第23話 遅まきながらご挨拶

「なかなか会えないから、どんなに怖い人が出て来るんだろうって勝手に思ってた」

 夕餉のテーブルを囲み、準備が整うのを待つ間、倉持がささやき声で言った。すでに挨拶を済ませたあとで、安堵感が滲んでいる。

「俺も。髭を生やして、鷹みたいな鋭い目で、何なら顔にギザギザの傷があって」

 蒼井が同調するのへ、隣に座る瑠音は彼の膝頭を叩いた。

「そんなこと言わないの。聞こえちゃうでしょ」

「しっかり聞こえてるよ。これでも耳はいいんだ」

 上座、瑠音達のいる側から見て右手に座るスポーツ刈りの男性が言った。月子の父、基宜もとのり。目を細めて笑っている。けれども蒼井らは身を縮こまらせた。

「すみません……」

「はは。まあ、私らはこんな調子だからほとんどかまってあげられないが、ゆっくりして行って。今夜から天気が悪そうだし、先に宿題を片付けて、それから思い切り遊ぶといい」

 若干白髪まじりだが、若々しさを発散している。肌の艶はよく体格もスマートで、医者の不養生という言葉とは無縁のようだ。

「雨には気を付けてね」

 月子の母、浅香あさかが席に着きながら言った。食事の用意は娘と通いのお手伝いさんにほぼ任せており、母親の浅香自身は食器類を運んだあと、月子から「もういいよ座ってて」と言われて落ち着いたところだ。

 と、彼女の視線が野木村に向いた。

「重ね重ねになるけれども、出掛けるときは慎重にお願いします」

「はい。肝に銘じます」

 初対面の挨拶のときに二度言われ、今また三度目の注意があったことで、野木村も密かに苦笑いをした。

「まあ、野木村君は信じているけれども、弟――宗久を同乗させるときは、軽々しく運転を交代しないことよ」

「ひどい言い種だなあ」

 瑠音達の正面、野木村の左隣に座る宗久が、いささか芝居がかった仕種で髪をかき上げた。

「まるで私が運転下手みたいじゃないですか」

「運転はうまいかもしれない。けれどもあんたはスピードを出し過ぎるきらいがあるから」

「たった一度や二度の経験で、判断されても困る。そもそもあの内の一度は、ちゃんと理由があって」

「はいはい。とにかく今このときから注意してくれればいいわ」

 姉弟のやり取りが終わったところで、月子とお手伝いさんが皿を運んで来た。刺身の盛り合わせがメインで、揚げ出し豆腐やほうれん草のソテー、味噌汁などが付く。

 最終的にテーブルには瑠音達小学生四人に大学生の野木村、宗久、月子、白上夫妻、夜の急患対応のために住み込みの看護師長の女性・浦浜民子うらはまたみこと技師の男性・浦浜泉一郎せんいちろう(二人は夫婦だと聞いた)、そして通いのお手伝いさんが揃った。総勢十二名と、なかなか賑やかな食卓だ。

 いただきますをしてからは銘々が話の花を咲かせたが、そんな中、瑠音は普段に比べて口数が減っていた。

「どうかした? 生返事が多いわ」

 じきに気付いた高谷が問う。瑠音は照れ笑いを見せた。

「いやー、思い出すと落ち込みそうになって思い出さないようにしようと意識するとかえって思い出すっていうあれにはまり込んでいる感じ」

「何の話?」

「班長、高谷さんがやった方がいいんじゃないかなって思い始めてる」

「えっ、どうして」

 わさびなしで醤油につけた鯛の切り身を中で止めた高谷。醤油が滴り落ちて真下のご飯に黒い点を作る。

「さっき、広間で話していたないよう、覚えてる?」

「もちろんよ。メモを持っていたと思われる寺北氏の行動に不思議な、不可解なところがあったっていう話をしていたわ」

「うん、それよりももうちょっと前からなんだけど、私は寺北さんの行動なんて、暗号を解くのには全然関係ないと思ってた。なるべく早めに終わらせて、暗号を解くことに力を注ごうよって思っていたの。でもそれは大間違いだったみたいで……班長失格だなって反省してる」

「なーんだ、そんなこと」

 心配して疲れたとでも言いたげに鼻息をつくと、高谷は食べるのを再開した。

「そんなことって」

「別に軽く見たんじゃないのよ。班長を降りたくなるなんてそんな大変なことが起きていたかしらって、こっちが不安になっていたの。理由が分かって安心した」

「けど、宿題を進めるのに最終的な決断を私が下していたら、遠回りになっちゃう」

「そんなの気にしないの。取り返しのつかない失敗をしたんじゃあるまいし、色んな意見がある中で、今はたまたま、野木村さんの考えが有力じゃないかなってなってるだけよ。本当に正解かどうかはまだ分からない」

「それは理解してる。それでも委員長はもっと前から寺北さんに関心を持っていたでしょ? だから私が班長をするよりも、きっと早く物事が進むわ」

「……高く評価してもらえて、恥ずかしいやら嬉しいやらだけど」

 高谷は瑠音をじっと見返し、それからふっと視線を外した。

「寺北氏の行動をあれこれ言ったのは、別に暗号解読が頭にあったからじゃないわ。普通に、宝探しの道半ばでなくなったのなら本当に無念だったろうなとか、他にも宝を探している人はいなかったのかしらとか、そういうことが気になっただけ。正直言って、危ない目にはなるべく遭いたくないしね」

「……」

「だいいち、班長は夏休みの宿題のためだけに決められたものじゃないんだから、変更は利かないわよ」

「そ、そこは宿題専門のリーダーの役を作るとか」

「そうなったとしても、私は、っていうか私達は瑠音を選ぶと思う。自分では気が付いていないようだから言ってあげる。瑠音、あなたはバランス感覚がいい」

「バランス?」

 きょとんとなっておうむ返しをする瑠音。

「一つの考えで突っ走らないっていう意味よ。私や蒼井君は割と一つのことにこだわるし、倉持君は理屈が先に来るタイプだから、最初の一歩を踏み出すのに時間が掛かる。それに比べてあなたは柔軟さと思い切りのよさがあって、間違えたと思ったらすぐに変更ができる。これって班長にふさわしいと思わない?」

「……自分ではよく分からないけれども、私が班長を選ぶならそういう人にしたい」

「でしょ? だから班長はあなたで決まり。いいよね? これからも私達が視野が狭くなっていたら、注意して気付かせてちょうだい」

「――うん。分かった」

 しっかり頷き、瑠音は新しく刺身を一切れ取った。多分、高谷にうまく乗せられたんだと思うけれども、自分の役割をしっかり認識できたことで、弱気の虫は引っ込んだようだ。 食事もだいぶ進んだ頃合いに、野木村が何気ない調子で浦浜民子に話し掛けた。

「つかぬことを伺いますが、急患で運ばれる前に訪ねてこた寺北さんの応対に当たったのは、浦浜さんですか」

「うん、そうだよ」

 気安く応じる浦浜民子。これまで言葉を交わす内に、野木村を気に入った様子が見て取れる。

「この家、というか診療所の名称を確認されていったとのことですが、具体的に何のために知りたかったのか、言っていませんでした?」

「いや~、多分言ってなかったと思うけど。日にち経ってるし、ただでさえ物覚えが悪くなったし、覚えるための頭は患者さんの方に使っているから、正直ほとんど覚えてないんだよねえ」

「あー、当然そうですよね。他にそのとき寺北さんと接せられた人はいませんか?」

「この場にはいないけど、受付の子が最初に会って、私に取り次いできた。――そのときに、あんたも見たんだっけ?」

 民子は夫の泉一郎に聞いた。

「見ただけ、だな。話は一切していないんで、学生さんの期待には応えられないよ。すまんね」

「いえ。情報を欲しがっているのはこの子達でして」

「そう聞くと、なおさら何か絞り出してでも期待に応えたいんだけどな。うーん……だめだ」

 しばらく唸ったが、やがてあきらめ天を仰ぐ泉一郎。

「自分が見掛けたときは、やたらとスマホをいじってるなという印象だけだ」

「スマホ。それは通話ではなく、機械を操作していたと」

「ええ。メッセージを送っていたり読んでいたりって感じでもなかったが。遠目からだったんではっきりはしないが、あれは写真か何かを見ていたんじゃないか」

「写真……絵や地図だった可能性もあります?」

「何とも言えない。可能性ならあるとしか」

 泉一郎の返答に野木村はそれなりに満足した様子でうなずいた。そして瑠音達に、密かに目配せしてきた。

 瑠音も今の話の意味するところが、何となくではあるが想像できている。形にはまだなっていないが、重要な事柄の一つに違いない。

「そういや、宝探しをしているんだってね? 今のは大事なところ?」

「ひょっとするとそうかもしれませんよ。暗号解読の鍵になる」

「はは。首尾よく見付けたら、お礼に何かもらえるかな。ははは」

 宝の存在なんてまるで信じていないという口ぶりだ。それが大人の判断というものだろう。それに瑠音達もどこまで信じて取り組んでいるかというと、百パーセントでないことだけは確かである。

 宝よりも、暗号を解くこと、そして解いた先に何が待っているのか。そういった興味・好奇心が原動力になっているのだ。

 食事を始めて十五分経つか経たないかという頃合いに、大人達は次々にごちそうさまをした。と言っても全員ではなく、診療所勤めの人ばかりだ。

「皆さんはゆっくり食べてください。私達は今の内に休息を取っておきたいので」

 月子の父親が席を立ちながら、穏やかな口調で言った。

「今後の天候次第で、うちが大忙しになる可能性も皆無ではないからね。望ましくはないが、念のために備えておかないといけない」

 大変だなぁというつぶやきがひとりでに出る。だからといって子供達にできることはないけれども。せめて大ごとにならないようにと願う。

「そうだわ。野木村さん、カメラの映像を今から見ておきますか」

 月子が持ち掛けてきたとき、ちょうどお茶を飲んでいた野木村は返事が一拍遅れた。ごくりと飲み込んでから応じる。

「カメラって防犯のですか。まあ早い方がいいと思うので」

「それじゃあ行きましょう。私も気になってるんです。あ、食べ足りないようでしたら、また戻って来て続けてくださって結構ですので」

 実際、気が急いているのだろう。月子は野木村がまだ湯飲みを置かない内から動き出していた。

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