第29話 人の心は読めない方がいい

「お前に相談をするというのが不本意なのだが、お前にしか言えないのが本当にやるせないのだが」


 我が親友、本間 続はお困りらしい。

 人が困っているのを見るのは面白い。それが親友ならなおのこと。

 都道は運ばれて来たビールを一つ、本間の方へ渡す。

「まずは飲もうじゃないか」

 乾杯とジョッキをぶつけた。

  

 本間はぐいっと一杯、初っ端からジョッキの三分の一ほど飲み干す。

 そして、小さな居酒屋のカウンターのすみっこで、両手を組み懺悔するかのようにのたまった。


「姉がかわいすぎて、天使で、やましい心を持った人に連れ去られないかどうか心配」


(おい、似たもの姉弟)


 都道は、昼に夏美に会ったことを思い出す。

 言動もそうだが、仕草まで一緒である。血縁関係がないのに。


「君の姉さんは美人だから心配する気持ちはわかるが、心配し過ぎだろう。防犯ブザーは持たせてあるんだろう」

「ああ」

 うかなさそうに本間が頷く。

「なぜか、むしろ俺の鞄に防犯グッズが山ほど入れられるんだけど。オヤジ狩りやカツアゲを受けそうと思われてるのかな」


(いいや、かわいいから攫われると思われているぞ)

 かなり本気で。


「女性ならまだしも、成人男性が催涙スプレーとスタンガンを携帯していたら、ただのアブナイ人なんだが」

「軽犯罪法に抵触する」

「そうだよな。そう思って毎朝、催涙スプレーとスタンガンは置いていくんだが、ゴキブリやカエルや蛇のおもちゃは持っていくようにしているんだ。これらを使って驚かせてヤンキーから逃げろということだと思う。姉さんの優しさを感じる」


(いいや、それは嫌がらせだ)


「おっちゃん。二本ずつ、豚バラ、鳥かわ、ねぎま、ぼんじり、つくね。もつ煮込み二つよろしく」

「砂ズリも……」

 本間が項垂れたまま、ぼそりと言った。

「追加で砂肝二本」

 あいよ、と厨房から聞こえてくる。


 何も食べ物が来ていないのに、本間はビールをぐいぐい飲む。

「それから、仕事の後とかに姉を迎えに行くと、周りの視線を感じるんだが。姉が狙われているじゃないか」


(単にパパ活や援助交際を疑われているだけだと思う)


 スーツ姿の三十代の男に、制服姿の女子高生である。

 だが、素直に感想は言わない。

 時機に警察官に声をかけられることがあるだろう。それが楽しみだ。


「考えすぎだ。それより、わざわざ迎えに行っているのか? 過保護じゃないか?」

「過保護……」

 グサリと刺さったかのように、本間は胸に手を当てる。

「本間君は、高校生は子供で保護する対象だと思っているようだが。自分が高校生の時に自らを子供だと思ってたか?」

「うっ、いいや」

 本間は空になったジョッキをろくろのように回す。


「おっちゃん、ハイボール二つ」

 都道は店の人へと呼びかけた。


「君のお姉さんはもう十八になったんだろ。大人だ。選挙権もあるし、結婚もできる」

「結婚……」

 グサグサと何かが突き刺さったかのように、本間は胸を押さえる。


(効いてる効いてる)

 ゲームで言えばクリティカルヒットしている。

 ほの暗い笑みを都道は浮かべた。


「更に言えば、君はシスコンだぞ」

「うん。シスコンだな」


(あっさり認めよった)

 つまらんな。


 ハイボールに串をまわすと、自分で注文した砂肝にも目をくれず、本間はハイボールを水のようにごくごくと飲む。

(いつもよりペースが速い)

 すきっ腹に、あんなに飲んではすぐに酔うだろう。


「姉が結婚とか。相手、くらす準備せないかんやん」


(やはり、もう酔ってる)

 普段使わない方言が混じりだす。

 『くらす』とは殴るということだ。姉の結婚相手と暮らすわけではない。

 本間の酔いの最終段階までくると語尾に北九州弁の『ちゃ』が入り始める。そこまでくると、送るのが面倒なので抑えることにする。


「冷めないうちに食べないか」

 胃にものを入れることを促し、念のためお冷を頼んでおく。

 

 本間は黙々と食べては飲み、最後の串を終えて深く息を吐いた。

 声が急に潜められる。


「姉さんが未完部に入るとか。危険とわかっとうやろに」


(本題はそれか)

 予想は出来ていたが。


「と思っていたんやけど、よく考えたん。姉さんは危険性をちゃんと認識していないんやろう」


 姉はこの弟に物語世界に行った理由を話していないのか。

 未完の物語が暴走するということは、一般的には知られていない。本間があの一件を単なる執筆途中の事故と認識するなら、姉が知らないから未完部に入ったと思っても無理はない。


 すいと本間が寄ってきて、囁くような声で言う。


「守秘義務に反しても、危険性を伝えるべきやろか」


 公務員の守秘義務。職務上知りえた秘密を漏らしてはならない。


「伝えるべきじゃないか」


 姉はもう未完の物語の暴走については十分知っている。今さら危険性を伝えるでもないが、彼らはよく話した方がいい。


「あっさり言うもんや」


 本間は離れ、拍子抜けしたような顔をした。


「君らはよく話し合った方がいいな」

 

 姉の方は姉の方で、不満が爆発しかけている。

  



「何か知ってるん?」


 妙に実感を込めて言ってしまったのか、本間が疑念のこもった目で見てきた。


「何も」


「この前のはどうにかなったな。誰かさんのおかげで」

 

「私は何もやってないよ。物語を書く才能も趣味もないのでね」


 物語を終わらせたのは姉だ。

 

「そうかあ?」


 本間が物語を物語で内包して終わらせるという手を他にも使わないように、釘を刺しておいたのだが、随分と疑われるものだ。最後の一言は余計だったか。


「まあ、いいさ」


 存外あっさり追及を諦め、本間はまた一口飲む。

 そして、ジョッキを両手で抱えた。


「姉さんはこの頃、書いた話を俺に見せてくれんし、今のペンネームも教えてくれん。もしかしたら、未完になるかも」


(それは、君の姉が書いているのが、姉弟でおねショタものだからだよ)

  

 怖ろしく面白いのは、その弟の癖や言葉遣いが本間 続そのままであることだ。

 イラついた時にテーブルを指で叩いたり、気まずい時や手持ち無沙汰な時はコップやジョッキをろくろのように回したり。

 本人もはしたないと思っているのか、ろくろ回しは社会人になってからは友人らの前で酔ってる時しかやらない。


(身近な人間を登場人物に反映してしまうのは、本間君でもあったな)


 とてもとても興味深い。


(どうにかして、夏美に悟られないように、本間君に作品を読ませられないだろうか)

 そして、その後で作者をバラしたい。

 

「都道?」

 本間の不審そうな眼差しがささる。


「君のお姉さんも思春期さ。恋愛ものとか書いてると家族に見せたくはないだろう」


(嘘は言っていない)


「そ、そやな」


 本間はジョッキをクルクルとした。

 いつの間にか、都道の分のハイボールが取られていた。ぬるくなるから、別に飲まれてもいいのだが。


「恋愛。恋愛な。姉さんにも好いとう人がおるかもしれんやけ、俺がおったら邪魔かもしれひん。いや、もう邪魔やて思われとーかも」


(いいや、本間君は愛されているぞ)

 はっきり言ってブラコンだと思う。血の繋がりはないので、単純なブラコンとは言い難いが、弟の方は聞いている限り姉のことを本当の姉だと思っているらしい。


「おっちゃん。二本ずつ、しいたけ、ししとう、せせり。ビール一つ」

「ジンジャーハイボール一つ」

 本間の頬がすでに赤い。


「姉さんが結婚して親戚一同でバーベキューしたら、姉さんの夫の鼻に熱々のソーセージを突っ込みたくなるやろ。でも、姉さんの子は男ん子でも女の子でもそーとーかわええやろうから、週二くらいは見に行けるように良好な関係を築きたいし。おじさんって呼ばれてーし」


「おーい」

 妄想劇場が過ぎる。


「何の話しよっとたっけ?」

 本間の回転していたジョッキが止まる。中の氷がカランと音を立てた。


「君のお姉さんが未完部に入った話だね」

「ああ。姉さんがまた居なくなるかと思うと不安なん。話さんと」

 ジョッキがまた回り始める。


「酔ってない時に話せよ。相手がわかったかどうか反応を見ながら」

「もちろんやて」

 本間の返答がぼやけている。だいぶ酔っている。


(これくらい酔っぱらっておけばいいだろ) 



「都道」

「なんだ?」

「まともなこと言える奴やったんや」

「失礼な」

 新たに来たジョッキと串を流す。

 

 本間はじゅっと汁が滴り落ちるしいたけにかぶりつき、水を一口飲んでから、しみじみと言った。

「お前、実は良いやつなんじゃ」


(おー、かなり酔っぱらってるな)

 

「今頃、気がついたか」

 都道は満足そうに笑って、ビールを喉に流し込んだ。

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