独白の夜《鬻ぎ筆》

かんなづき

鬻ぎ筆

 Web小説。面白い世界だ。


 日々どこかの誰かが文章を投稿し、どこかの誰かがそのページを開いて読む。


 それがすべて勝手に行われる。どんなものを書こうが、どんなものを読もうが、自由な世界だ。美しい言葉の表現が飛び交い、人気のある作品は世に出て行く。


 私もそんな世界に足を踏み入れて半年と少しが経った。


 


 ずっと、違和感がある。




 私がしていることが、私じゃない誰かからはどう見えているのかということである。私は基本的に文章を書く側にいるから、この場合、読者側から私を見てどうか、ということだ。


 一つだけ、聞きたいことがある。




 私は「小説家」に見えるか?




 私は自分のことをそうは思えない。この活動をする上で説明しやすいから、便宜上「小説家」や「物書き」を語ることはあるが、実際の私はそんな偉くない。


 私がしていること。


 それは、「どこかの誰かの人生を覗くカメラを作ること」である。ただそれだけ。


 小説には登場人物がいるだろう。主人公がいて、その友達がいて、仲間がいて、時には恋人がいて、その主人公を邪魔する敵がいて。その中で主人公たちが生きていく。これはほとんどの小説に当てはまることだと認識している。


 ほとんどの読み手には、それはストーリーとして捉えられる。


 作り話には順序があって、伏線があって、展開がある。それは作者が想い描くままに進んでいく。理想の小説像がこれだ。私もこれが理想であることに異論はない。




 でも私が書いている物はそれに当てはまらない。




 私はストーリーを描いているわけではなく、登場人物たちの人生を映し出して文字に変換しているだけだ。読者が彼らの人生を覗き込むためのカメラである。


「感情移入しやすい」とか「引き込まれる」などの声をもらったことがある。


 私はあなたたちを引き込んではいない。そんなすごいことできない。ただ私のつくったカメラの画質がちょっときれいなだけだ。


 基本的には作家ではなく、放送者に近い感覚で私はいる。





 乖離している。


 私の作品は今、どうなっている? その作品で映し出された、彼らの人生はどのように受け取られている?


 読み物。


 それだけだ。彼らの人生は、読者を満足させるためだけのストーリーになってしまっているのだ。


 私はそれをひさふでと呼んでいる。


 彼らの人生は作者によって作られ、その行先も作者の思い通りに展開される。だから評価されるのは彼らの生き様ではなく、作者の筆力である。


 読者の需要を満たせない展開は徹底的に排除され、存在を否定され、彼らの人生も捻じ曲げられる。




 彼らに生きる権利はないのか。




「作品は読者のもの」

「何を書くかは作者の自由」


 違う。自由なのは描かれた彼らがどう生きるかだ。それは私のものではない。私の作品は、登場人物たちが必死に生きた証。人生そのものである。私のものではない。


 それがどうだろう。その文章に対する評価は。


[いつも応援しています。頑張ってください]

 温かい言葉だ。そうやって言っていただけるのはとてもありがたい。でも応援されるべきのは、私じゃなくてカメラの向こうの彼らだ。


[表現力が素晴らしい。すらすら読める]

 表現力を褒めてもらうのは嬉しいしとてもありがたい。だけれども、私の作品においては評価されるのはカメラの画質ではない。彼らがどうやって生きるかだ。すらすら読めるのがすべてではないかもしれない。





 私の作品がいたずらに有名になってしまったことがある。私のこの感覚などとても通用しないほど彼らの人生は弄ばれてしまった。鬻がれたのだ。作品内でひどい目に合う登場人物たち。それに対して、何も知らない読者は悪口を吐いて去った。


 別にその悪口や批判は間違ったことではない。当たり前だ。


 でも、肝心の登場人物たちの人生は完全に蔑ろにされた。


「今まで楽しませてもらったけど、趣味に合わないからフォロー外します」


 なんでそれを私に言う?

 あなたたちを楽しませていたのは、私じゃなくて登場人物たちだ。彼らが紡いできた時間をあなたたちは覗き込んでいたんだ。


 を。


 私は悪口を言われてもしょうがない人間だ。それ相応の行いしかしていないし、才能もあるわけじゃない。もてはやされるほど立派に生きてもいない。


 でも、カメラの向こうの彼らは違う。彼らは必死に生きている。答えを探すため、幸せになるため、大切なものを守るため。その人生で約束されていることなんて一つもない。現実と一緒だ。


 それが読者のエゴに飲まれて、勝手に査定されるのだ。


 私に、描かれてしまったばかりに。





 私は、それが悔しくて仕方がない。


 彼らは生きる価値を否定されるほど、醜い生き様をしているのだろうか。


 もちろん私の描き方が悪かった部分もある。それによって彼らに対してバイアスがかかって印象が変わってしまうこともある。


 そう考えた時、私のこの活動の八割は罪悪感で構成されていることに気が付いた。


 私は、何をしているんだろう、と。





 私が筆を取った理由は何だっただろうか。


 一度落ち着いて考えてみようと思う。





 私は記憶もないくらい小さな頃、とある心臓病を発症した。


 最悪死ぬような病気だ。


 幸い、致死率がめちゃくちゃ高いわけではなく、治療法もきちんとしていたから、私は生き残ることができた。死ぬ方が珍しいくらいかもしれない。




 なぜ、こちら側に引き留められたのだろうか。




 そんなことを考えるようになっていた。もちろん病気をした頃の記憶はない。相当苦しんだはずだが、その光景を鮮明に覚えているわけではないから、「生き残った」という実感は薄い。


 しかし、助かったことは事実としてある。


 これが読者の大好きな「伏線」というやつなら、なにか理由があるのではないか。よく言う、「生きる意味」というやつが。


 なにか、幸せが待っているのか?



 待っていなかった。



 小学校に入ったら、嫌がらせは受けたし。担任に相談しても流されたし。


 当時私が自分で持っていたものは、小さな小さな心と70を少し超えるほどの偏差値くらいであった。

 

 優しい友達と家族には恵まれていたから、人生を諦めるという選択をすることはなかったけど、それでも何か引っかかることはある。




 生きてて辛いことはまぁまぁあるけど、死にたいとは思わない。

 でも「生きる意味」は全然見つからない。生きててなんだか気持ちが悪い。




 そんな私を救ってくれたものがある。


 音楽だ。


 中学生になって音楽に出会った。ピアノを習っていたとかではなく、普通に音楽系の部活に入ったのだ。


 はっきり言って、世界が変わった。確かに特殊な部活だし、顧問も独特な先生だったけど、それ以上に大きいスイッチが動いた感覚がしたのだ。


 その場に起こった何かが誰かに届いていく感覚。あの感覚を始めて味わった衝撃を私は忘れることができない。こんなに美しいものがあるのか、と。


 そのうち、自分で音楽を作り始めた。作曲を習ったり、教本を買ったりはしていない。普段触れる音楽の形を見つめて、自分の世界に落とし込みながら完全に独学で作り上げる。それをYouTubeでアーカイブとして保存していく。


 聴いてくれた人たちからの言葉が届いたりすると、なんだか不思議な気分になるのだ。自分が生きていなかったら、こういう作品も生まれなかったわけだし。


 時には、自分の作品が国境を越えて演奏されることもあった。




 誰かに届く。その人の心を作る。




 自分はそんなことがしたいのかもしれないとも思った。


 私の心は人生で関わった周りの人たちによって作られたものだ。時には、それは顔の見えない相手からの諫めの言葉であったりもした。そしてそれは毎日更新されて行く。


 そういうことを感じるたびに、「自分が生きている」と感じたりするのだ。自分の人生とその時間を証明されている気分になるのだ。


 私も、誰かの人生を証明できやしないか?





 そうやって私は筆を取った。


 たとえ架空であったとしても誰かの人生がそこにあって、それが読み手という一人の人間の人生と結合する。心を作り出す。


 この世界では、そういうことができるのではないか。そう思った。


 もちろん、文章に関する経験は全然ないし、正直言って文才もない。


 ただそこに映し出される美しい時間を、誰かに届けたいと思った。だから私の作品はほとんどが一人称視点だ。だってそれは、彼らの人生そのものなんだから。





 それが届くのに、作者である「私」が理解される必要はない。ただ登場人物たちが織り成す美しい時間を咀嚼するのが、何よりも尊いことだと、私は思う。


 残念ながら、私の作品はもう汚れたものとして見られてしまっている。自業自得だ。そのように受け取られてしまったのだからしょうがない。


 ただ、私のやるべきことは自分が人気になることではない。フォロワーを増やすことでもない。彼らのたった一度の人生を映し出すことだ。そのためにVRに並ぶようなカメラを作らなければならない。




 いつか、彼らの人生が、誰かに届きますように。


 そんなことを願いながら、私は今日も筆を鬻いでいる。









 という独り言を吐いてみた。勝手に咀嚼してくれ。

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