第7話 彼女が見たもの

 私は、大学の授業を終えて、帰宅する準備をしていた。


理愛華りえか〜、帰り際にどっか寄ってく?」


 私────高槻理愛華────の名前を、友人のゆいが呼んでいる。


「多分大丈夫だよ。ちょっと待って」


 私は携帯を取り出し、何か通知が来てないかを確認する。いくつか来ていた通知の中に、勝幸のメッセージを見つけた。


(あっ、勝幸から何か来てる〜‼︎…………んだけど……)


 けど…………おかしい。やけに長文だ。

 パスコードを入力し、アプリを開き、トークルームを見る。

 開いた瞬間、勝幸からのズラッと並んだ文字列が私の目を引き寄せた。


ーー

問題を抱えちまった

昨日競馬帰りに公園通ってたら、ベンチに高校生程度の年齢の女の子がいてさ、体調崩してたから止むを得ず家に連れて帰ったんだ

一応今俺が看病中なんだが

その子、色々とあって家出していたらしくて、俺もどうするか困ってんだよね……

警察沙汰にはしたくないけど、男1人じゃ対処しようがないのよ

スマンが女子がいてくれた方が楽だから手伝ってくれ‼︎

ーー


 おかしい。

 それが私の第一の感想だった。

 いつもは顔文字やアスキーアートや漫画のコマを使用して会話する事が多い勝幸なのに。突然こんな文字だけの長いメッセージを送るなんて…………

 流星とかが悪戯いたずらでもしたのかな?

 いや、他人に携帯をいじられるのを嫌う勝幸が、まさかこんな事を許す訳がない。もしも勝手に使われてても、取り戻した後にその旨を告げるメッセージを言うはずだ。

 ならば……


 その瞬間、私は事の重大さと信じられない事実を予感した。


「どうした〜、また彼氏との話?」

「あ、えーと、そうね……」


 女の子を拾った?今、看病中?つまり勝幸の家にいるって事?

 身体から変な汗が噴き出すような感じがする。思考回路が絡まり始める。

 一旦、空気を入れ替えよう。

 結も不思議そうに様子を見ている。


「悪いんだけど、ちょっと待って」


 結は言葉なく、私に頷いてくれた。

 状況を整理しないと。

 家出した女の子が公園にいて、勝幸はそれを助けた。それで、その子は体調を崩していたから、今看病している。だけど1人じゃキツいから、私に助け舟を求めている。

 ざっとこんな感じかな………………


 うん………………


「断れない用事が出来たごめん‼︎」

「あ〜、うん……えっと、またね…………ってもう行っちゃった……」


 行かなくては‼︎‼︎



≪≫


 速攻でバス停に向かう。

 車を呼んでも良かったけど、間違いなく電車の方が早い。

 バスは数分で渋谷に着いた。

 コンコースの中を人をかわしながら急いで移動する。額に手を触れると、既に僅かに濡れている。

 次の電車の時刻を確認する為、頭を上に向けた瞬間、思わず私は立ち止まった。


(え⁉︎湘南新宿ラインが遅延⁉︎)


 しまった……どうしようか。

 最速ルートを封じ込められた。


(山手線は混んでるから嫌だし……後は……‼︎)


 拳を握りしめて、私は別の方向へ歩き出す。

 午前で学校は終わりだった為、今は13時ちょっと前。

 いくら渋谷と言えど、平日の昼間の構内は隙間が沢山あった。そこをスルスルとかわして、私は別の路線の改札を目指した。



 東横線の急行に乗り込み、座席で汗を拭う。

 私は目線を天井に向ける。ふと、小さな溜息が出た。


(そう言えば、何で急いでるんだろう)


 体が落ち着くと同時に冷静になる。

 メッセージでは、勝幸は『急いで』なんて類いの単語は1つも発してなかった。

 考えて見れば、逃げるものじゃないんだし、結の誘いを断ってまですぐに行く必要性があるかと言えば、そうでもない。気が向いたら様子を見に行けばいい話じゃない。

 だって、勝幸が家で女の子と2人きりでいるだけなんだし…………


 うん………………


 それって急がないとやばいじゃん‼︎‼︎



 私は始点から終点まで、約25kmを座り続けていた。

 勝幸にメッセージを返そうしたけど、何て反応したら良いのか分からない。結局、既読が付いたまま放置プレイしてしまっている状態だ。ごめん、勝幸…………


「えっと、次は……京浜東北線」


 横浜に着いた私はJRのホームに上がり、青いラインの電車に乗り込んだ。

 数駅の間、シートの上で揺られる。


 その間、私は勝幸といる女の子の事を考えていた。

 家出するって、どんな感じなんだろう。今までどの様に生き、どの様な経緯いきさつで家を出るまでに至ったんだろう。出てから1人でどうやって、何をしていて勝幸と出会ったのだろう。

 私の家柄ではまず家出などしないので、そんな事は想像もつかない。それに、周りにそんな経験をした人もいなかった。

 だから、その子に会いたい気もするし、でも何だか会いたくない気もする。


(…………駅で何か土産物買って、持って来れば良かったかも)


 そう思いながら、私は再び天井を見た。



 私は駅を出た。

 真上にあった太陽が、僅かに西に傾いている。秋にも関わらず、強い日差しが私の目を細めさせる。

 小走りで目的地に向かう。下校途中の小さな子供が、大きな、ゆっくりとした声で話す声が耳にささる。しかし、その声も頭からすぐに通り抜けてしまう。

 片側1車線のインターセクションを曲がって、小さな道へ入ってすぐの場所、目的地のマンションへ辿り着いた。

 エントランスで303を押す。勝幸の家にはよく行ってるせいか、番号を押すのがとても速くなった。

 数秒の呼び出し音が鳴った後、自動ドアが開く。

 勝幸は、どんな顔をして解錠のボタンを開けたのだろうか。どんな顔をして待ってるのだろうか。私を頼りにしてくれてたなら、嬉しい。

 階段を1段飛ばしで上がり、3階へ。

 到達した私は、玄関を勢いよく開ける。気付けば、額には汗が浮かび呼吸数も多かった。



 玄関に、愛する人がやって来る。


「…………話を……聞かせて」

「理愛華………………何で息切らしてんだよ」


 汗を拭う私を見る彼の表情は、まさに呆れ顔とでも言うべく苦笑を浮かべていた。

 こんな時でも、少し長めでボサっとした髪が包む、優しさと強さが同居した顔立ちが格好良く見える。

 まぁ入りな、と言われるままに、私はリビングへ足を運んだ。


「お邪魔しまぁす……」


 口元から零れる程度の大きさで挨拶をした。


 入って右手の部屋を見る。

 部屋の境をなす引き込み戸は全て仕舞しまわれており、その向こうに1つ、布団が敷かれていた。

 その上で、上半身を起こしてこちらを見ている一人の少女がいる。

 まだあどけなさの残る顔立ちに、(体調がまだ良くないからか)頬の赤さが、高校生程度のよわいとは思えない程の幼さを見せている。

 対照的に、水入りのコップを持っている手は小ささを感じさせず、むしろ細めなフォルムを描くそれは品すらも感じさせる。


「こいつが言ってた子でさ」


 そう言うと勝幸は布団の横に座った。

 私も隣に座って、その子に話し掛ける。


「……えっと、名前聞かせて貰ってもいいかな?」

「中津川風葉、です……」

「かざは、ね…………あ、高槻理愛華って言うの」


 胸に手を当てて、当たり障りのない調子で名乗る。

 近づいて見ると、失礼だけど、綺麗とは言いがたい顔だった。

 疲れた様な目の周りに、乾燥して荒れた唇。

 勝幸が"連れて帰った"時より前に、何かあったのかも。

 ふと、彼女は小さく口を開く。


「2人はどういう………………」

「う〜ん、勝幸にとって私は"これ"かな」


 風葉の質問に対し、私は小指を立てた。

 すると、彼女は両手で口元を隠すようにする。


「へ、へぇ〜…………」

「取り敢えず、勝幸と親密な人間って事だから」

「あ……はい」


 そう相槌あいづちを打って、私の方に向き直る。

 最初は反応に困ってた感じだったが、一度言葉を交わして私の事を大丈夫な人間だと判断したのか、それとも人に警戒しないタイプなのかは分からないけど、その子は小さく微笑みを見せて私に顔を近づける。


「それじゃ、宜しくお願いします、えっと……理愛姉りえねえ

「姉って………………」


 私は勝幸の方を見る。

 一瞬目が合ったかと思えば、気不味きまずそうに目を逸らして頭を掻いている。


 察した。


「あんたねぇ…………」

「………………」


 彼は申し訳なさそうに苦笑を浮かべている。

 全く……

 私は呆れ顔で鼻から息を吐き出すと、笑顔を戻して、その少女の肩に手を掛けた。


「まぁ、宜しくね。風葉」


 風葉は、明るく笑った。



≪≫


 彼女は私に話してくれた。

 親の事、学校の事、そして家出の事。

 でも、難しい話だと思う。

 私の場合も、『一家の恥にならないように』と、そこそこの圧力を受けて勉強をしていたが、私は抗わなかった。むしろ、それが当然だと思っていた。

 逆に、この少女は親に言われてやるのが嫌いなタイプなのだろう。知識を身につける為に、誰にも干渉されずに自分から勉強する事で、大きく伸びるタイプだと私は推測した。

 もしそうなら、"テストで点を取る為"に"強制させる"ような学習をさせたこの子の親の失敗でもある。

 きっと、親御さん自身がそうして学習して来たんだろう。そうして成功した人は沢山いる。

 現に、私はそうして勉強して来たからこそ、MARCHと呼ばれる東京の上位の私学へ進めた。


 だから、客観的に見ればどちらが悪いとは言えない。

 自ずから学ぶ事をせずに自堕落じだらくに生きた風葉にも、子供への理解を足りずに圧力をかけ続けた両親にも過失はある。

 両親が理解してあげれば、風葉が自分から動けば…………もっと違う未来が待ってたかもしれない。

 現に、親の理解と自主的な学習があったからこそ、"地頭は平凡"と称しながらも偏差値65前後の難関国立に受かった人が隣にいる。


 勝幸がそうだった。

 自ら苦手な教科を克服して、得意教科を磨いて成功した姿を、私は見て来た。

 姉と弟を持つ次女であったため、『普通の自由な暮らしをさせてあげたい』という親の願望の下、私はそこそこの進学実績がある公立高校に通っていた。

 そこにいたのは、自分の意志でペンを握る人達。その中でも、一番"やる時はやる"でメリハリをつけていたのが、勝幸だった。

 そんな彼の姿を見て来たからか、どっちもどっちに感じる。


 でも、そっちの方が都合が良い。

 互いに非を認めて和解する事が出来る。そうすれば勝幸の出番もなくなる。再び頼って来る可能性は否めないけど、暫くは落ち着いた生活に戻れる。

 その為に私が動かなければ。

 その為に呼ばれた。勝幸が信用して呼んでくれた。

 だからこそ、客観的に状況を飲み込んで適切な対処をすべきだ。

 私は少しの間考えて、1つの結論へと辿り着いた。


 明日、3人で直接親御さんの下へ行って、しっかりと話し合おう。

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