第3話 失恋間もない送迎役
瑠音の家は下宿を営んでいる。
自宅とは別に隣接する小ぶりなアパートには七部屋あって、六部屋が埋まっていた。さらにその内の五部屋は大学生の一人暮らしだ。
「そういうことだったら、送っていきますよ」
そんな学生の一人、
「あら? 確か野木村君、この夏はずっとこっちにいるって言ってなかったかしら」
瑠音の母の
「あれ、どうなったの?」
「それが……予定が変更になりまして」
片手を頭にやって、気恥ずかしそうにする野木村。夏にはちょっと鬱陶しい長めの髪だが、基本的に男前なので許される感じがある。
「そういえば」
父の
「何日前だったか、アパートに入ってくる手前で携帯電話で話してたのが聞こえて来たっけ。悪いけど、内容も分かってしまったよ」
腕組みをして、やや意地悪げに言う父に、成り行きを見守る瑠音は首を傾げた。何のこと?と。
「聞かれてたんですか。しょうがない」
ばつが悪そうに自嘲すると、野木村は母に向かって説明した。
「ぶっちゃけますと、彼女との約束が全て吹き飛びまして、いてもしょうがなくなったんです。だったらやっぱり地元に戻ろうかなと。僕の車なら子供達全員乗せても余裕ありますし」
彼の地元は関西の港町Kで、白上月子の自宅はその道中だからついでに乗せていってあげようというありがたい話なのだ。
そもそも野木村の家は裕福らしく、今乗り回しているワゴン車は入学祝いに買ってもらったという。アパートに不釣り合いなほど立派なハイエースが、駐車スペースにでんと置いてある。
(そもそもどうしてうちのアパートを選んだんだろ?)
瑠音は子供心に常々疑問に思っている。野木村さんならもっと大学に近い、立派なマンションにだって入れるんじゃないかしら。
「まあ、それはお気の毒様。やけになってないわね?」
「大丈夫ですって。あ、お子さん達が心配なら、それこそ信用してください。安全運転で行きます」
「非常に助かる話だけれども、君にそのなんていうかメリットがないだろうに」
父が率直に問う。さっきの失恋電話の件もそうだけれど、こういうときに忖度も物怖じもなく聞ける父の性格はある意味凄い、と瑠音は思う。
「それは何て言うか、ちょっと功徳を積もうかと思いまして。彼女から、いや、元彼女に言わせれば、僕は計算しすぎだって」
「ふむ。何か分かったようで分からない理屈だが、ボランティア精神に目覚めたと受け取っておくよ。――私はお願いしようと思うが、母さんは?」
「異存ありませんよ。野木村君が普段から安全運転しているのは知っていますし」
「じゃああとは」
父が瑠音の方を向いた。腰をかがめ、目の高さを合わせてから聞いてくる。
「瑠音は? 野木村のおにいさんに送ってもらうのでいいかな?」
「いいよ」
即答して、さらに付け足す。
「でも、帰りはどうなるの?」
「そうだな。帰りは社会勉強も兼ねて鉄道で帰ってくるか」
「あの、前もって知らせてもらえれば帰りも行けるかもしれませんが」
野木村の申し出に、瑠音の両親は顔を見合わせた。
「野木村君。彼女さんにどんなことを言われたの? よっぽど功徳を積みたがっているように見えるわよ」
「い、いえ、決してそういう意図では」
しどろもどろになった野木村は瑠音に助けを求めてきた。
「瑠音さんはどう? 帰りも僕が送るっていうのはだめかな?」
「うーん、悪くはないと思うわ。だけど、新幹線にも乗ってみたいし」
「そ、そうか……」
肩を落とす年上の大学生を目の当たりにして、何だかかわいそうになってきた。これではまるで一家総出でいじめてるみたい。
「最初に送ってくれるとき次第かなあ。そのときよかったら、きっと私もみんなも、帰りも野木村さんの車に乗りたいって言い出すって、きっと」
「では気に入ってもらえるよう、しっかりエスコートさせていただきます」
執事よろしく、胸の前に右腕を掲げてこうべを垂れる野木村。見た目がいいだけに、さまになっている。
「言っとくけど、半分は男子だから」
「もちろん聞いているよ。そんな差別はしない。ただ、してはいけないことには注意するけれど」
野木村の言葉に、瑠音の母が乗っかった。
「いい機会だからしつけてもらいなさい、瑠音」
これ以上はやぶをつついてヘビを出すことになりそうだ。
そして迎えた出発当日の早朝。
車で各家を回ってピックアップしてあげようかと言ってくれた野木村に対し、帰りがどうなるかまだ分からないからという理由で、瑠音の友達三人はめいめい自転車に乗って、下宿前に集合した。
「みんな揃ったみたいだね。おはよう。出発は早い方がいいだろうから、今は簡単な自己紹介だけしとこうか。僕は野木村清順と言います。白上さん家の下宿に部屋を借りてる大学生です。みんなよろしく」
ぱちぱちと乾いた音の拍手が短くあって、今度は瑠音の同級生が挨拶する番だ。まずは女子から。
「高谷保奈美です。この度はお世話になります、よろしくお願いします。あの、これ母から」
有名店の名前の入った紙袋。中身は洋菓子の詰め合わせだった。
「あ、ありがとう。こんなことしなくていいのに」
「気持ちですから。さあ、時間が勿体ないです」
高谷は斜め後ろ、少し距離を取って立つ男子二人に目を向けた。比較的背の高い方が答える。
「蒼井悠季です。自分も親から預かった物があるんですが、委員長が急かしてるし、あとにします」
この年頃の男子にしては細身だが、日焼けした分たくましく見える。手の指に絆創膏をしていることから、わんぱくぶりが想像された。
三番目、最後の一人は眼鏡を掛けた生っ白い男子。
「あの、倉持寛海です。ぼ僕は何も持って来てないけど、時間があるときにご挨拶に窺いますってママが言っていました」
ガリ勉タイプなのか家に閉じこもってゲームばかりしているのか、外見だけでは簡単には判断できまい。
「はい、分かりました。では出発!と行きたいところだが――瑠音さん」
「はい?」
時計を気にしていた瑠音は顔を起こした。
「みんな僕のこと怖がってる? 何だか異様に丁寧な言葉遣いに聞こえたんだけど」
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