第115話 愛は重すぎてもいけない

 夏美が通されたみかんの部屋は、まるで秘密基地だった。シックな風合いの壁紙と天井が場違いかと言うように。

 大きく地図が張り出され、色とりどりのピンが刺さっている。横には作家名と柑橘のミカンのシールが複数貼られてあった。おそらくミカンのシールが多いほど、未完作品が多いとかそういうのだろう。

 角戸の自宅には山盛りのミカンのシールが貼られていて、なんだかもう『ご愁傷様』としか言えない状況だった。

 地図がない壁には天井まで届く本棚と机が置いてある。


「本がいっぱいあるのね」


「ええ、もちろん。もちろん全部未完よ。国内外からありとあらゆる未完作品を取り寄せているわ」


 くるりと部屋中の本を指し示し、自信満面にみかんが言う。

 彼女の自信と底抜けの明るさが羨ましいと思う。自分もそうなれたらと。

 今までは、裕福で親から愛されているからそれが当然のことと思っていたけれど。


「えっと、急にこんな話したら気を悪くするかもだけど……。みかんちゃんも親と色々あるのね」


「そうねー」


 輝かんばかりのエネルギーを発するみかんが、ふと大人しくなり両腕を組んで頬に手を当てる。

 

「私は両親と仲は悪くはないんだけど。むしろ父とは毎朝、論戦ファイトして気分を上げてから登校するくらいだったし」


 論戦ファイトって何だろう。


「父と母の仲がねえ。ちょっとねえ……」


 みかんが今までに見たことない難しそうな顏をしている。そこまで深刻なのかと、訊いてしまって気が引けてしまう。

 なのに、皆の前では明るくできてただなんて。


「ごめんなさい、変なことを言っちゃって」


 夏美の頭がゆっくりと下がる。

 それを見たみかんが慌てて、片手で手を振った。


「あー、気をつかわない。大丈夫、大丈夫」


「え、でも……」


 ご両親の仲が悪いってことは他人にあまり知られたくないことだろう。


「言い方が悪かったわね。私の両親の仲が悪いととらえちゃったんだろうけど」


「違うの?」


 首をかしげた夏美に、みかんが大きくため息をついた。


「ほんのちょっとくらい仲が悪ければ良かったんだけど」


「えっ?」


 ぽかんと口を開けたままの夏美に対し、みかんは「ポンカンを救出にいかないと、流石にかわいそうよねえ」と謎の言葉を吐いた。


 

 ****



「帰ります!」


 叩きつけるように、本間は言い放った。

 もうここにいる理由はない。というより、本当に来るんじゃなかった。大臣にものを申して、月曜に出勤した自分の机がないかもしれない。物語終了課から飛ばされて、別部署に異動というのもありえる。


(いや、それはそれでいいかもしれない)


 一瞬、そんなことを思う。


「待て。せっかくここまで来たのだから、論戦していきなさい。物語終了課の論者が増えると嬉しい」


「やりません」


 誰が休日まで仕事の話をしないといけないのだ。

 本間はスタスタとドアまで行く。


「この頃、娘に負けっぱなしなのだ」


「あなた、政治家でしょう」


 思わず、ドアノブに手をかけようとする手を止めて振り返った。先ほどの気迫はどこへやら、大臣が椅子に座り背を丸めている。

 と、乱暴にドアが開けられた。


「残念ね!! そこのポンカンは我が物語未完部の係長よ」


 みかんが入ってくる。ドアに隠れて、姉がちょこんと顏を出した。

 その後ろから執事がさらに顏を出す。


「本間様。公平を期すために、物語撲滅委員会に入りませんか?」


「そんな理由で入ってたまるか」


 駄目だ。元凶の者どもが集まってきた。このままでは伏魔殿に姉も自分も取り込まれる。

 本間は姉の肩を軽く押した。


「早く帰ろう。というより逃げよう」


「そう、逃げた方がいいわ。よりにもよって、今日に来るってついてないわね」


 みかんが変なことを言う。


「それって……」


 本間が言いかけた時、奥の階段から品の良い婦人が上がってくるのが見えた。おっとりとしていて、膝に猫をのせているのが似合いそうな人である。

 

「まあ、お客さん?」


「はじめまして、文部科学省の本間と言います。今から帰ります」


 止まっている間にも、みかんが本間と姉の背中を小突いて「逃げなさいよ」と小声で言ってくる。 

 大臣の奥様だろう。すぐさま逃げる必要性がどこにあるのかわからない。

 大臣や執事やみかん以上に危険とも思えない。というより、奥さんは三人に振り回されているかわいそうな人なのじゃないだろうか。

 とても同情する。


「ご主人がお世話になってます。もう帰られるの。お茶でもいかが?」


「あ、いいえ、用事があるので」


 奥さんには悪いが一刻も早く、外の空気が吸いたい。背中をみかんにバシバシ叩かれているのもある。


「そう、残念ね。ごきげんよう」


 奥さんがにこやかに微笑んで一礼する。その目が大臣をとらえた瞬間、雰囲気が激変した。


「あなた―!」


 夫婦がお互いに駆け寄る。強く抱きしめ合い、頬は紅潮し、目は潤み、手を絡ませ合い。

 イチャイチャどころではなかった。

 部屋の温度が急上昇して、少女漫画なら花か丸いキラキラしたのが飛び交っている。

 そして、両者は唇を濃密に……。


 のところで、姉の後ろから脇に手を入れ耳を塞ぎ、ドアを閉める。ペンギンが子ペンギンを運ぶが如く、いちにいちにとドアから遠ざかった。


「みかん、逃げた方がいいって……これか」


「そうよ。目にした秘書や選挙運動員は三日三晩砂を吐き、イタリア人もドン引きしたわ。軽傷で済んでよかったわね」




 本当に軽傷で済んだのだろうか。

 帰った後、姉が頬を赤らめてほわっとし、「大人のキスって初めて見た。大胆」、「あんなのいいな」とか言っていて……。


 姉の将来が心配である。














――――――――――――――――――――――――――――――――――――

次はまた一月です。

『復活するのは、キリストとホームズだけで十分だ』か『職業病は意外と深刻』の予定です。

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