第67話 『主人公』は赤いネクタイの黒い魔王と相対する
一言でいえば、本間はこちら側の住人になったようだった。
親戚のおじさんが、殺人事件を装ったサプライズを起こしたことは覚えているようだけども。
佐藤が作者を殺しそうになったことは、記憶にない。自らが現実世界の人物であることも忘れている。
だが、書いたものはこの世界に影響を及ぼすはずだ。
「本間さん。ちょっとおかしなことを言ってもいいですか?」
「アナ雪?」
「違います。ふざけていません。真剣です」
「ああ、ごめんごめん」
さほど悪びれてなさそうに、本間は手を振る。
佐藤は少しため息をつき、続けた。
「例えば、誰でもいいから二人を殺さないと殺されるという話があって。人が死なずに済むように書くのならどうします?」
「へえ。佐藤は小説を書くのか。そういう相談なら、作家の角戸がいるじゃないか」
「いえ、本間さんの意見が聞きたいのです」
ふうむ、と本間は腕をくむ。手のひらで二の腕を叩いた。
「そもそもの登場人物は擬人化して書かれていた動物だということにする」
質問には答えているものの、論外だ。
「人ならどうします?」
「う~ん。そうだなあ。すべて夢でしたということにするかなあ」
それだ。本間はきっとそれを書いたのだろう。
もう一度『夢でした』としても時間が戻るだけなら、堂々巡りだ。
「それ以外で」
「それ以外? 俺は作家でもなんでもないぞ」
そうブツブツ言いながらも、考えてくれているようだった。
「黒幕を設定して、自滅させる。または何かの争いで、それどころじゃないことにする」
「書いてくださいっ! 今すぐ!」
こちらの勢いに気圧されたのか、本間が腕を解いて一歩下がる。
「いやだから、どうしたんだ。今すぐと言われても困る」
「お願いしますっ!」
言葉を遮り、大きな声で頭を下げる。必死だ。大事な人が生きられるのなら。
本間はもう一歩後退り、ブリキのロボットのように腕を上げ下げする。
「あの、そのな」
「お願いしますっ!!」
「……」
説明しても理解されない。ただ頼むしかない。
下げた頭の上から、諦めたような吐息が聞こえた。
頭を上げると、本間が胸ポケットからメモ帳とペンを取り出し、何やらさらさらと書いている。
留まることなく書き終え、ぺりっと一枚のメモを引き剥がしてこちらに渡してくる。
「黒幕が強盗に勘違いで襲われ、武器もお金を奪われる。怪我人は出るが、死者はなし。一般市民には何も被害なく、めでたしめでたし」
ショートショートのように短く、端的に書いてある。
短時間でここまで書けるのは才能だろう。
「ありがとうございます。あの、他にも書いて欲しいのがあって……」
仕組みはよくわからないが、書いたものすべてが反映されるわけではないらしい。以前に、その所為で本間は登場人物の角戸にスタンガンで気絶させられている。
数撃てば当たるで多く書いてもらえれば、その内に反映されるものも出てくるだろう。
「あと、物語は終わらせないで欲しいです」
佐藤の言葉に、本間は眉をひそめた。
「はぁ」
「最後は自分で終わらせたいので」
「そう」
嘘だ。
物語が終わったら、登場人物である自分の意識がどうなるかわからない。今まで幾度も終わりを迎えているというのはわかっているけど、恐い。
眠りに落ちるように覚えていないだけだろうけれど。
「まったく」
本間は呆れたように髪をかいたが、
「わかった。今は無職だしな。ただし、ハローワークに行って登録してからだ」
と言った。
本当はすぐにでも書いて欲しかったが、これ以上は無理だろう。
「ありがとうございます! それはどこで何時から?」
「区役所と同じところで、8時半からだ」
歩いて四十分かそこら。
「一緒に行きます! 着替えてくるので待っててください」
父の勤め先の区役所が、最初の被害の場所だ。
そこから防災無線で宣言がなされる。もし本間の文章が間に合わなくても、起きることがわかれば対処できるかもしれない。
二階へ急ぐ後ろから、間延びした声が聞こえた。
「おーい。学校はどうした?」
****
佐藤は父の机の引き出しを探り、鉛筆を削る用の折りたたみナイフを拝借する。護身用としては少し心もとない。包丁は台所に母がいるから持ってこれない。
本間はというと、ごく自然に黒鞄に刀を持っていた。風呂敷に包まれているものの、それだとわかる。
「学校はいいのか?」
「たまには社会勉強しようと思って」
「後で叱られても知らんぞ」
おそらく、無意識に刀を持っている。普通、ハローワークに刀を持っていこうとは思わない。指摘すれば、きっと置いていくので黙っておく。
(本間さんは頼りになる人だ)
いい人だ。
それが『都合のいい人』に一瞬思えて、胸が針で刺されたかのように痛んだ。
普段通りの道。歩きながら周りを見る。
子供の横断を見守る人に、元気いっぱいの小学生。白線だけを踏む遊びをして、さっさと渡らないでいるので怒られている。
病院前に並んで、世間話をしている年老いた人たち。
いつもと同じ光景。もう見られなくなるかもしれない光景。
まだ大丈夫。
その後を知っているだけに、緊張する。
焦りのあまり、早足になっていたらしい。
「佐藤、早く行っても閉まっているからな」
薄手のベージュのコートに身を包んだ本間が言った。
「ああ、はい」
返事をして、速度を緩める。
先にある建物から急に女の子が飛び出してきた。
「助けて」
年は佐藤と同じくらいの女性が、本間の後ろに隠れる。長い黒髪が美しい子だ。
「どうした? 警察にいく?」
本間が声をかける。痴漢か暴力沙汰か。
続いて現れたのは、整った顔の若い男性だった。黒いロングコートに黒スーツ、黒髪、くっきりとした黒い目、黒い靴。ネクタイだけが赤い。
両手をコートにつっこんだまま、何が楽しいのか口元が笑っている。
「君が佐藤 隆くんかな」
「何ですか、あなた」
応えの代わりに、ポケットの中から手が出てくる。その手には銃があって、真っ直ぐ佐藤を狙う。
銃口の丸い円が見え、体温が下がった心地がした。命の危機というのは分かっても、体が動かない。恐怖で目を閉じてしまう。
銃声とほぼ同時に、耳が痛くなるような金属音が響く。
目を開き、そこで本間が銃弾を刀で防いだことに気づいた。
「逃げて警察を呼べ。狙われている」
こちらを見ずに本間は言い、時代劇で見るような刀の構えをとる。
「やぁ。私が市民の安全・安心を守る警察官だよ」
黒い男はそうニヤニヤと笑った。
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