第19話 頭上のヒント
話が終わると、添削を頼まれたので引き受けた野木村。目を通してすぐに正解していると判断できた。数学の解答として分かり易く、言葉の選択が適切だと感じた。
「合っている、と思う。もしも間違っていても勘弁してくれる?」
「はい。合っていると私も思いますし、大丈夫ですよ、きっと。――野木村さん、ついでに私の偽彼になる件について、少しだけお話を」
「ニセカレ? ああ、はいはい」
「私のことをあきらめていない様子の男子について、知っておいてもらった方が無難かなと思ったものだから」
「知っておくって、人となりとかをかい?」
冗談を返した野木村に、月子は少しだけ唇の両端を上向きにして、「いいえ」と答えた。
「顔を知っておいた方がいいと思うんです。その人のことを私もよくは知りませんけど、だからこそ、無茶な振る舞いに出ることが絶対にないとは言い切れません」
「危ない奴なのか」
自分の声が真剣味を帯びたと感じた野木村。月子は嫌々をする風に首を振って、
「ですから、詳しくは知らないんです。よい噂も悪い噂も聞きませんが」
と淡々と述べると、卒業アルバムらしき冊子を棚から引っ張り出した。
「中学も同じだったので、載っているんです。その頃は正真正銘、全然知らなかったんですが」
速い動作でページをめくっていく。やがて手が止まった。
「これ、この人です」
彼女の細い指、少しだけさかむけしている指が示したのは、
「こんなこと言っても何の足しにもならないけれども、一応、男前の部類に入るんじゃないか、彼」
「あとで知ったんですが、この人、中学では人気があったみたいです。背が伸び悩んでいて、高校に入ってからは今ひとつだって友達が教えてくれたっけ」
「……ちなみにだけど、月子さんは? 人気あった?」
「普通、かな? 昔から友達は割と多くて。でも、うちの医院は中学校の健康診断を受け持っていたんですよね」
「それ、関係あるのかい?」
「ありますよ~。個人情報を持っている白上を怒らせたら怖い、秘密をばらされるって思われていたわ。そんなこと絶対にするわけないのに、失礼しちゃいますよね」
思い出したのか頬を膨らませる月子。
「それでいて男子の中には、クラスの女子のスリーサイズを教えてくれよってからかってくるのがいて、追っ払うのが面倒だった。冗談と分かっていても、腹が立って」
「悩みにも色々あるもんだね。その分だと月子さんは、中学校の中では有名人扱いだったんじゃないかな」
「そうかしら。ああ、健康診断の先生の子だって意味ではそうかも」
「一方、この安藤君も人気があったんなら、自分がみんなに知られていると思っていただろうな。自意識過剰なくらいに。でも月子さんは知らなかった。その辺ですれ違いが起きてるのかもしれない。告白を断れたことで、『僕は君を知っているのに、何で君は僕を知らないんだ』的なね。」
「そう言われても、本当に全然覚えがないから。高校に入ってからテストで上位に来ることもあったので、名前は記憶に残っていたけれども」
野木村は彼女の話に耳を傾ける内に、月子が安藤にほとんど関心を持っていないんだなと理解した。成績がいいことや少なくとも中学では人気があったことを知っていながら、よい噂も悪い噂も聞かないと言っている辺り、無関心さが顕著だ。
「ちなみにパート2になるけど、もし仮に安藤君が『付き合って欲しい』ではなく、『友達になって欲しい』という意味のことを言ってきていたら、どうだった?」
「それはまあ、友達ぐらいなら。女子の友達ほど仲よくはできないかもしれないけれども、知り合うチャンスを最初からシャットアウトはしない」
「そっかあ。安藤君は順番を間違えたのかもしれないな。焦りすぎたっていうか」
「うーん。私には判断つかない。野木村さんは随分と安藤って人の肩を持ちますね」
「肩を持つというか、万が一にも襲われたら嫌だからさ。ちょっとでも人となりを知っておきたくなった」
それに……と、心の中で付け加える野木村。
(中学は同じ学校に通っていた。そして中学の健康診断は、ここの診療所が受け持っていた。ということはこの近所にその中学校はあるはず。当然、安藤家もこの周辺にあったに違いない。なのに高校に入って安藤は寮生活している。ということは、安藤の保護者だけ仕事の都合か何かで引っ越した可能性がある。裏を返せばそうまでして安藤はこの近くの高校に通いたいと願った。そこには理由があるんだろうなあ)
純粋なのか執着が強いのか、判断は棚上げにして、とにもかくにも顔を覚えておく。
「すみません、こんなことにまで巻き込んでしまって」
「どうせ乗りかかった船です。武道の心得はありませんが、あの車は頑丈ですから、いざとなったらあの中に逃げ込むとしますか」
ニセカレの話はこれで終わりだというので、野木村は広間に向かおうと廊下に出た。室内を振り返った際に、ふと目に留まった物があった。
天井に張ってあるポスター?だった。方角を示す四つ角の星型で、黒と白をメインにした色彩で立体的に描かれている。それぞれの頂点には赤い文字で、「E」「W」「S」「N」のアルファベットがそれぞれ書いてある。
「――あのポスターって、あれで合っている?」
頭の中の認識と違っていたので、聞いてみた。
「方角が合っているかということですか? はい。おおよそですけど、張るときに確かめましたから」
「……いや、方角の正しさ以前の問題か。南北と東西の位置関係がおかしいような気がしたんだけど」
南北を結ぶ線があって、その線上で北を向いているとしたら右が東で、左が西だろう。なのに今話題にしているポスターは、左が東で右が西になっている。
「あっ。野木村さんも錯覚していますね」
月子は笑いながらポスターの真下に立った。
「普段、私はここに布団を敷いて眠ります」
「はあ。それが何か」
「野木村さんは頭の中であのポスターを外して、床に置いた様な状態で考えてしまったんじゃありません?」
「確かに、そうしました」
「あのポスターの星形は、天井に張って下から見上げるために描かれているんです」
「……あっ。そうか、なるほど。ユニークなデザインだと思ったら、そういうことでしたか」
言われてみれば当たり前なのだが、方角を示す物を天井に描くとしたら、東西もしくは南北どちらかを逆にしなければ用をなさない。
「あんな変わったポスターを貼るくらいだから、月子さんは天文に興味がある?」
「ゼロではないですけど、研究と観測とか、そこまでは行きません。名前のせいもあって、お月様は好きですけれどね」
「だったら偽装デートはプラネタリウムでも行ってみますか」
「候補の一つとしてはいいですね。瑠音ちゃん達も興味持つと思います」
「宝探しの一環で、プラネタリウムに行くとしたら……暗号を解読して、南十字星なんて言葉が浮かび上がれば、実物はおいそれと観に行けないからまずはプラネタリウムかな」
気安い調子で話を合わせていたとき、野木村は不意に真顔になった。ひらめきが降りてきた、かもしれない。
「ありがとう月子さん」
「新たにお礼を言われるようなことは、した覚えがないですけど」
「この部屋に来て、君と話したおかげで、今引っ掛かっている暗号の謎が解けたかも」
「凄い。子供達に早く伝えないと」
促されてダッシュしようとした野木村だったが、月子には動く様子はない。
「月子さんは、どういうことなのか知りたくない?」
「あとで伺います。今は宿題を済ませておかなくちゃ。料理の仕度もありますしね」
「そうか。じゃあ、急がせてもらいます」
野木村は駆け出そうとして、ようやくここが他人の家だと思い出した。
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