第21話
「……芙蓉! お願い。今は大人しくしてちょうだい」
震える声でそう言われれば勝ち気な芙蓉も黙るしかない。耐えるようにぐっと奥歯を噛み締め「すみません」と謝罪の言葉を発した。
首に巻き付いた手が離れ、先程より呼吸がしやすくなる。首を撫でながら背後に視線だけを向けるとウィルドは凪いだ眼差しで芙蓉を見つめていた。
「私の意見は変わらない。お前達に協力はするが、前提として月娟様の安全が第一だ」
その目を睨みつけながら吐き捨てる。
「月娟様を第一に考えられないのなら協力はできない」
「君が月娟を大切にしていることは分かっている。だから俺達もその意志を尊重するよ。芙蓉、君ならどうする? できる限り早くこの場所から去りたいがこれ以上は前に進めない」
それに答えたのはジュダルだ。ゆっくりと顎をひき、余裕のある表情で「引き返す?」と問いかけてきた。
「……引き返し、分かれ道の反対にいく」
脳裏で描いた地図によれば先程通った道の反対を行き、真っ直ぐ進めば開けた場所に辿り着くはず。今宵のようにまばゆい月明かりの元、選ぶ道ではないが馬を持たない琰慈達では発見されても自分達には追いつくことは敵わないだろう。
芙蓉の提案に、ジュダルは両目を細めて「分かれ道、ねぇ……」と呟く。
「そのまま行けば草原に辿り着くだろうが、草原の手前で左の道を進む。そこなら密林となっているはず。密集する葉が雨からある程度守ってくれるはずだ」
ジュダルは細めた両目を見開き、訝しむ目付きで芙蓉を見た。信じられないとでもいいたげだ。
「……草原を突っ切って行ったほうが早いよ?」
やはり、と芙蓉は思った。
「その先には清兵がいる。人数は聞いてはいないが私達だけでは突破することはできない」
草原を進んだ先には山賊と無駄な戦闘を回避するために琰慈が手配してくれた清兵が公主と、公主に追従する者達を待っている。
武装した彼らに対して、こちらは四名。しかも戦えるのはウィルド一人だけ。幼い子供でも多勢に無勢なこの状況、こちらに勝機は全くないことは理解するだろう。
「本当に協力する気なんだ」
「全ては月娟様のために。月娟様が望むことを叶えるのが私の使命だ」
「君が俺達をそこに誘導しようとしていると考えていたよ」
「誘導しても無駄なのは分かっている」
これでジュダルの信用を少しは得られただろう。感情的で演技が苦手なので不安だったがバレなかったことに芙蓉は胸をなでおろした。
***
別れ道に差し掛かる。道は三つに別れている。右は草木が生い茂る、とうてい歩くことができないであろう獣道。前方は月光に照らされ、色を深くする草原。左は獣道ではあるが右と比べて足元の確認ができるので馬でも十分安全に移動できる。
芙蓉が言わずともジュダルは迷うことなく左の道を選択した。
進むにつれ荒れた道は細い小道に姿を変え、月光を遮るように葉が重なり生い茂る。一同は近くにいる清兵に気取られないように静かに馬を進ませた。
「……雨が降る」
芙蓉はすんと鼻先を擦る。人並み外れた嗅覚は、確かに地面から立ち上る独特な匂いを嗅ぎ取った。
しかし、
「予想よりも酷そうだ」
肌を舐めるねっとりとした水の気は、これが
「どれぐらい酷いの?」
「分からない。多分、前の時より酷いと思う……」
芙蓉は首を左右に振った。奏国と気候が違うためなのか、想像した雨量より少なかったり多かったりするので予想が難しい。現にさっきまでは通り雨程度だと思っていた。
「山の天気は変わりやすいからね。予想が難しいのは仕方がないさ」
「ここら辺に雨宿りできそうな場所はあるか? どれぐらいの降雨量か分からないから一応、場所を確認したい」
「……あるはあるけど、奏兵がいる可能性があるから無理だ」
二人して険しい表情をして、唸っていると今まで無言を貫いていた月娟がおずおずと口を開いた。
「芙蓉。私は大丈夫よ」
「けれど、……いえ、なんでもありません」
「それより貴女は平気? まだ熱があるのでしょう?」
「熱があればこれほど軽快に話せませんよ。とてつもなく不服ですが、
力こぶを作る動作をすれば月娟は安心した様子で「無理しないでね」と言った。
「私の頑丈さは貴女様が一番、知っているでしょう?」
その言葉に月娟は小さな笑みをこぼす。
「知っているわ。芙蓉がとても強くて格好良くて、頑丈だってことぐらい」
「それは褒めすぎですよ」
思った以上に褒められた。はずかしくて芙蓉は気を紛らわすために頬をかく。
「月娟がいいなら早く進むよ。防寒用に用意していた
二人のやりとりをじっと見ていたジュダルは嫉妬からなのか我慢の限界なのかむすっとした顔をする。
「芙蓉、君の分はないけどね」
意地悪く言えば月娟から非難の眼差しを受け、急いで「俺やウィルドの分もないけど!」と付け加えてきた。
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