第1話 最寄りとは何か
スマホが朝7時を告げた。寝覚めはスッキリ気分爽快。胸で踊り狂うワクワク感が二度寝を許すハズもなく、大きな伸びの後に跳ね起きた。
隣接するリビングは日当たり良好だ。締め切ったカーテンの隙間からでも、十分なくらいに朝日が降り注いでいる。
「さて、早朝の景色はどんなもんかな」
南向きの窓にかかるカーテンを一気に開け広げた。レールが小気味好い音を鳴らす。しかし、それと同時に眼に飛び込んできた光景は、とにかく驚愕すべきものだった。
辺りからは文明が消えていた。比喩表現ではなく、何一つとして人工物が見えないのだ。手付かずとしか思えない原生林、美しい稜線の山々は所々が雪化粧。木々の隙間から湖だか湾だかの水面がわずかに見える。
建物や看板、駅だの道路だの全てが無い。それどころか、アスファルトやコンクリートすら見えない。無い無い何もかもが無いという恐るべき事態だった。
「何なんだよ、これ……!?」
足元から力が抜け、その場に座り込んでしまった。なぜ、どうしてと考えてみても、分かるのは理解が追いついていない事実だけ。
これは夢か幻か。それにしては五感が現実味を伝えてくる。室内の香り、日差しで感じる眩しさや熱気、締め付けられる胸の痛み。これが夢だとしたら、もっと荒唐無稽な要素が加わるもんじゃないのか。しかし、眼にしたものを現実として捉えるには、余りにも受け入れがたい。
浅い呼吸。額に脂汗が流れるのを自覚した頃、室内で『ポンッ』という軽快でノンキな音が鳴った。アドミーナが起動したらしい。
「おはようございます、タキシンペイ様。体温は平熱、脈拍に異常あり。本日は安静に過ごす事をオススメします」
相変わらず抑揚の弱い、平たい声だと思う。
「アドミーナ、ここはどこなんだ?」
僅かな望みを託し、尋ねてみる。
「ご自宅までの距離、0メートルです」
違う、そういう事じゃない。やはり機械は融通が利かないモノなのか。
「ええと、何つうか、外の様子がおかしいだろ! 何が起きたのか教えてくれ!」
アドミーナの返答は変わらず平たい口調だ。しかし告げられた言葉はとにかく信じがたいもので、腹の手前でつっかえて飲み込めなかった。
「当マンション、グランディオス・ヒルズは異質なる世界に転生致しました。ここは地球より遥か彼方、一千億光年ほど離れた惑星です」
「……ハァ!?」
「環境として、地球との類似率は88.1%となっております。食や水、大気のいずれも地球人に影響はございません。また、生命体や文化は独自の進化を遂げており……」
「待て待て待て、意味が分からん!」
転生だの億光年だの、非現実的な言葉を並べられても困る。オレの困惑は数分前よりもずっと悪化してしまった。
「では順を追ってご説明しますので、モニターをご覧ください」
促されるままに画面を見ると、そこには防犯カメラらしき映像が映し出されていた。シーンは正面玄関。そこで何をするでもなくウロつく男が居る。目立たない暗めの服装にニット帽を目深に被るという、いかにも怪しげな姿だった。
ちなみに映像の時刻は昨晩0時前。ちょうどオレが眠りに落ちた頃だろうか。
「この不届きな男は押し入り強盗の模様。刃物を隠したままで侵入を試みようとしておりました」
「強盗!?」
そう知ると、思わず腹の中に冷たいものを感じた。このマンションにはオレしか住民が居ないのだから、標的なんて明らかだ。自然と眼が映像に引き寄せられていく。
男は左右を見回し、何かを確信すると敷地内に足を踏み入れた。右手を庇うような姿勢だ。手元が街灯の明かりを残忍に反射する。その光は悪意に満ちているようで、思わず悲鳴をあげたくなる衝動に駆られてしまった。
「ここでセキュリティが作動し、センサーライトによる警告がなされました。この男は意外にも小心者だったようです。酷く慌てた様子でした」
画面にもそんな光景が映し出されていた。男は玄関に辿り着く直前にライトを浴びせられ、飛び上がってまで驚いた。最終的には足をもつれさせて転び、顔面から地面に倒れてしまう。
「この時、男の刃物が敷地内の一部を削りました」
「倒れた拍子に刃物で突いたんだろう。なんだか手慣れてない感じだな」
「そして、強盗に傷つけられたものは異世界転生するのが世の理(ことわり)です」
「ん?」
「ゆえにグランディオス・ヒルズは、遥か彼方にただずむ惑星にて転生を果たしました。極めて希少なる能力を付与された上で」
「ちょっと待てよ!」
「繰り返しになりますが、この星は概ね地球と変わりがありません。ゆえに宇宙服のような重装備も不要です。水や食べ物も、品質次第では経口摂取が可能と……」
「待てと言っただろうが!」
「はい。待機します」
矢継ぎ早に受けた説明は、どれもこれもバカげた内容だった。異世界転生だなんてあり得る訳がない。しかもマンションの、つまりは無機質な物体が『転生』するだなんて与太話を信じろという。
そんな非科学的な事があってたまるか。しかし現実として、見知らぬ土地に飛ばされたのは間違いない。巨大建築物が一夜で移動したのだから、超常現象が起きたと考えるべきかもしれない。
となると、今オレが確認すべきことは限られてくる。
「アドミーナ、現状について聞きたい。地球っつうか、前の場所には戻れるのか?」
「申し訳ありません。今の設備では、星間移動する事は叶いません」
スマホを取り出して確かめてみる。通話もウェブサイトも使えなかった。
「今の話は本当なんだな?」
「間違いありません」
パソコンの方も試してみる。やはりネットワークが切断された状態だ。ここまで来て、ようやく一つの結論に至った。
「終わった、オレの人生。終わっちゃった……」
「体温は平熱、脈拍に多少の異常。落命するほどの体調ではありません」
「そうじゃねぇよ」
モテたいが為に背伸びして買ったマンション。しかしそれが仇となり、途方もなく遠い星へと連れ去られてしまうとは。しかも帰れない片道切符だと言うじゃないか。
「最悪だ。せめて死ぬ前に恋人の一人でも欲しかったな」
「承知しました。お気に入り登録に恋愛を追加しておきます」
「勝手にしてくれ……」
設定の残りを登録されてしまったらしいが、訂正する気にもならなかった。地球人と出会えない環境でどうしろというのか。まさか未知なる生物との合コンでもセッティングするのか、バカバカしい。
いくつかの悪態を浮かべていると、空腹を感じた。何か食べ物をと思った瞬間に血の気が引いた。引っ越し直前に全ての食品を処分した後だったからだ。備え付けの冷蔵庫の中は空っぽ。飲み物ひとつ無いという惨状だった。
「最寄りのコンビニはどこかな……」
口からはつい、意味のないボヤキが漏れた。
「コンビニまでの距離、一千億光年と200メートルになります」
アドミーナが皮肉めいた返事を寄越した。だから、そうじゃねぇよ。
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