第五章 物語終了課の係長は未完の物語を書くことにした
第19話 夏休み前に仕事は他人へ投げよう
『物語とは救済だ。
たとえ、救いようがない悲劇だったとしても。
思いが遂げられない切ない話だったとしても。
悪がはびこる反吐がでるような話だったとしても。
書いた者に救済をもたらす。
作者のままならない感情、不幸、衝動、理想を登場人物に押し付ける。
故に、登場人物とは人身御供なのだと。
故に、未完であっても物語に意味はある』
と、今はもういない作家の姉はかつてそう書いた。
本間 続は終わらせるだけで話自体を書く者ではなかったが、未完作品に価値があるというのには同意している。仕事増えるけど。
だが……
「多すぎだろ、コレ」
机の上には崩れそうなほど積み重なれたファイルに、床にはまた載りきれなかったファイルが買い物かごいっぱいになっている。
そのファイルの中身といえば、未完の物語である。
【夏休み前に仕事は他人へ投げよう】
窓に大粒の雨が叩きつけられる。時折、風がガラスを揺らしては葉を窓にくっつけていった。
暗く低くたちこめた雲から、一瞬光が落ちたかと思うと雷鳴がとどろく。
そういうシチュエーションだからというわけではないが、物語終了課と物語回収課の両係長はバチバチと対立していた。
「だからな。ちょっとさあ。多いと思うんだけど」
物語終了課の係長の抗議に対し、物語回収課の係長である広井は首を横に振った。
物語回収課。
文字通り、未完の物語を回収し物語終了課へ渡す課である。
「いいえ。多くはない。八月のうちに処理できるものはしておかないと、九月になったら夏休みが終わって放り出される未完作品が増えるのは目に見えてる」
本間と同じくらいの年の真面目そうな女性だが、仕事においてはずる賢いところがあり食えない相手である。
「せめて生きている作者の未完物語は戻して来てくれ。こちらとしても処理できる量を超える」
「生きていようと、作者に終わらせる意思がなければ未完のままです。未完の作品は暴走する危険性があるのですよ」
「『十二国記』は十八年ぶりに、『ハルヒ』は九年ぶりに新刊でたのだから、だいたい十年くらいはほっといて大丈夫だよ」
本間はそう誤魔化すが、回収課の係長はきつい眼差しをゆるめなかった。
「未完の物語が暴走して人を飲み込むのに、時間は関係ありません。たった数か月前に書かれた物語だって暴走します」
そのとおりだ。
だが、仕事を少しでも減らさなければ残業が増えるばかり。
「そもそもネットの未完物語はすべて東京で処理するのはおかしい。作者のいる場所の物語終了課が終わらせるのが正しいのだから、そっちへ持って行って欲しい」
「ネットの人物にいちいち現在地を問い合わせるなんて、プライバシーの侵害ですよ」
「だからって、すべて東京に押し付けるのはおかしいと言っている。物語回収課から各地方の物語終了課へ直接送ってくれ」
「それはそちらから送ればいいことでしょう」
回収課の係長は呆れたように言い放った。
「あのな。物語回収課からまわすのに意味があるんだよ。物語終了課から送られたら、どう思う?」
「たらい回しだと思うでしょうね」
「たらい回しと思われるならまだいい。風船爆弾ゲームの始まりだと思われる」
本間は苦虫を噛んだ表情をした。
風船爆弾ゲーム。
だんだんと大きくなっていく風船を、しりとりやクイズをしながら次々と人に渡していくゲームである。手元で風船が爆発した人が負け。
未完物語は風船と違い、目に見えて大きくなるわけではないが、爆発つまりは物語が暴走すれば負けだ。
そのような醜い押し付け合いをせず、終了させればいいという問題ではない。
とにかく多すぎるのだ。
「どこかで物語が暴走するまで、不毛な交換が続くだけだ。仕事の量と人員数を考えてこちらは言って」
勢いよく、ガラッと引戸が開かれる。
本間と広井は口論をやめ、揃って戸の方を見やった。
「おはようございます」
ずぶ濡れな遠藤がそこにはいた。
小脇に段ボールを抱え、背広で濡れないよう覆い隠している。
「おはよう、遅刻だぞ」
本間は厳しい視線を送った。
「すみません。この子が道端に捨てられたもので。『拾ってください』と書いてありましたし、かわいそうになって連れてきたら遅くなりました」
と、遠藤は珍しくしゅんとして、大事そうに段ボールを抱きしめ、中へ手をつっこみ何かを撫でるように左右に揺らす。
「ま、いいから体を拭いて時間休か年休とれ。承認してやるから。あと、なんかは知らんが生き物は家に持って帰れ」
「生き物じゃありません」
「なんだ」
「捨て物語です!」
「さっさっと元の場所に置いてこいっ!!」
本間は声を張り上げた。
「かわいそうじゃないですかっ!」
「あのな、遠藤。なにがかわいそうだ。どうせ未完だろうが!」
「未完ですけどっ」
遠藤はうじうじしながら、段ボールを抱えなおす。
「ちゃんと面倒みますから。自分がちゃんと完結させますから、いいでしょう」
「よかないわっ。この前もそう言って終了させないで、結局俺が代わりに完結させただろうが」
「今度はきちんとやりますから」
「信用できるかっ」
遠藤と本間の言い合いを広井は冷ややかな目で見つめ、
「では、私は仕事に戻りますので」
と、片手を上げる。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て。まだ話は終わってない」
本間は呼び止めるが、広井はすたすたと行ってしまう。
遠藤は段ボールの中へそっと呼びかける。
「ママは厳しいけど、きっと許してくれるから。大丈夫」
「誰がママだっ!」
本間は腹立ちまぎれに段ボールをスナップを効かせて叩いた。
「物語回収課への説得は失敗しました。申し訳ございません」
本間は課長へ苦い顔をして報告する。
遠藤の邪魔が入らなければと思うものの、あの手強さからいうとどうにもならなかった気がしないでもない。
「そうですか。どうしますかね」
課長はいつもどおりの笑みを崩してはいないが、それがちょっと怖い。
「せめて、暴走しそうな未完物語を判別できればいいのですが」
課長の言葉に、本間は考えを巡らす。
この頃の物語に飲み込まれた経験からいって、暴走しそうなパターンに心当たりがある。
「確実ではないですが、ある程度ならわかります」
そうして、もう点火されている爆発寸前の未完物語たちを東北と九州支部に送り、目論見どおりそこで暴走して恨まれることや、倍返しとばかりに送り返されることもあったのだが、それはまた別の話である。
横殴りの雨の中、傘のみで帰宅したため、靴はすっかり水浸しで脱ぐときにグズグズと泡が出そうな音を立てた。
本間は直ぐにでも濡れて気持ち悪い靴下を脱いで風呂に入りたかったが、その前に思いつきを実行してしまいたい欲が勝った。
鞄を床に置き、胸ポケットから携帯を取り出してかける。
「都道、折り入って頼みがある」
深刻そうな本間に対して、電話先の都道は楽しそうに笑った。
「親友の頼みならいつでも」
親友とは認めたくないがと口に出しそうになって、ここは耐える。
「昔、失踪した俺の姉のことを調べて欲しい」
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