第32話 最後の一文

「……思い入れって。どこからそんな発想が出て来るんですか」

 笑いを堪えるように、手のひらを口の前に持って行く月子。野木村もつられて笑みをなした。

「発想したのではなく、逆算です。少し前に、テレビのワイドショーか何かの取材が押し掛けてきて、迷惑をしたという話を聞きました」

「あー、はい。ほんと、面倒でうるさくて迷惑でした。宝石強盗の疑いで捕まった男が、高校時代だったか、私の母と親しくて、中には交際していたという噂まであって。根も葉もない、まったくのでたらめなのに」

「思い出させてすみません」

 悪い意味で熱を帯びてきた月子に、野木村は頭を下げた。そして話を戻す。

「その話を思い出して、僕はあれこれ想像や連想をしたんです。宝石と宝探しって近いよね、とか。月子さんのお母さんはその気がなくても容疑者の男が一方的に好意を抱いていたかもしれない、とか。だとしたら容疑者の、いやはっきり言えば犯人の男は宝石を隠す際に、白上さんへのプレゼントのつもりで、隠し場所を示す暗号に診療所の北緯と東経を取り入れたとしたって、不思議ではないんじゃないかと」

「あ、そういう意味の。宝石強盗犯の男が私の母に好意を持っていたことからの逆算だっったんですね」

「ええ。恐らくですが犯人もまた逆算で暗号を作ったんじゃないかな。白上さんの診療所の数値を使うのは決まった。では他の場所はどうしよう。意味のない三地点を選ぶわけにはいかない。白上さん家と釣り合いの取れる、意味のある場所――そうだ、白上さん家を世界遺産の白神山地になぞらえることにして、他の三地点も世界遺産にしよう! 計算してみると、文化遺産同士の北緯と、自然遺産同士の東経で平均を取ればうまい具合に島に重なった。よしこれで行こう!となったんじゃないでしょうか」

「何ていうか……呆れるほど歪んだロマンチストって感じがします、宝石強盗」

「隠し場所を最終的に決めるために、何度か無蔵島に足を運んでいると思うんですね。外部の人間は島では目立つでしょうから、記憶に残っている可能性が高い。写真を持って聞いて回れば、目撃証言が得られるんじゃないかな」

「まるで警察みたいなことを言うんですね、野木村さんて」

「はは。もちろん違います、しがない大学生です。ただ、刑事さんの知り合いはいるんですよ」

「はい? どうしてまた警察の方と知り合いに……」

 じとっとした疑いのまなこで見られて、野木村は急いで頭を水平方向に振った。

「誤解しないでください、僕はご厄介になったことはありません。それでもまあ恥ずかしい話なんですが」

「ぜひ聞かせてください」

 言い淀んだのに強引に求められてしまい、仕方なく話す野木村。

「……女性とお付き合いをして、何度か別れていると言ったのを覚えています?」

「もちろん。こんな短い間で忘れません」

「実はお付き合いしていた女性が原因で、何度か警察と関わっているんです。たとえば……彼女の方から蹴ってきておいて勝手に転んで、それで僕に突き飛ばされたって通報したり。別れたあとに泥酔した女性が警察官の手を煩わせて、挙げ句に僕を呼んでこいとわめいたり。それで、カーナビを壊されたときは最初、女性の仕業とは思わなくて、僕が通報したんです。そのとき来た刑事さんが、以前にも女性に関する揉め事で着た人と同じで、僕のことを覚えていた。それですっかり同情されて、以来、何となく知り合いとしての付き合いが続いてるんです」

「野木村さん、よっぽど女性運がないか、どこかに欠点があるんじゃないですか」

「今の話、そこがポイントではないんだけど……」

「分かっています。ひとこと言っておきたくなっちゃって」

 ちろ、と舌先を少し覗かせると、月子は「続きをどうぞ」と屈託のない笑みとともに促してきた。

「えーっと。そういうわけで、知り合いの刑事さんに頼んで、調べてもらおうかと考えているところです」

「大丈夫でしょうか。絶対間違いのない推理ってわけでもなさそうですけど」

「もちろん承知しています。物証はまだないし、頼りない推理に過ぎない。現状では警察の人に島へ行ってもらう、なんてのは厳しいかもしれません。ですが、その前にできることがあります。経費が掛からず、試せることが」

「何があるのでしょうか。さっぱり分からない……」

「お願いにつながってきます。つまり、月子さんのお母さんの名前で短い文章をこしらえるんです。『あなたの暗号、解けました。無蔵島でしょう?』という風な。それを逮捕された男に見せれば気持ちが変化して、隠し場所を認めるのではないかなあと」

「……」

「だめでしょうか。確かに、お母さんや家族にとっては関わりたくないことでしょうし、嫌な思い出として残るかもしれません。なので無理強いはしません。お願いをするだけです」

「どうなるか分かりませんが、母の気持ちを聞いてもいいですよ」

「それだけでもありがたいです。だめならだめで、他の方法を考えます」

「私からもお願いがあります」

 急に言われて、何ごとだろうかと焦る野木村。

「は、はい。何でしょうか」

「歯が承知して、警察の方が作戦を実行し、思惑通りにことが運んだとします。その場合、瑠音ちゃん達の宝探しは中途半端なところで打ち切りになっちゃいますよね?」

「さすがです。僕もそのことは気懸かりでして。刑事さんに頼んで、顛末だけでも詳しく教えてもらえるかなと踏んでいるのですが」

「じゃあ、野木村さんが責任を持って、子供達をがっかりさせないようにしてください。最低限、宿題がパーにならないように」

「――難しい面もありそうですが、やってみます」

 二人は握手で約束した。


             *           *


 戻って来た月子に瑠音は瞬く間に近寄ると、前置き抜きで聞いた。もちろん、手には暗号を持っている。

「月子おねえさん、この暗号の写しなんだけど」

「は、はい?」

「この『傾』って漢字の大きさ、本当にこのくらいだった?」

「ええっと。うーん、紙を重ねて写し取ったんじゃないからねえ。言われて、改めて思い出してみると、だいぶいびつだった気がする。えんぴつ貸してくれる?」

 瑠音は高谷から受け取ったえんぴつをリレーして月子に渡した。月子はちょっとだけ思い出す仕種をしてから、さらさらと書いた。

「やや極端になるけれども、こんな風だったわ」

 月子が改めて書いた字は、片仮名のイとヒと漢字の頁を横に並べたようにも見えた。


   イヒ頁


「化けページだと意味が全然通じないから、さすがにここは傾くよねって思ったんだった。今、思い出したわ」

「この『イヒ』って片仮名に見えた?」

「ええ。見えたわよ」

「ほんと? それなら決まりだわ。ねえ、みんな?」

 後ろを振り向いて叫び気味に言う瑠音。

「多分、間違いない。英語の数を片仮名で思い浮かべるようにって言いたいんだと思う」

「ということは、解読結果は二十七メートル。野木村さん、暗号解けた!」

 今度は野木村へと近付いていって、力強く言い切った。

「もう解けた? 早すぎないか。僕らの方はまだまだ、準備することがあるんだよなあ」


 その後、野木村から聞いた話には瑠音も蒼井も倉持も、そして冷静さでは一番の高さまでも驚かされた。夏休みの宿題として始めた宝探しの暗号解読が、警察が出て来る大ごとになりつつあるのだから当然だ。

 それから残りの五日間、宝探しを離れて、プールにプラネタリウムにかき氷にと夏休みらしく過ごしていた瑠音達に、野木村と顔見知りである刑事さん――森垣もりがい刑事から連絡が入った。翌日には東京に帰ろうという日の昼前だった。

 犯人の○○が全面的に自供し、宝石の隠し場所も白状した、と。

「ええーっ、根性なしだなあ」

 この一方に不満を示した一番手は、蒼井だった。

「もっと粘ってもいいのに。そうしたら俺達が残りの暗号も全部解いてみせたのにな」

「まあいいんじゃない。野木村さんが詳しく教えてくれるって言うんだし」

 高谷がどこかほっとした様子で言った。最後まで宝探しに付き合えそうにない成り行きだったのが、また変わってきたのが嬉しいのかもしれない。

「宿題として発表しますけどいいですね?」

 倉持が確認を取る。尋ねられた野木村は、「一応、許可は取った。ただ、具体的な名前はできるだけ使わないで欲しいってさ」と答える。これには眉根を寄せる瑠音。

「具体的な名前が駄目って、無理な相談よ。暗号を解くためには本当の地名を出さなくちゃ」

「うん、解読に深く関係してる箇所はしょうがないって、認めてくれてる。宿題の内容を警察がチェックするなんて仰々し真似はできないし、したくないっていうから、まあほどほどに頼むよ」

「分かったわ。けど、宿題として格好が付くかはこのあとに掛かってる」

 暗号を解読して導き出した地点に建つ屋敷、そこから北東向きにまっすぐ二十七メートル進んだ先には、何の変哲もない一本の木とその傍らにお地蔵様があった。掘れと指示のあった場所は木とお地蔵様のちょうど間。捜査員が土を掘り返すと、六十センチほど地下に金属製の小箱を発見。中から出て来たのは盗まれた宝石ではなく、その在処を示唆した新たな、そして最後の暗号文だった。

「その暗号文を写した写真がこれ」

 タブレット画面に映し出した写真を、皆に見せる野木村。写真にある紙は、小さく丸く折り畳まれていたらしく、しわが寄っていたが読むのに支障はない。


   からさわ家お屋敷おもて門から歌間屋に向けて15メートル

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