第6話 これくらいなら昼飯前

「それに、また天気予報があるからちゃんと聞いておきたいんだよ」

 左手の人差し指をぴんと伸ばして唇に縦に当て、静かにとのポーズ。瑠音達は素直に従った。

 たまたま電波の届きがよくない地域に差し掛かったのか、ラジオのアナウンスは途切れ途切れになる。それでもどうにか聞き取れたようで、野木村の横顔はちょっと曇った。

「どうしたの?」

「うん……予定していたよりも、つまり前に聞いた予報よりも雨雲の動きが早いみたいだ。聞き違いでなければ、一度に雨の降る範囲が広まったようだから、関西に着いた頃にはやっぱり雨だろうけどね。それよりも気になったのは、数日前にも大雨になった地域と重なるから、土砂災害に要注意だってさ」

「えっと、それはこの辺りも含まれてた? 昨日、月子さんに電話したら雨に降られたっていう話をしてたけど」

「多分、含まれる。でも土砂災害どうこうっていうのは降り出されてからの話だろうから、まだ大丈夫だろう。ただ、到着したらちゃんと天気予報を確認しておくべきだな、これは」

「ネットは? 持ってるでしょ、野木村さんは」

「持ってるけど、運転中はやめとくよ。さすがに、君達にも触らせたくないし」

「怪しい」

 蒼井がここぞとばかりにつっこむ。野木村は気にするそぶりを見せず、軽く受け流した。

「はは。厳しいな。だけど君も大人になったら同じ気持ちになると思うよ。さあて、もうだいぶ近付いたと思うんだが、瑠音さん、どうかな」

 おしゃべりに夢中になって、しばらくナビを忘れていたと気付く。左右の窓から風景を見通して、「ええっと」と頭の中にある地図と組み合わせる。

「あ、行きすぎてる。遠回りになったけど、次の信号を右折で」

「了解」

 それから十分ほどで、目的地である白上家に辿り着いた。


「おお、でかい家だな」

 降り立って、ショルダーバッグを担ぎ直しながら蒼井がそう評した。

 病院らしき白い建物があり、駐車スペースを挟んで似たような西洋建築二階建て。さらに渡り廊下でつなげた和風の建物が。日本家屋の方は一部だけ二階屋が設けられているようだ。

「瑠音ん家も下宿を含めて広いと思ってたけど」

 赤系統のリュックを両手でぶら下げた高谷が、感心したように見上げる。

「泊まれる人数で言えばこちらの方が多そうね」

「やっぱり、お医者さんて儲かるのかな」

 現実的な話をしたのは倉持。太陽の光を反射する眼鏡の奥では、密かにそろばんをはじいている雰囲気だ。

「お家の人が出て来るから、そういうこと言わないでよ」

 瑠音は念のために注意してから、先頭を切って門扉の間を通り、日本家屋の方の玄関前に立った。そのあとを高谷、蒼井、倉持そして野木村の順に続いていく。

「こんにちは! 白上瑠音です!」

 瑠音が曇りガラスの入った横開きの扉を軽く叩き、声を張る。後ろにいる高谷が「呼び鈴やインターフォンはないのね」と呟いた。

「それはあっちの洋風の方にあるの」

 肩越しに振り返って教える瑠音。ちょうどそのタイミングで、玄関戸がからからからと乾いた音とともに開けられた。

 白いワンピース姿の若い女性が現れ、にっこりと微笑む。

「久しぶり、瑠音ちゃん。道路は混んでなかった?」

「うん、平気だった。あの人――野木村さんの運転、上手だったし」

 後ろを向きつつ腕で運転手を示す瑠音。出迎えの女性の目線がつっと上がり、野木村に向く。

「この度はお手数をおかけしました。ありがとうございます。白上月子と言います」

「い、いえ。これはこれはご丁寧に」

 距離がある内から頭を深々と下げられたせいか、野木村は困ったように後頭部に手をやった。

 そんな野木村の戸惑いを知ってか知らずか、月子は面を戻すと身体を横に開き、子供達を促す。

「皆さん疲れてるんじゃない? とりあえず中へどうぞ。突き当たりの手前、左側の部屋に荷物を置いてね。自己紹介や挨拶はそれからということで」

 子供らは「はーい」「お邪魔します」「お世話になりまーす」と口々に返事して、玄関から入って行く。程なくして、どたどたと足音が響いた。

「何だかすみません」

 最後尾の野木村は、ぺこぺこ頭を下げて月子の前を通った。

「――あら。野木村さんはお荷物はどうしました?」

 手ぶらの野木村を見咎め、月子が問う。

「荷物は車の中です」

 駐車場に置いた車の方に顎を振り、答える野木村。

「伝わっていると思いましたが、僕はじきに出発するので」

「それは窺っていますけど……天候が優れないみたいですよ」

「あ、やっぱり。あとでテレビの天気予報、見させてもらえますか」

「どうぞ、かまいません。それにお昼も食べられますよね?」

 食事の予定も当初とは違ってきていることを思い出した。だからといって初対面の人の家に上がり込んで食事というのはなあ――と、野木村は躊躇を覚えた。が、月子の柔らかな眼差しに捉えられると、すんなり「はい、いただけるのでしたら」という台詞が出た。

「分かりました。実はもう野木村さんの分も用意してあったんですよね。無駄にならなくてよかった」

 ほっとした様子を見せる月子に改めて促され、野木村は白上家に上がり込んだ。彼女を先にして歩くと、ちょうど頭が見下ろせる位置に来て、光沢のある黒髪に意識が向くだろう。

「何してたの、月子おねーちゃん。早く早く。みんなが落ち着かない」

 瑠音に急かされた月子はぱたぱたとスリッパ履きの足音を立てて、くだんの部屋に急いだ。野木村も若干早足になって続く。

「この部屋はみんなが集まる部屋として使ってね。宿題があるんでしょう?」

「そうそう。うん、ちょうどいいや。さすが瑠音さんの親戚、気が利く~」

 蒼井が部屋を見渡した。瑠音は顔をしかめたが、月子はまた微笑した。

「こことは別に、寝室を用意してあるから、あとで案内するわね。――ベッドでなければ眠れない、あるいは逆に布団でなければだめっていう人はいる?」

「自分は大丈夫。畳の上だって平気で眠れる」

 蒼井が真っ先に答え、残る高谷と倉持からも特に条件は出なかった。

「分かった、よかったわ。それでは汗もそんなに掻いていないみたいだし、食堂の方に行ってもらおうかな」

「あの、自己紹介や他の方へのご挨拶は」

 さすがに気になったらしく、高谷が疑問を呈する。月子はわずかに首を左右に振った。

「いいのよ。私はみんなの名前をちゃんと把握しているし、この家の他の人達は今、お仕事中なの。食事の時間がちょっと変則的だから気にせずに食べて」

「そう、ですか。だったら」

 納得した様子の高谷に代わり、倉持が「あれ?」と首を傾げた。

「クラッチ、どうかしたか?」

「いや、たいしたことじゃないかもしれないけれど、お昼ご飯の準備はどなたがしてくれたんだろうって思って」

「言われてみれば」

 男子二人の目が月子に向いた。答は当人ではなく、瑠音が言った。

「当然、月子おねえさんよ。――だよね?」

「ええ。時間が有り余っていたので、腕によりを掛けて作りました。お口に合えばいいんだけど」

 控えめな口調で告げた月子。これに蒼井が小学生らしく、遠慮のない反応をした。

「これだけハードルを上げておいて、インスタントラーメンなんてことはないな。よかったぜ――いてっ」

 瑠音が彼の頭を後ろから叩いた。

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