いかな。さぁ、温かいうちにどうぞ」


 笑顔とともに鍋を向けられた。存分に炒められたトンボがシビシビと震えている。熱のせいで動いているように見えるんだろうが、どうにも痙攣中にしか思えず、手を出すことに躊躇(ちゅうちょ)した。


 これを食べずに済む口実は、逃げ道は無いか。とりあえず急場を凌ぐ何かを求め、でまかせ同然の言葉が飛び出した。


「どうやって食べれば良いんだろうなぁ。初めて見る料理だからなぁ」


「それは失礼しました。こうするんですよ」


 クロエは素手で羽をつまみ、手元で軽く冷ましてから口に放り込んだ。丸ごとだ。そして小気味よくカリコリと音を鳴らす。ためらい無し、完全に皆無。味も納得のいくものらしく顔色も良い。今にも鼻歌なんか歌い出しそうな程だ。


 それからは横を向き、口からペッと何かを吐いた。そちらを見ればトンボの頭だけが転がされていた。何という豪の者。その瞬間だけを切り取れば、歴戦の猛者にも引けを取らないだろう。


「頭は苦いので、吐き出してください。身体には良いらしいんですが、捨てた方が美味しく食べられます」


「へぇ、ふぅん。そうなんだぁ……」


「さぁどうぞ。召し上がれ」


 クロエは一層眩い笑顔を向けてきた。なんて吸引力だろう。女性に縁の無いオレにとって、これほどに誘引されるものなどあるのか、否ない。


 オレの右手が意思に反してゆっくりと伸びていく。まるで催眠術にかけられたかのように、そこそこスムーズにトンボを掴むと、口の中に入れてしまった。


 ここまでしたら噛むしかない。毒を喰らわば皿まで。微妙にズレた言葉が脳の脇を掠めていった。


「どうでしょう。お口に合いますか?」


 窺う目線を横に、恐る恐るひと噛み。続けて2噛み3噛み。頭はプッと吐いて、残りは全て飲み込んだ。


「うまい、香ばしい!」


 例えるなら薄焼きセンベイ。食感に生々しさは無く、それはもうサックサクだ。味わいもほんのりとした塩気と、鼻に満たされる香ばしさがあって、想像以上の満足感がある。というか止まらなくなりそうだ。


「良かったぁ。喜んで貰えて安心しました」


「本当にウマイよこれ、マジで」


「追加もすぐにご用意できますので、オカワリするなら言ってくださいね」


 それからは2人仲良く食事を続けた。時々吐き出す頭も、スイカの種と思えば風流だ。気づけば手料理は完食していて、デザートにリンゴを食べたら腹が十分に膨れた。


 満足の息を吐く。そこで何気なく空を見ると、太陽が傾き始めていた。日暮れを迎えるまで、それ程時間は残されていないようだ。


「クロエ。そろそろ家の中に入ろうか」


「分かりました」


「アドミーナ、空き部屋の鍵を渡してくれ」


 さすがに同じ部屋で暮らすのは避けた。オレは淫獣でも変態でも無いが、一つ屋根の下で同棲まがいの生活を送るのは厳しすぎる。手を出さずにいられる自信は全く無いからだ。


 クロエとは今後とも良好な間柄で、あわよくば夫婦の関係を目指したいので、無闇に信頼関係を傷付けたくはない。だがアドミーナからの返答は、オレの意図を見事に蹴散らすものだった。


「鍵が無いだって!?」


「申し訳ありません。各部屋には合鍵を含めて3つございますが、いずれもこの場所にはございません。すなわち、現時点で新たな部屋を開放する事は出来かねます」


「マスターキーみたいなやつは?」


「そちらも同様です。全て管理会社にて保管されております」


「マジかよ……」


 望みの品は宇宙空間をまたいだ遥か彼方。だから、腐るほどある無人の部屋は開けられず、実質オレの部屋しか使えないという事だ。


「クロエ。そんな訳で、オレの部屋に住んでもらう事になりそうだが」


 顔色を見つつ軽く聞いてみる。だが、そんな気遣いなど無用だったらしく、彼女の返しはあっけらかんとしたものだった。


「あっ、ハイ。初めからそのつもりでした」


 意外にも前向きな答え。場合によっては『シンペイさんのエッチ!』くらいの反論(ごほうび)を食らうと思ったのだが、そうはならなかった。


 しかし改めて考えてみれば、クロエがマンションの構造を理解しているハズもない。もしかしたら彼女の脳内では、ワンフロア・ワンルームくらいの認識なのかもしれない。3LDKの空間は2人でも悠々暮らせるのだけど、嫌がられはしないだろうかと不安が過る。


「もしここでの生活が辛かったら言ってね、工夫するからさ」


「お気遣いありがとうございます。私はウサギ小屋でも平気ですよ!」


「アハハッ。流石にそれに比べたら」


 オレは意気揚々とした気分で案内を始めた。踏み出した一歩は、寒々しいマイライフにとって大いなる前進だった。


 これからの暮らしはかつてない喜びに満ちたものになるだろう。何せ、おはようがある。おやすみがある。雨が降ってるから肌寒いね、なんていう何気ない会話だってそうだ。


 それどころか、ささやかな接触も起こるだろう。棚の荷物を取る時にちょっと肩が触れ合ったり、冗談混じりに頭を撫でてみたり。もしかすると、垂涎の着替えシーンなんかを目撃してしまうかもしれない。


 そう思うと、全身に血が駆け巡るのを感じた。素晴らしき異世界。ありがとう転生騒ぎ。地球から拐(さら)われて正解だったとすら思う。


「うん、何だこれ」


 奥歯に違和感を覚えた。


「どうかしましたか?」


「口の中に何か……」


 よくよく考えると、それはトンボの頭だった。屋内では吐き出す訳にもいかず、とりあえず噛み締めてみた。すると口の中には強烈な苦味がジンワリと広がっていく。


 この単なる食べ残しが、なぜか不吉なものを感じさせた。まるで、何らかのトラブルを暗示しているかのようで。

 

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