第15話 怪しい影


             *           *


 おやつの時間のあと、野木村清順は外に出た。白上家に泊まらせてもらうことになりったので、必要な物を取ってこようと考えたのだ。

 鍵を手に駐車場に向かっていると、ふと気になった。

(いいのかな、ここに駐めておいて)

 病院用、つまり来院者や入院患者、見舞い客らのための駐車スペースではなく、あくまでも個人宅としての白上家の来客用スペースなので、その点の問題はない。ただ、大きな車体のハイエースが、家屋敷のほぼ正面に、でん、とでかい顔をして居座っているみたいでちょっと気恥ずかしい。元々、すぐに出発するつもりだったのだからしょうがないのだが。

(他に大きめの車がやって来たら、ひょっとしたら邪魔になるかもしれないな。よし、動かしておこう)

 そうとなると、どこに駐めるのがいいのか、場所を具体的に聞いておく方がより安心だ。野木村はキーホルダーの部分をくるくる回しつつ、考えた。先に荷物を取って、白上家に置いてから車を移動させるか。それとも一度回れ右して引き返し、移動すべき場所を聞いてからまた車に向かうのがいいか。

(迷惑を掛ける恐れがあるのは車の位置。移動を少しでも早くするには先に場所を聞いて、荷物は後回し)

 そう判断してきびすを返す。そのとき、自分のとは別の足音がしたような気がして、ちらと肩越しに振り返った。が、誰かが来た様子はない。気のせいかと思い直し、母屋に戻った。

「えっ? 車?」

 食堂にまだいた白上月子に意向を尋ねると、自分では判断しかねる旨の返事があった。

「お急ぎでしたら、母に聞いてみます」

「あ、いや、仕事の邪魔をしては……」

「いえ、電話で。短い通話なら平気でしょう」

 そう言うと月子は彼女自身の携帯端末を取り出し、短縮ボタンで電話を掛けた。

「――お母さん? 手短に話すから聞いて。お客様の車、今、本宅の前に駐めてあるのだけれども、大型のバンで他の方の邪魔になるかもしれないと気になさっているの。動かすとしたら、どの辺りがいい? ――うん、うん。分かった。じゃあ」

 野木村に出番が回ってくることなく、通話は終了。同時に、月子は白い紙にボールペンでさらさらと略図を記した。

「この右手奥のスペースが空いていたら、そこへお願いします。万が一、誰かが使っていたら、こちらの左側に」

 手書きの地図上に丸1と丸2を書き入れて、野木村に渡してくれた。

「できれば、出すのが面倒くさくなるような駐車の仕方でかまいません。宗久叔父さんが運転をあきらめるような」

「ああ、宗久さんの件がありましたね」

 思わず苦笑してから野木村は再度、外に向かった。

 横開きの玄関戸をがらっと開ける。

「――また?」

 何かの影が素早く動いて、引っ込んだような。いや、具体的に視野に入ったのではなく、気配を感じただけかもしれない。

(誰か隠れてるんじゃないよな。いくら広いからと言ったって。車自体は少ないのだから、身を潜める場所がほとんどない)

 とりあえず、気のせいだと思うことにした。でも注意を払ってはいる。

 近付きつつ、取り出した鍵のボタンを押してロック解除を試みる。

「あれ?」

 音がしない。いつもなら、鍵の開いた音ががちゃっと聞こえるのだが。調子が悪いらしい。ボタンを押し続けながらも、野木村は自分の車の右横まで来た。

 結局、ロックは解除されず、キーを回して直に開けることに。キーホールに鍵を差し込もうと構えたそのとき、わずかだがはっきりとした変化に気が付いた。

「何だこれは」

 低く呻き、その汚れを中心に、宙に指で円を描いてみる。

 そう、鍵穴の周辺が白く汚れていた。白いのは濡れた泥が乾いた物のようだ。

(こんな汚れ、降りるときにあったら絶対に目に留まるよなあ。ということは誰かがわざとやったから、獣か何かがやって来てたまたま着いたか)

 目を凝らすと、白い汚れには指のような形状が認められた。さらに、部分的な指紋らしき痕跡もほんのちょっぴりだがある。

 野木村は自分の指および指紋と見比べてみた。

(一部しか残ってないから断言は難しいが、僕よりも小さいな。子供達の誰かが触ったんだろうか。でも、あの子達は一人も手は汚れていなかったと思うんだが。それにこの乾き具合)

 腰をかがめ、白い汚れに目を凝らす野木村。知らない者が遠目に見ていたら、野木村こそが車に何かいたずらをしようとしている人物に思えるかもしれない。

(三時間も四時間も経ったという感じではない。つまり、瑠音さん達四人ではない。この家を出ていないはずだから)

 ということは――野木村は立ち上がると、車体をざっと見て回り、汚れ以外に目立つダメージは全くないことを確認した。楽観的に考えてよさそうだという判断につながる。

(多分、近所の子が見掛けない車、珍しい車があるのを見付けて、近寄ってきたんじゃないかな。ドアが開かないか試したが、開かなかった。泥汚れはそのときに付いたんだろう。僕が感じた視線や気配、足音なんかもその子供のものだったのかもしれない)

 そう推測した野木村は、ハンカチを尻ポケットから取り出すとドアに付着した白い汚れにあてがい、拭き取ろうとした。が、ハンカチを広げた時点で気が変わった。

(どうせこのあと雨が降って来て、洗い流してくれるだろう。ハンカチを無闇に汚す必要はない)

 ハンカチを振って広げ、たたみ直してからポケットに戻す。無駄な動きを挟みつつもようやくドアを開け、運転席に座った。

(早く動かして戻らないと。何を手間取っているんだと思われるかな)

 そんなことを思いながらエンジンを掛けた。

 空は西の方から暗い雲が勢力を広げつつあった。遠くでごろごろ、ごおごおと空気が渦巻くような音が聞こえる。


 必要な荷物を持って母屋に戻った野木村は、念のためにと、月子に聞いてみた。

「近所に子供っています? 小中学生ぐらいの、車が好きそうな」

「車が好きそうかどうか知りませんけど、います。――もしや、野木村さんの車に何かあったんですか」

「いえ、大したことでは」

 余計なフレーズを付け足してしまったなと後悔を覚えた。大ごとにしたくないので、「ちょっと泥跳ねしていただけです」で押し通した。

 最初の広間に行ってみると、四人の子供達の他にもう一人いた。

「宗久さん」

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