第8話 ロボケン・デート!? ~第三の*-r’。-゚+
まだらヶ浜の海岸に人はまばらだった。十月の涼風が太平洋の端っこにさざなみを打たせている。空は晴れていた。秋の青空の下、舗装された海岸沿いをぼくと芽露先輩は歩く。
海風が吹きつけて、潮の香りが鼻をくすぐる。岬のように突き出た道が向こうにあるので、なんとなくそこを目指している。消波ブロックに打ちつける波の音が涼しげだった。
「海は夏休みに家族と来た時以来だな!」
「毎年来るんですか?」
「来る。お母さんの実家が海辺の町なのだ」
「そうなんですね」
「あと姉さんが海好きで、よくダイビングをやっていた。わがはいは泳げないので見ているだけだったが……」
「先輩、お姉さんがいるんですか」
「そういえば言ってなかったっけな。四つ離れた姉がいる。……。……仲良しというほどではなかったが、それなりに話す仲だった。アメリカの企業に就職してしまってから、もうずいぶん会っていない」
「アメリカ……」
ふとよぎるあのニュース。いまのアメリカは、危険だ。いや、アメリカだけではない……
「ああ、姉さんは無事だよ。このまえ連絡をとったら、安全な場所にいるから心配しないでと言っていた。海外はすごいことになっているようだな。ロシアでも中国でもヨーロッパでも、なにかおかしいことが起こっている。国土が消滅した国はアメリカだけではないという話だったが……どうしていまになってテレビは話題にしなくなったのだろう……」
「先輩も、不安ですか……?」
僕が訊ねると、先輩は瓶底眼鏡の奥で目を細めた。
「不安だぜ? けど、漠然としている。対処のしようがないものを不安がるよりも、日々をハチャメチャに生きていた方が楽しいだろ。だからあんま気にしてない」
「先輩すごい……」
「ふふん。……そうだな。おまえの心についても、おまえ自身は欠陥だとか不具合だとか思っているみたいだが、わがはいに言わせれば、そんなのは気にすることではない」
「そう……なんですか?」
「おまえは感動すべき場面で感動ができないと自分では思っている」
先輩が白衣の裾を引きずりながら、てくてくと歩いている。いつも早歩きな先輩だが、いまはゆっくりだ。僕のペースに合わせてくれているのかもしれない。
「しかしおまえは成長しているよ」
「成長……?」
「おまえと半年一緒にいてみた所感だが、おまえは確かに表情が薄かったりいやに冷静だったりする。その一方で、きちんと『楽しいです』とか『嫌なんですが』とか、かっ……『可愛いです』とか……言うだろ! 言うってことはだ。おまえは無感情な人間ではないし、感情は少しずつ豊かになってきている」
「そうなんでしょうか」
「おまえにはとても人間味がある」
「えっ?」
人間味。人間らしいあたたかみ。
「そういうの、僕とは縁遠い言葉だと思ってました。僕は感動ができない。だから僕は人間らしくない……」
そう、僕は人間らしくない。
とてもしっくりきた。そもそも感動ができないことの何が問題なのか。それは人間らしい心を持ちたいのに持てていないから。
みんなみたいに、楽しいときに笑いたい。悲しいときに泣きたい。そういったことができないから、人間らしくないから、苦しんでいる。
僕を説明するときに最もふさわしい言葉だと思った。
しかし先輩は「何言ってんだ」と口を尖らす。
「おまえはわがはいと今日ここまで遊んできて、わがはいと一緒にいることが楽しいって言ってくれたじゃんか。ウソだったのか?」
「それは嘘じゃないです。でもそういうことじゃなくて。今のままじゃ、楽しめる対象も楽しめたときの振れ幅も、狭すぎるんです」
「そうかー? まあそうだとしてもだ。おまえは人間らしい欲求を持ってるだろ」
「欲がないって言われますけど……」
「『感動がしたい』……これも立派な欲だが?」
はっとした。
先輩はいま、僕にとって大切になるであろう話をしようとしている、そんな予感がした。
「わがはいは負けず嫌いだ。勉強でも、スポーツでも、ゲームでも絶対に負けたくない。だけど幼い頃から何度も何度もわがはいを負かし続ける人がいた」
岬に足を踏み入れる。水平線に向かって僕らは歩いた。
「それは姉さんだ。姉さんはすごく優秀な人で……わがはいの理想だった。姉さんは優しかったが、手加減をしないことが優しさだと知っている人だったから、わがはいに何か勝負を挑まれても全力で臨んでいた。それに、姉さんはそこにいるだけでわがはいを超えている。頭脳も、運動神経も、センスも、すべてがずば抜けていて、わがはいなどとは格が違っていた」
ひんやりとした海風は僕と先輩の体で割れ、背後でふたたびつながり流れていく。
「敗北を自覚するたび、わがはいの自信は幾度も砕け散った……しかしわがはいは、わがはいを負かす姉さんに支えられてもいた。なぜなのか? 理想を体現してくれる姉さんが憧れだから? それもある。だがもっと深いところに理由はあった。姉さんは、わがはいに生きる原動力をくれた人だからだ」
「生きる、原動力」
「負けず嫌いのわがはいは、最初から勝ち続けたらどうなっていただろうか? もしもわがはいが有能で、姉さんが不甲斐なかったら……わがはいはかえってくすぶっていたかもしれない。幼い頃の体験は原動力となる。弱いわがはいは、強い姉さんに勝ちたかった。だからわがはいは、なにかに勝ちたいと望んだときに体の内側から力が出るようになった。わがはいは、弱さという欠落があったからこそ、強さを求めて生きることができるようになったんだ。……そのことに気づいたときからずっと思っていることがある。いいか、志摩。よく聞けよ」
「おまえには感動する心が欠けているかもしれない。だが、何かが欠けているのは人としての前提だ」
「そして欠けているものを追い求めることは、生きる力につながっていく」
「自分の心の欠落を埋めるために生きること。それこそが、何よりも人間らしい営みである」
「だから、志摩。」
「おまえは誰よりも、人間らしいよ」
◇◇◇
僕が僕として起動したときのことを思い返していた。
ひげもじゃな父さんと、ロボットな母さんが僕の顔を上から覗き込んでいた。
僕はゆっくり起き上がって、腕の感覚を確かめるように手を握っては開いた。
困惑した。
体はこんなにも確かなのに、体と脳を動かすための指令系統がおぼつかない。
まるで、体が空洞になっていて、そのすかすかを寒々しい風が通り抜けているような気がした。
そうか。
僕はあのとき、自分には生きる原動力がないと思っていたんだ。
「私はこれから何をすればよろしいでしょうか」僕は訊ねた。
「何でもしていいし、何でもできる」父さんは言った。
「理解ができません」僕は目をしばたたいた。
「きっと 見つかるわ」母さんは言った。
父さんと母さんは僕という存在の初期設定を捨てさせ、代わりに欠落を与えた。
初期設定すなわち存在理由が消えたことで、僕は自分が無価値になったと思っていた。
だけど、その欠落こそが、僕を生かしていたのか。
ようやく気づけた。
そして気づかせてくれたのは。
「……先輩!」
まだらヶ浜の海岸。
岬の果てに向かって歩く芽露先輩を呼び止める。
間延びした「んー?」という返事を寄越して、先輩が振り返る。二つ結びの黒髪が揺れる。白衣がはためく。
〝僕は人間ではない〟
「ぼ……僕は……」
〝人間ではない僕には心がない〟
「僕……は……!」
〝心がない僕は無意味で無価値〟
「僕は!」
先輩のそばにずっといたい。
僕を人間にしてくれた、先輩のそばに。
そういう意味の言葉を、形にならないままだけれど、言おうとしていた気がする。
でも、かき消されてしまった。
僕のなかで鳴り響く爆音のアラートに。
それは終わりを告げる弔鐘だった。
「……!?」
空を見上げる。
少し遅れて、空が裂けた。
そう、裂けたとしか言い様がない。なにもない空間がひび割れて、裂け目が現れ、その中から降りてくるものがある。
幾何学模様の物体が時空を震動させながら降りてくる。
降臨だ。
僕はそれが降臨する瞬間に何が起こるかを知っている。
地面を蹴る。
走って、先輩の手をとった。
先輩は何が起こっているのかわからないまま空を仰いでいる。
説明の時間はない。そもそも説明ができない。
それでもとにかく一刻も早くここから離れなくてはならない。
叫ぶ。
「先輩! 僕のこの手を離さな
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――――
その日。
まだらヶ浜周辺は消滅した。
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