第9話 予想外の提案

「普通に面白そう」

 倉持がまず言った。彼を含めた男子二人は用意された大きなテーブルの向こう側から、つまり上下逆の状態で見ていたのが、いつの間にか瑠音達のいる側に回ってきている。

「世界遺産とか鬼門とかちょっと伝奇物っぽくて、暗号もそれなりに仰々しくて、こういうの好きなんだ、僕」

「宝が何なのか、書かれてないのは気になるけど、解いてみたくなるのは賛成だな」

 続いて蒼井が感想を口にした。

「それに、お勉強しなくちゃ分からない部分が結構あるから、宿題向きかもしれないぞ。世界遺産なんて俺、詳しくないから」

「確かに。最初のって言われたら、全然分からないわ」

 高谷も肯定的に意見を述べる。

「調べれば簡単に分かるだろうからそこは気にならないけれども、その内の一つが“紛れ”っていうのは、どういう意味かしら。それに、誤字みたいなのがあるのも気になる」

 そう言って「へいきんん値」の「ん」連続を指差す。瑠音は思わず苦笑した。

「委員長、真面目すぎて気が早いんだから。もう暗号解読を始めてる」

「いえ、別にそういうつもりでは」

 目の下辺りを少し赤くする高谷。

「どうするかは班長であるあなたが決めてよ、瑠音」

「みんな乗り気だし、私だって解読してみたいし、これはもう話し合わなくてもいいよね。この宝につながるかもしれない暗号にチャレンジする、そしてできたら解読するのを夏休みの我が班の自由研究にしよう!」

 瑠音の決断に、賛成!異議なーし!と言葉が返る。気をよくして、「それではまず」と続けた瑠音だが、考えがまとまっていない。

「まず……どうしよう?」

「今すぐにやれることをやっておきましょ」

 すかさず高谷が意見を出した。

「たとえばこの『んん』のところは、月子さんが書き写すときにミスしたものではないかどうか、確認を取るの。それから日本で初めて認定された世界遺産というのも、調べたらじきに分かるはずよ」

「いいね、さすが委員長」

 蒼井が半分ふざけ口調で言った。

「そう思うんだったら、行動を起こしてくれる?」

「えーと、調べ物するならネットが楽なんだけどな」

 瑠音達四人はスマートフォンやタブレットなど、携帯端末は持たされていない。

「ないのなら、図書館に行って事典を調べる」

「かたいな。この家の人に借りられないか聞いてからにしようぜ。図書館に行くにしても、場所が分からないし、野木村さんが運転してくれないと俺達だけでは動けないかもしれないんだし」

「……一理あるわ」

 高谷は瑠音の方を向いた。

「月子さんがどこにいるのか分かる?」

「多分、自分の部屋じゃないかな」

「それじゃあお願いしに行きましょ。誤字かどうかの確認も兼ねて」

 立ち上がる高谷に続いて、瑠音も腰を浮かせた。そこへ倉持があわてたように言ってきた。

「あ、聞くんだったら、ここも聞いといてほしい」

 倉持は暗号文の「二枚のえ」の箇所を指で押さえている。

「平仮名の『え』になっているけれども、元々そうなのかどうか。意味としては絵画の『絵』がぴったりくるのに、奇妙な感じがする。考えすぎかなあ?」

「なるほどね、鋭いかも。聞いておくわ」

「待っている間、何かしておけってのは?」

 高谷と瑠音、連れだって歩き出した二人に蒼井が尋ねる。

「それじゃあ、暗号文に目を通して、気になること、気付いたことがあったらどんどん書き出しておいて。どんなにつまらなくても、どんなに馬鹿馬鹿しくてもいいから」

 瑠音の班長らしい指示に、よっしゃという声が返って来た。

「今のは的確だったわね」

「他に思い付かないってのもあるんだけどね」

 瑠音を先頭に家屋をぐるっと半周するような具合に廊下を歩き、そこから伸びる渡り廊下に差し掛かる。

「月子さんの部屋は洋風建築の方にあるのね」

「そう。やっぱり鍵の掛かる自分の部屋ってなると、洋風になるよね」

 他の家人とはすれ違ったり見掛けたりすることもなく、月子の部屋まで辿り着いた。夏だけどドアも窓も閉め切ってあるのは、冷房が効いている証と言えた。

 瑠音は小さめの深呼吸をしてから、ドアを三度、ノックした。

「月子おねえさん? 私、瑠音。今ちょっといい?」

「どうぞー。開いてる」

 ドアをゆっくり開け、冷気を肌に感じつつ中を覗く格好になった。

「どうかした? とにかく入って」

 促されて二人とも入る。ドアをきっちり閉めてから改めて部屋を見渡すと、天体写真のポスターが数枚飾られ、棚の上には地球儀ならぬ月球儀。天体望遠鏡も小ぶりな物だが部屋の角に置いてある。タレントのポスターやグッズは見当たらない。本棚の一角を占める少女マンガは女子高生らしいと言えるかもしれない。

「月子さん、お邪魔してごめん。先ほどの暗号メモについて、確認したいことと、あとお願いしたいことができたから……」

「いいのよ。確認て?」

 瑠音は文章について出た二つの気になる箇所を、手短に説明した。その途中の段階で月子は分かったという風に何度か首を縦に振った。

「あれなら元の紙にあった通りよ。忠実に写し取ったわ。そのとき、『ん』が二文字続いていることも、『え』が漢字になっていないことにも気が付いた。どうしてそうなっているのかは分からなかったけれどね」

「要するに、あの文章は元の文章と一言一句違わないってことね」

「そういうこと。それからお願いって?」

「できたらインターネットを使えないかなと思ったんですが、どうでしょうか」

 今度は高谷が切り出し、事の次第を話した。

「そっかそっか。調べ物するにもツールが必要よね。百科事典や辞書ならあるけれども足りないだろうし。ただ、貸すと言ってもみんな個人で使っているからなあ。仮に私の物を貸すとしても、時間制限を付けることになるかしら」

「それで充分です!」

 高谷と瑠音が声を揃えたそのとき、廊下からノックする音が聞こえた。それきり何も言わないので、月子が「はい?」と聞き返す。

「野木村です。色々とニュースを見せてもらって助かりました」

「あ、終わりました?」

「はい。テレビのスイッチは切っておいたんで」

「わざわざ知らせてくださってどうも。――あの、ちょっと寄っていきませんか」

 ドア越しの会話が続いたが、ふと思い立ったように月子が持ち掛けた。

「はい?」

「結局どうするのか聞きたいんです。多少無理にでも出発するのかどうか」

「ああ、それがありましたね」

 ドアが開けられ、野木村が入って来た。

 途端に瑠音達の存在に気が付き、びっくり眼になる。

「いたんだ、瑠音さん達」

「うん。月子さんに頼み事があって」

「頼み事って?」

 その会話の流れを待っていたように、月子がここで口を挟む。

「野木村さん、もし出発を延期されるんでしたら、少し瑠音ちゃん達に付き合ってくれませんか」

「ええっと、話が飛びすぎてよく見えないんだけど」

 額に手をやり、今度は困惑顔。

「まずは野木村さんがいつ出発するかです」

「それなんですが……もう少しあとで最終的に判断するつもりなんだけど、遅らせようという方に気持ちが傾いている。というのも、道中の川が軒並み氾濫の恐れありって出ていて」

「まあ大変。それはいけません」

 月子の口調がちょっとおかしい。最初から野木村を引き留めようと心に決めており、そのためのお芝居を始めたかのようだ。

「危ないと分かっていて送り出すわけには行きませんわ」

「あの、どうかしましたか、月子さん?」

「何がでしょう」

「急にしゃべりが、台本の台詞めいて聞こえたような……」

 野木村自身も当然のように気付いており、すぐに訝しむ。

 月子は目をそらし、考える間をちょっとだけ取った。瑠音と高谷は何が起きているのかと、ざわざわ。

「私って普段からお芝居をしたり嘘をついたりするのが下手だって言われるんだけど、今もそれが出てしまったみたい」

「お芝居?」

「はい。もちろん野木村さんを心配して止めようとしていたのは、嘘偽りのない本心なんです。ただ、私も男の人が近くにいて欲しい事情ができてしまって」

「事情って、大雨がこちらにも接近しており、借りに被害が発生したときに泥のかき出しをするのに男手があれば便利だとか? ……ではないようですね」

 冗談なのか、野木村は早口で言って自ら否定した。

「恥ずかしい話なんですけど、半月ほど前に、男性から言い寄られまして」

 月子の話を耳にして、瑠音と高谷は「別に恥ずかしい話じゃないよね」「うん」と言葉を小声で交わした。

「正直なところ、タイプではないのでお断りしたのですが相手は自信家なのか、食い下がられて、それでつい、健全なお付き合いをしている大学生がいるので無理です、とお答えしたんです」

「えっ、彼氏いるの、月子おねえさん?」

 辛抱できず、割って入る瑠音。

「この間、グループデートの予定はあっても、恋人はいない、みたいなこと言っていたのに」

「よく覚えてるな~」

 月子は苦笑いを挟み、改めてこの場のみんなに向けて言った。

「大学生の彼氏がいるというのは、嘘も方便。アプローチを断るためのね。アプローチしてきた人は寮生で、夏休みに入ったら実家に戻るはずだったから、一ヶ月ほどあればあきらめてくれると疑いもしなかったわ。それなのに何を思ったのか帰るのを遅らせて、私に本当に大学生の彼氏がいるのか確かめようとしている節があるの」

「うわ、信じられないことするわ~。相手の人って高校生なんでしょ?」

「ええ。どうしよう、大学生なんだから課題があって簡単には会いに来られない、ということで通そうかとも思っていた。そこへちょうど現れたのが野木村さん」

 両手のひらを揃えて上に向け、野木村を指し示す月子。

「ははあ。そういうことでしたか。つまり、彼氏の役を演じるのに使えそうだと」

「はい……すみません」

 顔を伏せ気味にする月子。耳が赤くなっているのが傍目にも明らかだ。よくここまで思惑を気取られなかったわと瑠音は感心した。それとも、彼氏の代役を頼もうと思い付いたのがついさっきなのかもしれない。

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