第5話 少女が打ち明けた履歴 前編

 そして夜が明け、新たな一日の幕が開かれた。


「う……んんっ…………」


 俺はソファの上で目が覚めた。

 髪を掻きながら上半身を起こすと、カーテンのはしからは柔らかな白が漏れている。時計を見たら、既に10時近くだった。

 自分には、お疲れだったり眠かったりしたらソファに倒れる癖があるせいか、ソファに寝ると何だか変な姿勢で寝落ちしてしまったように感じて、あまりスッキリしない気分だ。

 もしくは、こんな時間まで一度も目が覚めずにいたから、本当に疲れが溜まってて、まだ抜けていないのかもしれない。

 何せ、昨日は公園のベンチで見つけた、訳アリの少女を家に連れて来たのだから。


(あいつはまだ寝てるか…………)


 その訳アリの少女、中津川風葉は、布団の中でスヤスヤと寝ている。澄んでてあどけない、子供の表情だ。

 俺は立ち上がり、顔を洗いに向かう。戻って来たら、彼女の布団の横に座った。


 この少女に一体何が起こっているのだろうか。俺は何をしてやれるのだろうか。

 そんな考えを巡らすが、分からない。

 俺は風葉から何も聞いてないから。なら、話を聞かなくてはいけない。

 しかし、まずはこの子が起きてくれない事には…………


「う……んぐぐ…………」


 起きた。


「…………あれ、おはよう。えっと……勝兄かつにい

「やぁ、新たな一日の始まりに、朝の挨拶あいさつ、すなわち『おはよう』という言葉を、君にささやかながら送らせて頂こう」

「何そのラウンドアバウトな表現」



 ≪≫


 朝飯だ。

 俺はパンに卵料理やらを適当に作って食べる事が多いが、今は体調のよろしくない女の子が1人いる。

 学校もバイトも休むって決めたので、少し時間はかかるが消化の良いものを作ってやろう。そう考えて、俺は米と卵、そして味付けの調味料を用意した。

 暫く経って、朝食が完成した。俺は鍋をちゃぶ台に持って行く。美味しそうな匂いと湯気が、鍋を運ぶ俺を包む。


「ほれ、卵粥たまごがゆが出来たぞ」

「ありがとう」


 風葉はそう言って、カップとフタを捨てる。

 丁度、俺が自分用に幾つか買っていたけど、風葉にあげたプリンを食べ終えたみたいだ。


「あ〜良い匂いがする〜……んじゃ、いただきます」

「俺も。いただきます」

「………………ん、美味しいよ」

「なら良かった」


 素直に嬉しい。

 俺は自由な時間が多い上に、そこそこ料理は得意なだけあって、食事は自分で作る事も多い。けれど、こうやって人に振る舞うのは殆どない事だし、勿論美味しいって言われた事も殆どなかった。

 ふと、しみじみとした調子で風葉が口を開く。


「身体が良くなったら、今度はウチが勝兄に作ってあげたいな」

「料理、得意なのか?」

「まぁね。あまり取り柄のないウチが、自身を持って得意と言えるもの」


 そうなのか。

 でも、取り柄がないとはどういう事なのか。その自虐に、何か含みを感じた。


「取り柄がないって……何でそんな事言えるんだ?」

「ウチは……根性が無いし、他人に頼りがちだし。運動能力は平均だし、学力なんて………………酷すぎるし」


 風葉の言葉は、最後が非常に重い言い方だった。学力にコンプレックスを抱いているのだろうか。例えば、テストで追試ばかりとか…………

 追試、か………………


 ふと、そこまで考えて、俺は1つの疑問が脳内を駆け巡った。


「おい……お前、学校は………………」


 震えた声が自分の喉から吐き出る。

 昨日も今日も平日だ。学生である年齢なのだから、本来はあんな所にいるもんじゃない。

 風葉が固まった。うつむいて、表情は更に暗くなり、唇をキュッと結んでいる。

 その変化を俺は見逃さない。

 決断した。

 いっそ、ここで畳み掛ける方がいいな。

 俺はそんな風葉に、優しさと厳しさのあいまった表情で尋ねる。



「教えてくれ、今までの事を」



 暫くの沈黙が続く。気不味きまずい。

 いくら聞きたいとは言え、真剣になり過ぎたかもしれない。

 場の緊張に耐えきれず、すぐそばの牛乳パックに手を伸ばす。

 コップに注ぎ、飲もうとした瞬間。


「分かった。教える。どうしてあんな所にいたか」


 沈黙を破って、風葉は履歴をつむいでいった。


 〜


 ウチの両親は、優秀だった。

 父は旧帝一工に次ぐレベルの偏差値の大学を出ているし、母も東京の難関私立に通っていた。

 必然的に、ウチもエリートとして育て上げられる立場だった。

 でも、ウチは勉強が嫌だった……いや、勉強は嫌いじゃない。どちらかと言えばテストが嫌だった。

 必ず誰かと比べられる。数値で優劣が明らかにされるから、逆らいようがない。

 更に、全国首位でもなければ、上には上がいる事を痛感する。根性のないウチは、消えないハードルに失望し、得意教科にもプライドを持てなくなった。

 その為、学校で1番大切なのは、行く事だと思うようになった。だから、勉強はそんなにしなかった。でも、殆ど休まずに通い、義務教育の9年間は充実した生活を送っていた。


 変わったのは受験からだった。

 ウチは、志望校に落ちた。


 受験期は、何度も親の『勉強しなさい』の声を聞いた。

 確かに、勉強をなまけ過ぎたかもしれない。でも、精神的に強制された勉強は必要ないと考えていたウチは、1日1時間程しか勉強せず、3時間を超える日は滅多になかった。

 テストでは殆どが平均点の前後。受験したのも、中堅の中でもちょっと上であるだけの高校。

 結果、落ちた。

 親は、最早怒る事は無かった。呆れ顔で、『残念だね』の一言。

 悪いのは自分だという事は分かっている。

 友達を見れば、覚悟の違いは明白だった。

 合格という1つの壁に噛み付いて、楽しみを削って、あるかも分からない未来の為に努力を続ける人を見て、私は頑張りました、なんて言えるだろうか。

 たいして努力してない自分が、夢破れて涙を浮かべる人に、残念だったね、なんて偉そうに言えるだろうか。

 答えは言うまでもない。


 こうして、ウチの中学時代は幕引きの時を迎えた。

 頑張った皆の側で、自分だけが音を立てずに壁から落ちた。


 ウチは、底辺とは言わないまでも、かなりレベルの低い高校へ進んだ。

 集まった人も、中学と比べて低脳が多かった。

 何の長所も見つからない唯のイキリ。SNSでの主張がうるさいイタイ女子。話が通じ合わない根暗男子。

 言い方が悪いが、所詮はこの程度の人間ばかりだった。

 最初のテストも、中学時代と変わらない勉強量で学年1桁の順位だった。でも、不思議と優越感は無かった。その時点で、ウチはその学校に失望していたんだと思う。


 2学期始めのテストを終えた辺りから、ウチは行く事が大事だと主張していた学校に行かなくなり、ついには退学届に名前を書いた。

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