第3話 初めての接触

 急がば回れ。急いては事を仕損じる。


 諺(ことわざ)なんてのは言っちゃあ教訓の宝庫だ。きっと昔の人達も、リンゴを求めるがあまりに滑落したのだろう。


 だからオレは先人の言葉に倣(なら)って、たとえ遠回りになっても着実に歩んで行くのだ。文字通り地に足を着けて。


「なんだかな。静かで緑も豊かだし。良い所なんだろうな。きっと」


 見上げれば青空にたゆたう薄雲。息を吸い込めば草木と土の香り。時々耳に届く鳥のさえずり。おかげで気分が高揚するのだが、理由は別の部分が大きい。


「道があるなら、文明だってあるよな」


 ここには何らかの知的生物が居るってことだ。まぁ見た目が人型とは限らないけども。


 例えばヌメッとしたスライムかもしれないし、魚に手足が生えているパターンもあるだろう。タコやイカみたいに手足がめっちゃウネウネしてるかも知れず、そもそも友好的かどうかも知らない。


「とにかく気をつけるしかないか。最初のうちは特に警戒しなきゃ」 


 それにしても悪路だった。やたら曲がりくねっているし、アップダウンも割と激しく、そのせいか方向感覚もだいぶ怪しくなっている。道標となるのは太陽と、遠目からでも目立つマンションくらいだ。ナビ機能でも無ければ気軽に歩けたりはしないだろう。


――間もなく右手に小径が見えます。そちらへお進みください。


 やがて森の入り口に小径と呼ぶにも悩ましい隙間を見つけた。木々だけでなく雑草までもが育ち放題で、足を踏み入れるのに躊躇してしまう。だが仕方ない。全ては食い物の為だ。


「肉食獣とか出て来ねぇよな?」


 念の為足音を殺しながら進む。視界はやたらと狭く、薄暗い。木々やら雑草が陽射しを遮っているせいだろう。ここまで力強く生い茂っていると、深緑の薫りも青臭さにしか感じないから不思議なもんだ。


 それにしても道が長い、長すぎる。たかが食料探しに、なぜこうも大変な目に遭わなきゃならんのか。崖から転落しかけ、山道を歩かされた挙句の獣道だ。そうまでして得られるのがリンゴとは割に合わないんじゃないか。


 普通に考えて、腹が減れば徒歩数分のコンビニに行くだけで済んだハズだ。千円もあれば満腹になれただろうし、危険だってほとんどない。地球とはイメージする以上に快適だったと、今更痛感させられてしまっあ。


 そんな意味の無い不満を浮かべていると、遠くに光を見た。まるで心細さを溶かしてくれるようか輝きだ。


「これは出口ってことで良いんだよな?」


 草むらから向こうの様子を窺うと、木漏れ日の暖かさが滲む場所が見えた。生き物の気配は無いと知り、足音を殺して一歩踏み出してみる。


 微風に合わせて空の光が明滅した。枝葉の隙間からこぼれ落ちる光は宝石を散りばめたようで、思わず見惚れる程に美しい。辺りを見渡してみたら木々にリンゴがなっているのが分かった。心なしか、甘い香りが漂っている気もする。


「よっしゃ、いただきます!」


 手近な果実をもいで、そのまま噛りついた。口の中に甘い汁が流れ込む。表面の皮は渋いが、果肉の水分は多めで食べるのは苦にならなかった。というか美味い。


「良いなコレ。いくらでも食えそうだ」


 2つ3つとリンゴを両手にとって、片一方は齧りながら、もう片方をバッグに詰めていく。そうして腹の中が水っぽくなった頃だ。突然アドミーナが不穏な言葉を吐いた。


――後方より生命体の接近を感知しました。ご注意ください。


「生命体って……!?」


 すぐにその場で振り返った。相手は虎や狼なんかの凶暴な肉食獣か。それとも人知を超えた化物でも現れたか。固唾を飲んで睨み続けた。


 そんな最中、視線の先に現れたのは獣ではなく人だった。しかもただの人間ではない。その姿に思わず釘付けとなり、掌からリンゴを落としてしまった。


「女の子だ……」


 現れたのは可愛らしい女性だった。頭巾から垂れる髪は栗毛色で、そよぐ風に合わせて頬を撫でる。目鼻立ちが整っているのは遠目でも分かるし、まつ毛も豊かなようだ。服装は長袖のワンピースで、ベージュをくすませたような色味。


 肌は白いのに手足は泥で汚れていて、それが尚更愛おしく感じられ、優しく拭ってあげたくなる。湯で湿らせた暖かな布で、そっと撫でるようにして。


「この子が異世界人、かぁ」


 ジワリジワリと胸から込み上げてくる感覚は甘美で、思わず蕩(とろ)けるような心地になる。次いで背筋には電流が走り、頚椎(けいつい)を伝って脳に強烈な衝撃をもたらした。


 こういう時、悩殺だとか魅了なんて言い方をするらしいが、そんな生易しいものじゃなかった。敢えて喩えるなら、魂が消し飛んで輪廻転生した。控えめに言ってもそれくらいの感覚があったのは確実だ。


 少なくとも、転生騒ぎで味わった苦労など完全に消えていた。むしろこんな美人と巡り会えるなら、いくらでも危険な目に遭ってやろうとすら思えてくる。


「あ、あぁ……」


 微かに聞こえる呻き声にハッとさせられた。眼前の女性は恐怖心に苛まれているのか、両手で口元を覆って震えていた。


 その様子から改めて自分の姿を顧みた。黒ジャケットにTシャツ、下はスラックスと、彼女とは相当かけ離れた装いをしていた。そんな男がひと気の無い森をうろついているのだから、不審がられても仕方ない。ともかく相手の警戒心を解かなくては。


「ご、ごめんね。驚かせちゃったかな?」


 極力宥める声を出したつもりだが、効果は無かったらしい。彼女は小さな悲鳴を細切れに絞り出し、半歩ほど後ずさる始末。下手したら、騒ぎにまで発展するかもしれない。そんな事態は避けたいし、この愛くるしい女性ともお近づきになる為にも懐柔は必須だった。


「ええと、オレさ、あそこから来たんだ。あのおっきな建物が見えるだろ?」


 とりあえず身の上話から。何が琴線に触れるか分からない。すると、早くも彼女の顔色に変化が現れて、怯えた様子も和らいでいく。


「あちらの塔からいらっしゃった、のですか?」


「うん、まぁ塔っぽくも見えるか」


「となると、あなたは魔術師様なのでしょうか?」


「えぇ……?」


 まだ二十代のオレには三十路童貞(まほうつかい)までに数年の猶予が残されている。なぜ非モテを看破されたのかは謎だが、誤解は早いうちに解消しなくてはならない。定着したイメージを払拭するというのは大変な作業なのだから。


「オレはまだ28歳だからさ。その烙印を押すには早すぎる……」


「まぁ! その若さで魔術師様だなんて凄いです!」


「うん……?」


「私、初めてお会いしました。本物の魔術師様に」


 どうやら彼女はスラングの方ではなく、純粋な魔術師の方を連想したらしい。それはそれで誤解なのだが、どうしたもんか。


「喜んでるところ悪いんだけど、オレは魔術師なんかじゃない、と思うんだわ」


「でも、あの塔にお住まいなんですよね? みんな噂してましたよ。『あんなものが一夜にして出来るだなんて、何か大掛かりな魔法を使ったハズだ』って」


「うっ……確かに」


 ある意味正論だった。唐突にタワーマンションなんてもんが現れたとしたら、そりゃあ魔法だと決めつけられても仕方ないかもしれない。だからと言って、オレを魔術師だのと崇められても困る。


「あの、もし良かったら、何か魔法を見せていただけませんか? ほんのちょっとで構いませんので」


 早速来たよ無理難題。もうここでキッパリと告げてしまった方が良いだろう。


「あの塔は確かに不思議に思うかもしれんが、とにかくオレは魔法なんか使えない……」


 言いかけたその時、腕輪が強く発光した。そして頼んでもいないのに、ぶっとい横槍まで差し込んできやがった。


――魔術師様は不用意に力を振るう事を好みません。ご理解ください。


「アドミーナこの野郎、急に何を言い出すんだ!」


「腕輪から人の声!? もしかして、これが噂に名高い魔道具なのですか!」


「あ、いや、これは何つうか。勝手に押し付けられた呪いのアイテムみたいなもんで……」


「やっぱり魔術師様なのですね、スゴイスゴイ!」


 少女が小躍りして喜び始めた。いよいよ、いよいよ後戻りがきかなくなってくる。それはまるで、外堀がブルドーザーやらの重機で埋められていくかのように。


「さっきは失礼なお願いをして、すみませんでした。私ったら、つい舞い上がっちゃって」


「うん、謝らなくていいよ。そんでもって、魔術師だという誤解を……」


「今日はなんて素晴らしい日なんでしょう。私は、アナタと出会えた事を幸運に思います!」


 その言葉はとんでもない威力だった。このオレと、30年近く女と無縁に生きてきたオレに、出会えて幸運だと言ってくれるのか。地球では恐らく一生かけても聞くことのない言葉。それは心のヒダまで染み込むようで、どこまでも暖かく響いた。


 あぁ、もう魔術師でいいや。この尊敬の眼差しを前にして、訂正なんか出来るものか。こうなれば何だって演じてやる、彼女が望み続ける限り。


 そんな決心を抱きつつ、少女の顔を見つめた。今も変わらず、真っ直ぐで柔らかな眼差しがこちらに向けられていた。その視線がまた、心の奥底を暖かく焦がしてくれた。

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