第4話 戦いの火蓋

 どうにか彼女と打ち解ける事に成功したオレは、雑談がてら仕事を手伝うことにした。どうやら街道で待つ仲間から食料調達を任されているらしく、その結果オレと出くわした経緯だったそうな。


「へぇ、君はクロエっていうんだ。素敵な名前だね」


 自己紹介は今しがた終えた所だ。たとえ今日限りの出会いだったとしても、アナタや君呼ばわりで終わるのは哀しすぎる。


「いえいえ、ありふれたものですよ。特に珍しくないです」


 彼女はそう謙遜するが、オレの胸には強く響くものがある。荒れた大地に降り注ぐ慈雨のように、ジンワリと潤いが染み渡るようだ。クロエ、クロエと心の中で繰り返してみる。うん、やっぱり良いものは良い。


「魔術師様こそ珍しいお名前ですね。初めて耳にしました」


 シンペイは進平と書く。名前に込められた意味は、「進む先の困難に打ち克ち、不都合を平らに均(なら)す」というものだったと記憶している。


 そんなヒーローめいた使命を用意されたオレは平々凡々(ふつー)に生きて来たわけで、むしろ昨日までブラック企業に奴隷奉公するという体たらくで、ともかく名前負けも良い所だった。ちなみに「ぺー」という響きがやたら目立つせいで、子供の頃は頻繁にからかわれたもんだ。もっと格好いい名前にして欲しかったと、親を何度恨んだかは覚えていない。


「さて、こんなモンで良いかな」


 クロエのバスケットにはリンゴが満載だ。収穫としては十分だろうが、かなり重たくなってしまった。実際、彼女が持とうとすると足元をフラつかせてしまい、今にも転びそうになる。


「手伝うよ。向こうまで持っていってあげる」


「そんな! 魔術師様にそのようなご迷惑をかけるわけには」


「良いの良いの。その代わり、歩きながら色々と聞かせてよ」


 畏まるクロエに交換条件を持ち出してみた。すると、消え入りそうなほど小さな声で許可が降りた。商談成立というやつだ。


 それからは横並びになって歩き始めた。行き先はオレが来た道とは反対の方向で、向こうには整備された大通りがあるらしく、それこそ大型の馬車が行き違える程の広さがあるのだとか。オレが自宅マンションから歩いた道は間道、つまり裏道にあたるものだそうな。


 ちなみにバスケットだが、お互いにそれぞれ持ち手を掴んでいる状態だ。苦労を半分こ。そして間接的に手を繋いでいる様な気にもさせられ、心に温かいものが沁み込んでいくようだった。


「君のお仲間ってのは、どんな人たち?」


「家族3人の商隊です。マーグーンから出発して、次はヴァーリアスの街に向かう予定なんです。道中で色んな村に立ち寄って、品を買ったり売ったりしながら」


「商隊かぁ。ということは君も商売人なの?」


「いえいえ、私なんてお手伝いレベルですよ。売買の事なんか全然知りません。そもそも字を読めませんから」


 クロエはそう溢すと、少し寂しそうに笑った。服装から予想はしていたが、彼女はあまり裕福な方では無いらしい。かといって極端に不幸そうにも見えないので、この世界では平均的な人なのかもしれなかった。


「ところでさっきのリンゴだけど、勝手に持っていって平気かな? 誰かの所有物っぽい気がしたんだけど」


「えっ。公樹園(こうじゅえん)をご存知ないのですか?」


 クロエが眼を見開いてオレを見た。今のは世間知らずな発言だったのだろうか。まぁこちとら生誕初日なのだから、別に恥では無いのだけど、どう取り繕ったもんか。


「ええと、あれだ。魔術書を読み耽るあまり引き篭もっててね。だから世の中の事に詳しくないんだ」


 そういう事にしておいた。昨日まで地球人でしたと告げた所で通じるハズもない。


「なるほど、そうだったのですね。とりあえずリンゴについては心配いりませんよ」


「そっか。ちなみに公樹園っていうのは?」


「領主様が管理されてる憩いの場なんです。この中にある果物や木の実なんかは自由にして良いんですよ。だから付近の貧しい家庭や、私達のような流れ者はお世話になってます」


 つまりは貧民救済、セーフティネットというやつか。思ったより温もりのある社会制度が設けられているみたいだ。


「良いね。そういうの好きだよ」


 我ながら他人事すぎる言葉が飛び出したと思う。クロエもすぐに同意してくれた。


「そうですね。お優しい領主様だと、みんな感謝してますよ」


 そうこうしているうちに景色が変わった。リンゴの姿は消え、木々の隙間から石畳が連なる光景が見えた。人も多いのか、何やら騒がしい気配も伝わってくる。


「魔術師様、この辺で大丈夫ですよ」


 クロエが足を止めて言う。しかし、オレは提案を拒んだ。もう少し彼女に好印象を残しておきたい。


「まだ到着してないじゃん。遠慮しないで良いから、最後まで付き合うよ」


「そうですか。では、お言葉に甘えて!」


 ジャンジャン頼ってくれて構わない。そして叶うなら、文通が出来る程度には仲を深めさせてください。そう告げる代わりに、ガラにもなく愛想を振りまいてみたが、想いは届いてくれただろうか。


 それから森を抜けると、足が街道を踏んだ。随分と開けた場所だ。急激に強くなった日差しに眼を細めるが、しばらくぶりの太陽を拝むゆとりは与えられなかった。


 唐突に叫び声が響き渡り、辺りが騒然となったからだ。


「魔獣だ! 魔獣が出たぞ!」


 その声をキッカケに人々は悲鳴をあげ、あちこちへと逃げ惑い始めた。馬車も次から次へと駆け去っていき、馬蹄(ばてい)が石を蹴る響きや車輪の軋む音を晒し、消えた。


「魔獣って、そんなにヤバいヤツなのか……」


 クロエに声をかけようとした瞬間、遮るようにして金切り声が響いた。


「魔術師様、後ろ!」


「えっ……危なッ!」


 振り向きざま、咄嗟に身を屈めた。頭上に何か重たいものが通り過ぎていくのを肌で捉えた。すぐに視線を向けると、見るもおぞましい生物が現れた事に気付く。


「何だコイツは。食虫植物か?」


 今のはかなり控えめな表現だ。概形は確かにソレなのだが、全長というかサイズが規格外すぎる。胴体にポカァと空いた口は、人間を飲み込んでしまえるほどに大きい。蠢く何本もの長いツタも太くて強靭そうに見えた。


 そんな姿をした化物が、ツタを足代わりにして近づいてくるのだから、恐ろしいなんてものじゃない。腹の中に冷たいものが落ちたような気にさせられ、強い不快感が体内を駆け巡った。


「どうしましょう。どこかに騎士団は!?」


 クロエが辺りを見回した。しかし、頼りになりそうな人間はおろか、人っ子一人見当たらない。オレ達以外の全員が逃げ出した後のようだった。


「逃げよう。走るぞ!」


「ハイッ……!」


 ともかく安全な所へ。クロエの腕を掴んで駆け出した。しかし、ツタが背後から勢いよく伸び、眼前を塞ぐようにして地面に叩きつけられた。その打撃で石畳が粉砕されて、辺りに白い粉塵が巻き上がる。


「クソッ。簡単には逃げさせてくれないか!」


 再び化物と向き合う。攻撃範囲は広いらしく、無闇に背を向ける方が危険だった。かと言って丸腰で戦える相手とも思えない。


「どうしたら良い、どうしたら……」


 敵は歩み寄る最中に、ツタを何本も掲げていた。微かに尖端が揺れ動くのは牽制のためだろうか。


「いや、違うな。目的はクロエ?」


 触手のように蠢くツタは、微妙にだが、オレを狙っていない気がしてきた。何となく敵意の向きが逸れてる様に感じるのだ。なぜだと考えるうちに、脳裏にはひとつの閃きが駆け抜けた。


 美女に触手。人気(ひとけ)のない森の脇で、蠢く触手が美しい女に迫っている。


 それが意味する事など考える必要があるだろうか。何て事だろう。眼前の凶悪なる敵はとんでもない淫獣だということが判明したのだ。気付いた瞬間には腹の底から、かつてない怒りが吹き上げてきた。


「フザけんなこの化物野郎! クロエには指一本触れさせないからな!」


「魔術師様……」


 威勢良く吠えたは良いが丸腰は丸腰だ。せめて棒切れのひとつでもと辺りを探る。そんな時、想定外すぎる声が聞こえた。


――シンペイ様の戦意を確認しました。これより戦闘モードへと移行します。


「そうか、腕輪が使えるんだった!」


 この瞬間までスッカリ忘れていた。既に右手にはガラスめいた剣がある。出現は一瞬の出来事で、疑いや不安を抱く時間すら無かった。


「頼むぞ、今はお前だけが頼りなんだからな」


 剣が応えるかのように、太陽の光で不規則に輝いた。美しくはあるが、切れ味や使い心地は未知数。実用性も伴っていると信じたい。


「魔術師様、敵が!」


 クロエの声で我に返る。細かい事に迷うだけのゆとりは無い。当たって砕けろ、今は戦闘に集中だ。


 ツタが横薙ぎに迫る。伏せれば良い。不思議と確信した。風圧が頭上をかすめる。そこで一歩踏み込み、剣を一閃。


 すると、何の造作もなく敵の身体を切り裂いた。手に感触はほとんど無い。


「キョェェエ!」


 まだ息がある。それどころか戦意も失っておらず、ツタを振り降ろそうとした。


 今度は逆の切り口から斬りつけた。やはり手応え無し。それでも十分な威力があり、巨体は真っ二つに別れた。


 成敗。淫獣、許すまじ。婦女子に、特にクロエを毒牙にかけようとする獣なんて尽(ことごと)く滅びてしまえば良い。


 そんな事を考えていたら、化物は本当に消滅してしまった。今は影も形もない。死体が残らないのは予想外だが、眼前の危機が去った事は明らかだった。


「クロエ、大丈夫か?」


「私はなんとも。どこも怪我はしていません」


 念の為の確認だったが、やはり無事だったらしい。触手に汚されるなど有ってはならない事だ。


「もう安心だよ、立てる?」


 地面にへたり込むクロエに手を差し伸べた。


「すみません。それにしても、魔術師様はお強いのですね」


 オレの善意を掴もうとした手が止まる。それから酷く震えながら、オレの背後の方を指差した。


 そちらに眼をやれば、先程の化物がワラワラと街道に現れたのだ。3体、4体、更に数は増えていく。せめてもの救いは、それら全てが遠く離れているという事くらいか。


「今度こそ逃げよう。走れるか?」


「あの、腰が抜けてしまって……」


「じゃあ仕方ない。掴まれ!」


「キャアッ」


 返事も聞かずに、クロエを抱きかかえて走り出した。人生初の姫抱っこは、化物を背にした逃避行という、何とも色気のないものになってしまった。


 それでも両手に伝わる、華奢な肩周りの感触やフトモモの滑らかさは衝撃的で、心のヒダまでとろかされそうになる。この感触はいっその事、魂に刺青(いれずみ)を刻みたくなる程に、尊い。実に尊い。


 ちなみにこれは健全なる、歴とした戦闘行為だ。戦場で一番難しいと言われる逃走を試みているのだから、極めて逼迫した状況だと言える。


 まさに命がけ。フトモモに心酔するはずがない。よってオレは淫獣にあらず。証明終了。


「クロエ、このまま駆けるぞ」


「それは良いのですが、なぜニヤけてるんです?」


「気にするな。目の錯覚だ」


 そう、気にしてはいけない。さっきからやたらと口角が持ち上がって仕方ないが、決してニヤけてなどいない。なぜならオレは淫獣でないから。非変態(せいじゅん)なのだから。


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