第3話


 ナツコさんは背筋を伸ばし、歌うように言いました。

「いかんせん カロリー・ハーフの マヨネーズ 味が薄くて 二倍かけたい」

「すごいわかる」

「でも、それだとハーフの意味がないという」

「たしかに」


 部屋のドアが、コンコンとノックされました。

 カイトくんのお母さんが部屋に入ってきます。

「はい、これ。ドーナツとアイスコーヒー。どうぞ」

「わあ、さすがおばさん。ありがとうございます。いただきます」

 と、ナツコさんが言いました。

「本当はスイカとかあればよかったんだけどねえ。夏っぽくて」

「いえいえ、ドーナツとコーヒー、最高じゃないですか」

「なに、短歌をつくってるの? へえ、夏休みの宿題で? それで、どうなの? うまくいってるの? どこまで進んだの? うちの息子が迷惑をかけてない?」


「もう聞いてくださいよ。ひどいんですよ、カイト。でもまあ、とりあえず、今までの流れを短歌にしまして、一つ。では、聞いてください」

 ええ、コホン、とナツコさんは居住まいを正しました。そして、歌うように言いました。

「食べものの 短歌ばかりが できていく 私の欲する ロマンス皆無」

「あはは。なにそれ。ロマンス皆無って」

「いやもうほんとに、そんな感じなんです。ほら、カイトもなにかつくってみて。どんな感じかおばさんに見てもらってよ」

「ええ? 僕? じゃあ、こんなのはどう?」


 ゴホンと喉を鳴らして、カイトくんは言いました。

「イスを買い 高級なので 頑丈そう 強度を確かめ 折れた背もたれ」

 しばしの沈黙の後、ナツコさんは言いました。

「ちょっと、どう思います? ずっとこんな感じなんですよ」

「ふふ。なるほどねえ。楽しそうでいいなあ」

「ええ? そういう問題じゃないですよ。私は、甘く切ないロマンス系短歌を求めているんです。あ、そうだ。おばさんもなにかつくってくださいよ」

「あら。そうねえ。うーん。じゃあ、こんなのはどう?」


 エッヘンと喉を鳴らして、カイトくんのお母さんは言いました。

「消さないで 黒板消しは 消していく 私とあなたの 相合い傘も」

「きゃーっ! それです! それなんです! 私が求めていたものは!」

「ふふ。そうなんだ」

「もう、さすがおばさんです!」

 ナツコさんはきゃーきゃー言いながら、身体をくねくねさせています。

「ちょっと、テンション上がりすぎ」

 と、ドーナツ片手にカイトくんが言いました。

「はあ? じゃあ、カイトもつくってよ。おばさんの遺伝子を受け継いだ息子さんですから、さぞやロマンティックな短歌をつくってくれることでしょう」

「ええ? また僕? ええと、じゃあ、一つ」


 ゴホンと喉を鳴らしてカイトくん。

「ドーナツの 中心の穴は ドーナツの 内側でもあり 外側でもある」

 ナツコさんとカイトくんのお母さんは顔を見合わせています。

 しばしの沈黙の後、カイトくんは言いました。

「甘さは間違いなくある。ドーナツだから。切なさもなくはない。そしてなにより、哲学的である。宇宙の真理にロマンを感じる、なかなかよい短歌と言えるのではなかろうか。いまのところ今日のベストかもしれない」

 うんうん、とカイトくんは満足げに自画自賛しています。


 さらなる沈黙の後、ナツコさんが言いました。

「ではおばさん、リベンジをお願いします。息子さんのカタキをとってください」

 しょうがないなあとカイトくんのお母さん。嬉しそうに、エッヘンと続けます。

「好きな子の 浴衣姿を 見てたから 花火の音しか 思い出せない」

「きゃーっ! いいです! ステキです!」

「いや、だからテンション上がりすぎだって」

 と、カイトくん。

 ナツコさんはカイトくんには応えずに、きゃーきゃー言いながら、座ったままぴょこんぴょこんと飛び跳ねて、ノートにペンを走らせています。


「よし、では私も甘く切ないロマンス系を一つ」

 コホンとナツコさんは続けます。

「きれいだね そう言うあなたが 見てたのは 花火でしょうか 私でしょうか」

「あら、いいわねえ」

「いいですか? いいですか?」

「うん。甘くて切ない感じが出てる。素敵な短歌ね」

「わあ、ありがとうございます! それでは師匠もなにか一つ、お願いします!」

「ふふ。師匠になっちゃった」


 それでは、エッヘン、とカイトくんのお母さんは続けます。

「残るのは 氷で冷めた 温度だけ 蜜の匂いも 色も溶けゆく」

「こ、これは、もしかして、大人の恋ですか? これが、大人の恋なんですね! はあん、切ないです」

 ナツコさんはくねくねと身をよじらせながら、ペンを走らせています。見ていると、なんだか今にも獲物に飛びかかりそうな猫みたいです。

「ただ単に、かき氷を食べた、と言っているだけのような」

 と、カイトくん。

「カイトは黙ってて。師匠、それでは、私の切ない系短歌を聞いてください」

「うむ。苦しゅうない」


 コホン、と喉を鳴らしてから、ナツコさんは歌うように言いました。

「消えないで 最後のマッチは 風に消え 線香花火に ともることなく」

「あら、いいわねえ」

「いいですか? いいですか?」

「うん。切なさがよく出てる。線香花火なのがまたこの短歌の儚さを増してる」

「わあ、ありがとうございます! やった、師匠に誉められた」

 きゃーきゃー言いながら、ナツコさんは、べしっ、べしっ、カイトくんの肩を叩いてます。

「痛い。いや、だから、テンション上がりすぎだって」


「あらあら、楽しそうでいいわねえ。それはそうと、お昼はソーメンでいい? ナツコちゃんも食べていってね」

「ええ? いいんですか? ありがとうございます」

「じゃあ、お昼になったら呼ぶからね」

「あ、待っておばさん」

 部屋から出ていこうとするカイトくんのお母さんを、ナツコさんが呼び止めました。

「最後にもう一つだけ、なにか短歌をお願いします」

「うーん、じゃあ、こんなのはどう?」


 エッヘンとカイトくんのお母さん。

「もう一度 声に恋して 聞きたくて 歌声を聴き 冷静になる」

「ええ? それって、おじさんのことですか?」

「ふふ。ノーコメント」

 笑ながらそう言い残して、カイトくんのお母さんは部屋から出ていきました。


「ねえ、おじさんのこと?」

「その件に関しましては僕もノーコメントとさせていただきます」

「ええ? なにそれ? すごい気になるんだけど」

「家族の名誉のために。それはそうと、今何個できてるの?」

「ああ、ちょっと待って。ええとね」

 ノートを見ながらナツコさんは数を数えています。


 これまでのところ、できた短歌は二十二個です。残り九個です。

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