第2話 アドミーナこの野郎

 唐突に訪れた食糧危機。手持ちの食い物は皆無という、出だしからハードな異世界暮らしが幕を開けた。


 ちなみにマンション内に災害用の備蓄があるかと思って尋ねてみたが、完全なる空振り。後日に搬入作業を終える予定だったらしく、食料やら薬品の類はひとつも無いとの事。


 ただし、貯水槽に水が満杯に貯められていたのは救いだ。飲料用はもちろん、毎日風呂に入ってもビクともしないだけの量があるらしい。それだけは唯一と言っても良い朗報だった。


「つってもな、水だけで生きていける訳ないし」


 空っぽのリュックを背負うと、部屋を後にした。とりあえず腹に溜まる物を手に入れよう。体力のあるうちに食える算段を立てておかないと、いずれ衰弱、最終的には餓死が待っている。生き甲斐を見失いかけてはいるものの、さすがに死ぬのは勘弁だ。


 通路の中ほどにはエレベーターがある。側まで寄ると通電している事に気付いた。ボタンもちゃんと反応するし、ドアの開閉も問題ない。何故だと考えるうち、電気は屋上のソーラーシステムで賄っている事を思い出した。


「そういや部屋の中もオール電化だよな。意外と快適に暮らせるかも?」


 特に火起こしの労力が要らないのは有難い。棒切れや板と格闘しなくて済むのだから。


 そんな考えを巡らすうち、乗り込んだエレベーターで1階まで降りた。ドアがゆっくりと開く。しかし、両目に飛び込んできた光景が信じられず、思わずその場で足を凍らせてしまった。


「な、何だココは!?」


 辺りは一面が真っ暗闇だ。その黒い空間のあちこちには、綺羅星のような光が数え切れない程に点在している。安っぽい表現をしたなら、宇宙空間に飛び込んだみたい、となるだろうか。


「つうかやばい、早く逃げなきゃ!」


 気がつけば腰を抜かしていた。ここが本当に宇宙だったら即死級のピンチだ。壁にしがみつきながらボタンに手を伸ばす、だが届かない。足は産まれたての子馬同然に震えて、全く力が入らなかった。


 閉じるボタンまであと少し。爪の先がもうちょっとで触れそうになる。まさにそんな時だ。どこからか人の声が聞こえてきたのは。


「タキシンペイ様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


「……へ?」


 抑揚のない平らな口調には聞き覚えがあった。それでも状況にそぐわない気がして、ただひたらすら闇の方を眺めてしまう。


 すると、向こう側から1人の女性が歩いてやってきた。真っ暗な空間を徒歩で。しかも発光する球型の何かを両手で抱きかかえながら。


 その姿を目にするなり、疑問の中に小さな小さな安堵を見い出した。


「もしかして、アンタは……」


「こうしてお目にかかるのは初めてですね。アドミーナでございます」


 彼女は球体から離し、それを宙に浮かべると、今度は深々とお辞儀をした。


「実在してたのか? 人工知能だったはずじゃ」


「仰る通り私は皆様のお部屋や、アプリケーション越しにサポートするだけの存在でした」


「アプリもあったんだ」


「しかしながら、当マンションのグランディオス・ヒルズが転生を果たしたことにより、アップグレードが実行されたのです」


 アドミーナが掌を上に向けつつ、視線を集めたいかのように高く掲げた。促されるままに顔を向けると、明滅する星から光線のようなものが彼女の身体へと伸びているのが見えた。これに似たものをアミューズメント施設で見た気がする。


「もしかして、ホログラフィー?」


 アドミーナが静かに頷いた。


「ご明察。今後は敷地内であれば参上する事が可能となります。ただし、立体映像としてですが」


「つまりは実在していない?」


「物理的な接触が不可であるという点では、その通りにございます」


 実在しない女性。だから、アドミーナには触われはしない。勿体ないな、美人なのに。


 ドエロい仲にまで成れないにしても、ちょっと頬を撫でるとか、魂の渇きを潤すような関係性に期待をした。しかしそれもダメというのだから、人生に夢なんか無いのだと改めて思い知らされる。


 地球でならいざ知らず、同胞のいない世界で聞くには辛すぎる事実だった。


「そういった事情から、夜な夜な慰み物となるのは難しくあります。誠に申し訳ございません」


「きゅっ、急に何を言い出すんだ?」


「シンペイ様の性欲値が急激に上昇した為、状況を正確に認識していただきたく……」


「やめたまえ。これでも私は紳士的な人間なのだよ」


「大変失礼しました。以降は先程のような視線を送られましても、不必要な発言を控えるように致します」


 初対面なのに性欲モンスターみたいな扱いを受けてしまった。つうか美人を前にして心がモキャッとするのは、誰しも同じことだろうに。同じである、と信じたい。


「さて、恐縮ではございますが、そろそろ本題についてご説明致します」


「何か用でもあるのか?」


「お時間を頂戴してまで引き留めたのは、大切な贈り物がある故にございます」


 そう言い終えるなり、掌に光り輝く粒子を生み出したかと思えば、フッと息を吹きかけた。


 するとどうだろう。光は美しいカーブを描きながら頭上まで舞い上がり、ひとしきり宙を駆け抜けた。まるで命でも宿ったかのように生き生きとしていて、その様から羽ばたく鳥を連想した。背景を考慮したら、不規則な動きの流星群と言うべきかもしれない。


 しばらく成り行きを眺めていると、光はオレの方へ一直線に飛来した。そして利き手に衝突するなり、何も着けていなかった腕に輪っかが出来た。


 色味は銀で光沢は無い。意匠も目立つものではなく、ささやかな紋様が描かれているだけだった。


「これは……?」


「シンペイ様に快適な暮らしをお届けする為に作成したものです。ぜひとも肌身離さずお使いください」


「快適って、この腕輪で?」


「はい。そちらには有用な機能を多数搭載しております。まずは現地語の自動通訳・翻訳。状況に応じてライティングも可能です」


 腕輪を付けるだけで他言語が堪能になると言ったか。当然だが信じられそうにない。どこからどう眺めても、ちょっとシャレた銀細工にしか見えないのだから。


「探索にはナビ機能が便利です。ご利用法として、地名をお申し付けくだされば音声にてご案内いたします。また、あいまい検索にも対応済みです」


「この腕輪でナビ……ねぇ」


「また、身体強化と武装機能も備えております。敵性生物に遭遇した場合には即戦闘モードとなり、強力な武器に変化致します」


「しかも武器に変化するだって? さっきから色々言うけどさ。さすがに冗談だろ」


「論より証拠。実際にご覧ください」


 アドミーナがテスト起動と呟く。すると右手の腕輪が輝くなり消失し、掌にひと振りの剣が出現した。手品にしても鮮やかすぎる。


「納得していただけたでしょうか」


「……うん、信用する。一応は」


 それにしても、この剣の美しさは何だろう。思わず見惚れてしまいそうだ。


 刀身はガラスを荒く削ったかのように歪な形をしているが、透明感があり、微かな光すらも様々な色に反射して輝いている。柄のヘコミはオレの指と絶妙にフィットし、オーダーメイドでもしたかのようだ。


 扱いやすいように思う。何と言っても重くないのが有難い。


「初期状態では剣のみですが、ゆくゆくは形態変化をさせる事もできます」


「へぇ、すげぇな……」   


「また肉体面も、既に大幅な強化が為されております。ですが、万全を期すにも武器の活用をお願い致します」


「肉体の強化って、どんな感じ?」


「現時点で、駆ければ一日千里。また腕力は、熊と組み付いて互角という程度でございます」


 熊とやりあえるとかヤバすぎる。オレは地球という星からだけでなく、人間の枠組みからも飛び出してしまったらしい。一体どこへ向かってるんだろう。


「以上がベーシック機能のご説明となります。宜しければ、引き続きアップグレード・システムについてもお話ししますが、いかが致しましょう」


 正直言ってオレはそろそろ限界だった。頭はパンクしそうだし、胃は空腹で穴が空きそうだ。


 とりあえず、翻訳・ナビ・武装機能を貰った事だけ覚えておけば十分だと思う。


「残りの話は後にしてくれ。早く食い物を探しに行きたいんだ」


「承知致しました。各種説明はお手隙の際にいつでもご確認できます」


「分かったよ。必要になったらお願いする」


「ではこれにて、『コア・ルーム』を閉じさせていただきます」


 アドミーナが片手でゆっくりと弧を描くと、辺りの情景が一変した。宇宙空間らしき背景や光球が、端から粉々の塵になって吹き飛ばされていく。


 そうして現れたのは、見慣れたエントランスホールだ。黒を基調とした大理石の床。ガラス張りの壁からはふんだんな日差しが差し込み、2人がけのソファを優しく照らす。


 場面の変化から唯一取り残されたのはアドミーナだけで、彼女は恭(うやうや)しく頭を下げながら言った。


「それでは行ってらっしゃいませ」


 そこでオレはマンションを後にした。何というか、矢継ぎ早に色々と見せつけられたが、もう疑問を抱くまい。それよりも今はメシにありつきたかった。


 だが逸る気持ちとは裏腹に、意気揚々と進めずにいる。道がからっきし分からないからだ。


「目の前にあるのは街道か? さて、どこに行けば食い物にありつけるか……」


 マンションは道の横っ腹に建っている。正面は木々の林立する森。進むとしたら左右のどちらかだが、土地勘の無さから足が止まってしまう。できれば無駄を避けて最短ルートを選びたいのだけど。


――リンゴの群生地を発見しました。ここから東に850メートルです。


 不意に声がした。耳を介したというよりは、直接体内に響いた感覚がある。どうやらこれが「ナビ機能」というヤツらしい。便利じゃないか。


「東っつうとコッチだよな」


――はい、そのまま道なりにお進みください。


 空の様子から方角を予想したが、太陽が東から昇るというルールも地球と同じらしい。そんな事に感じ入りつつ、森の道を歩いていく。


 しばらくすると朽ちかけた立て看板を見つけた。もちろん馴染みの無い文字で、日本語や英語ではないどころか、アルファベットですらない記号の羅列だった。


 それでも不思議と内容を理解できた。『この先、ヴァーリアスの都』と書かれているのだと。


「これが翻訳機能か。スゲェ便利じゃん!」


 気を良くすれば足も軽くなる。心に満ちる万能感がそうさせるのか、オレは新たな指示を出した。


「ルートは最短で頼むぞ。異世界の食いモンを早く食べてみたいからな」


――承知しました。それでは一度道から外れ、そのまま正面をお進みください。


 付近の様子はというと、道が大きな曲がり角を作っていて、目の前は深い茂みだ。獣道みたいなものを歩けという事らしいが、誘導されるがままに従ってみた。


「まぁ足腰なら通勤で鍛えてるからな。多少の悪路くらいは平気……!?」


 茂みを掻き分けて進むうちに足場が消えた。身体は不快な浮遊感を味わいつつ、急峻な斜面を転がり落ちていく。


「ヤバい、この角度は絶対ヤバい!」


 落ちていく最中、手当たり次第に雑草を掴んだ。しかし重力による落下は強敵だ。速度が和らぎはしても、止まってはくれない。それでも大きく張り出した木の根っこにしがみついて、ようやく転落を免れる事が出来た。


「ふぅ、ふぅ……。助かった」


 チラリと足元を覗いてみると、まだまだ先があった。落ちたら痛いじゃ済まないだろうし、最悪の場合死ぬ可能性すらありそうだ。安堵する気持ちが浮かぶと同時に、フツフツとした怒りもこみ上げてくる。


「アドミーナこの野郎!」


 怒声に対する返事は、やはり平たい。


――その崖を飛び越えたすぐ先に、リンゴの群生地帯があります。


「あのな……。次からは現実的というか、安全なルートに誘導しろよ!」


――承知しました。以後、断崖絶壁は除外します。


 やっぱり機械というのは融通が利かないもんだ。アドミーナも頼りになるようで、どこか抜けている。落ちてきた崖を登りつつ、彼女への認識を改める事に決めた。



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