第9話

 月曜日。

 夕方になると、県立色鳥高校のグラウンドからはかけ声が聞こえてくる。

 運動部の声もあるが、この時期の放課後はムカデ競走の練習をする生徒たちもいて、よりいっそう賑やかだった。


 土曜日の体育祭まで、あと五日。


 僕は部室棟の廊下を歩いていた。


 横から差し込んでくる西日が、窓枠の影をくっきりと廊下に落とす。オレンジと影の道を歩き続けて、ひとつの扉の前で立ち止まる。

 扉にかかったドア札には、油性ペンで豪快に『ロボット研究部』と書かれている。

 息を吸って、吐いた。

 扉をがらりと開く。

 ただでさえ狭い部室を、長テーブルや、メタルラック、鉄くずの入ったダンボール箱などが圧迫している。度重なる爆発の痕跡は、壁に煤となって残っていた。棚には製作されたロボットが並んでいて、部室は、先週の金曜に見たときのままだ。

 そして、芽露先輩だけがいない。


 僕はパイプ椅子を引いて、ぎしりと座った。

 ロボ研よ永遠なれ、と先輩の字で書かれたホワイトボードを見つめる。

 次々々世代型アンドロイド・イヴちゃんを、部活対抗リレーで走らせ、そして勝つ。そのために作戦会議したときのアイデアメモや設計案が、殴り書きのように残されている。

 ロボ研は存続できるだろうか。


 できないだろう。


 ロボット研究部は廃部となる。




     ◇◇◇




 まだらヶ浜で〝訪問者〟の地球収奪に巻きこまれたとき、僕は先輩と一緒に逃げようとしたが、間に合わなかった。しかし降臨が完了する直前、先輩のポーチの中から三つの小箱が出てきて、僕らを囲んだ。父さんに持たされた、デートの指令を出すあの小箱は、対訪問者のための防御装置でもあったのだ。三つのキューブは僕と先輩の周りを旋回し、頭上と足下を高速で行き来して、正三角柱の障壁を張った。直後に訪問者による収奪が始まり、辺りは真っ白い光に包まれた。


 僕と先輩を包んだ障壁は、その白光に弾き出される形で強烈な勢いでエリア外に吹き飛ばされた。激しい衝撃から先輩を守ろうと、僕は先輩を抱きしめていた。どれくらい遠くへ飛ばされただろうか。色鳥市からそう遠くない町のどこかの雑木林に落下するまで、生きた心地がしなかった。


 耐性のある僕はほぼ無傷だったし、自己修復プログラムも走らせていたから問題はなかった。しかし先輩は生身の人間だ。キューブに命令して障壁を解除すると、僕は先輩を揺り動かした。先輩は気絶していた。僕は先輩の小さな体を背負って、雑木林を抜けた。そのタイミングで父さんが駆けつけて、僕らの身を案じながら車に乗せてくれた。


 そうして、ジャンクパーツ屋の二階の自宅に戻ると、夕方になっていた。

 先輩が目を覚ましたのはそのころだった。

 僕は安堵して、先輩と言葉を交わした。

 会話を続けているうち、安堵は焦燥に変わり、絶望となった。


 先輩は記憶と感情を失くしていた。


 あんなに僕を後輩として大切に思ってくれていた先輩は、無表情で僕を見つめて、「誰?」と言った。

 あんなに元気いっぱいでエネルギーに満ちあふれていた先輩は、状況を説明する僕に対して、「そう……」としか言わなかった。

 うなだれる僕に対して、先輩は、何の言葉もかけてくれなかった。


 また父さんが僕と先輩を車に乗せてくれて、先輩の家の近くまで送ってくれた。

 車の中で、僕らは無言だった。

 沈黙の痛みを知った。

 先輩と別れて、車の中で父さんが何度か僕に声をかけてくれたけれど、よく覚えていない。

 帰るなり、僕は自分の部屋で自らスリープ状態に入った。

 もう何も考えたくなかった。




     ◇◇◇




 窓の外から、ムカデ競走の練習をするかけ声が聞こえてくる。

 ロボ研の部室に日はあまり差していない。

 それでも蛍光灯をつける気になれず、薄暗い部室のなかで、僕は椅子の背もたれに体を預けた。

 中空を見上げる。


 先輩は今日、学校を休んでいるようだった。心配した両親が安静にさせているらしい。きっとしばらくは学校に来ないような気がする。記憶喪失や感情鈍麻の原因を探る検査のために、入院をすることもあるかもしれない。

 しかし現代の医療では原因特定は不可能だ。

 頭を打ったのが原因だとか、そういう次元ではない。あのときキューブの展開した障壁は、訪問者の発する〝波〟から僕らを守ったが、それでも僅かな干渉を許してしまった。先輩の心が消えてしまった原因は、地球収奪においての余分な物を消滅させる〝波〟を受けたからだ。そして、原因を知っていたとしても、対処法は誰にもわからない。

 つまり。

 先輩はもう、元には戻れない。


「先輩……」


 無意識の呟きが漏れる。僕はテーブルに肘を突き、両手で顔を覆った。

 目を塞いでいても先輩の笑顔が浮かんできた。

 口を開けてけらけら笑う先輩。

 えっへんと得意げに小鼻を鳴らす先輩。

 目元に陰をつくってニヤリとする、悪い顔の先輩。

 瓶底眼鏡の位置を直す先輩。驚いて目を見開く先輩。恥ずかしがって頬を赤らめながら睨んでくる先輩。ロボットの設計図を書くときの真剣な先輩。爆発に巻きこまれて煤だらけになってもなお、生き生きとした先輩。


 海風を浴びる先輩。


 僕の大切な……


「くっ……うっ……」


 自分に涙を流す機能はないと思っていた。そもそも僕には心はなく、激しい感情に動かされることなど未来永劫ないはずだった。それならば、この涙は何なのか。

 先輩だけだ。

 僕に心をくれた、可愛くて、優しい先輩。

 先輩だけが僕の感情を動かしてくれた。

 今更になって気づいた。僕は先輩といるときだけは、楽しくなれたし、ドキドキできたし、ほわほわと幸せな気持ちになれた。そしていま、先輩のことでこうして深く悲しんでいる。

 僕は人間らしくなれたんだ。

 無意味で無価値だったはずの僕に、先輩が人間性をくれた。

 僕にとって先輩は、一緒にいると楽しくなれて、離れてしまうと寂しくなる、特別な人だったんだ。

 なのに僕は、その恩人ひとり守れない。

 何のお返しもできなかった。

 僕は無力な鉄屑で……

 そう自虐したところで、何の意味もなかった。

 僕は無意味な存在に戻っていた。


「……先輩……」


 あとからあとから涙が溢れて止まらない。先輩こそ幸せになるべき人だった。幸せへの道を、先輩らしく飛んだり跳ねたりして、走り続けてほしかった。そして、できることなら、傍らに僕をいさせてほしかった。

 先輩と一緒にいたかった。

 体育祭で。

 放課後の帰り道で。

 この部室で――――


「ここです」


 部室の扉が開いて、女子の声がした。


「ここがロボット研究部の部室。あんなだったあなたが部室もわからなくなるなんて……。記憶が……っていうのは本当みたいね……」

「ええ……はい。覚えている部分もあるんですが……」

「そう……。なんというか……、困ったことがあったらまた頼ってください。わたしは生徒会長ですから」

「はい……。ありがとう……」

「じゃあわたし、生徒会室に戻るから。気軽に来てくださいね」


 五十嵐生徒会長が部室の前から去っていくと、ひとりの女子が入ってきた。

 白衣ではなく、秋めいた私服で、瓶底眼鏡はかけていなくて、表情も薄かったけれど。

 彼女は、神宮寺芽露先輩だった。


「きみは……確か、志摩くん……?」

「せ……先輩」


 ほうけていた僕は慌てて目元をぬぐい、表情を直してから訊ねる。


「どうしてここに? 学校は休んでいたんじゃ……」

「ああ……それなんだが……自分でもわからなくて……。ただ……」


 先輩は部室の奥の小さな窓に向かって、ゆっくり歩いていく。


「気がかりがあって……」

「気がかり?」

「うん……。何か、大事なものをこの部屋に忘れてきたような……気がして……。いてもたってもいられず、こっそり家を抜け出してきてしまった……」


 窓に手を当てる先輩。夕日はほとんど入らないが、そうして近づけば、先輩の全身がオレンジ色に染まる。


「大事なもの、というのが何かは……わからない……。志摩くんだろうかとも思ったが……半分合っていて、半分違う気もする……。……なあ、志摩くん。わがはいの……大事なものというのが何か……見当がついたら、教えてほしい……」

「それは」


 夕焼けに包まれた先輩を、滲んだ視界の真ん中に捉える。


「それはきっと、ロボ研です」

「ロボ研……」

「あるいは、次々々世代型アンドロイド・イヴちゃんです。あるいは、ロボット製作という創作活動そのものです。もっといえば、その『大事なもの』とは、ロボット製作の過程で先輩が得た達成感や多幸感や、……感動です」

「……志摩くん? 泣いているのか……?」

「はい。泣いています。でもこれは、嬉し涙です」


 僕はゆっくりと踏み出して、先輩のいる陽だまりへと歩く。


「先輩。忘れてしまった大事なものを、どうしたいですか?」

「……それは、たぶん……とりもどしたい、のだと、思う。なんだか、いま……志摩くんの言葉を聞いて……胸が、ぎゅうっとなったから……」

「その胸の、ぎゅうっ、はきっと、さみしさです」

「さみしさ……」

「先輩は少し前まで、感情豊かな人でした。胸をぎゅうっとさせたり、すかっとさせたり、ほわほわとさせたり、たくさんのそういう感覚を味わっていたはずなんです」

「……ほわほわ……」

「取り戻す方法があります」


 僕はばかだ。

 どうして気がつかなかったんだろう。

 感情の動きが鈍かった僕を、先輩は変えた。僕は先輩のおかげで変われたじゃないか。

 


「僕が先輩を感動させてみせます」


 僕は先輩と一緒に、夕日に照らされる位置に立った。ここなら先輩の目がよく見える。いまでこそ眠たげに半分閉じられたようになっているけれど、僕は知っている。

 いつだって先輩は、見開いた目に広大な世界を映していた。


 先輩のなかの世界に魅了されて、僕は人間になったんだ。


 諦めるのはまだ早い。

 いまがお返しをするときだ。


〝誰もが感情を動かすことのできる才能を持っている〟

〝感動を知りたいのなら、誰かを感動させることだよ〟

〝ロボット製作は人を感動させることができる、すごいものづくりなんだ〟


 ぜんぶ、先輩が教えてくれた。


「完成させましょう。次々々世代型アンドロイド・イヴちゃんを」

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