24話〜《【堕天使】召喚》〜

「……ふぇ?」


 ティルテに剣を向けられた神父は間抜けな表情を見せながら、間抜けそうな声を絞り出す。

目の前の光景が理解できないと言った表情だった。


「キメラ、マンティコア……。こいつを早く殺しなさい」


 神父は首を斬られて動かない二匹の魔物に向けて指示を出す。しかしその声には怒りなどはなく、信じられないと言った顔をしていた。


「【無視をするな。お前には質問があるから生かしているだけだ】」


 テォルテは剣の刃を神父の首筋に当てる。ゆっくりと撫でるとタラリと血が流れる。


「ひぃっ!? キメラとマンティコアは!? ……なぜ!? なぜなぜなぜ!?」


 自分の血を視界に捉える事で、神父は初めて己が置かれた状況を理解する。

 しかしなぜそうなったのか、先ほどまでの優勢だったキメラ・マンティコアの連携パーティ。それに対して急激に強さが増し、そして瞬殺して見せたティルテの力に対する疑問が溢れ出る。


「【答える義理があると思うか? 悪いが時間がないんでな。俺の質問にだけ答えーー】」


「ふんっ!」


 ティルテが喋っている途中で、先ほどまで気配を消していた坊主頭の男が突如現れ、ティルテに向けて拳撃を放つ。


「【邪魔をするな。お前程度なら普通の状態でも殺せる力はあった。俺の慈悲に感謝しておけ】」


「そいつは事実なのはよく分かってる。でもわりぃが、うちの神父から離れてくれねぇか? そんなんでも俺の命の恩人なんでな」


 彼はティルテに真剣な表情でお願いする。彼がまだ幼い孤児だった頃、目の前にいる神父と出会っていなければ彼は死んでいた。

 それから彼は神父に付き従うようになった。例えその行為が犯罪だとしても。


「【断る】」


「そうかい、ならっ、これでも食らえっ!」


 ティルテはすぐに断った。坊主頭の男はその回答を予想していたようで、とてつもない速さで一切の無駄な動きをせずに拳を突き出す。


「【遅すぎるな】」


 ティルテは坊主頭の男の拳が届く前に逆に間合いを詰め、その拳を関節部分辺りから斬り離す。その後彼が腕を切られた痛みを感じるよりも早くに、首を斬り落とした。


「【……お前の忠義だけは評価に値する。安らかに眠れ】」


 ティルテは自らが斬り落とした男に敬意を称するように呟いた。


「【……さて、それじゃあお前に質問ーー】」


「よくも……やってくれましたね……!」


 ティルテが改めて新婦に尋ねようとしたところ、神父は怒りの形相で拳を握り、血が垂れていた。彼にも人の心はあったのだと、ティルテは認識を改めた。


「【街の人々を皆殺しにしようとしたんだ。その代償を命で償ってもらっただけの話。お前は俺に情報を吐いてもらう。その後、街で拷問にでも掛けられて死ぬだろうな】」


 しかし慈悲などは微塵も感じない。共に過ごしたみんなを、シーナたちを傷つける可能性のあるこいつはいかしてはおけないからだ。


「ふふ……ふふふふっ、そんなことさせるわけないでしょう! もう良いです! 街の人々を皆殺しにしても私がいなければ意味が無い。そう思ったましたが……」


 神父がロザリオに手を伸ばし、己の魔力を残さず全て込めていく。神父から溢れ出る、黒く禍々しい魔力がロザリオへと吸収されていく。


「私の命をも代償にします!」


「【……お前、まさか……】」


 神父の言葉を聞き、ティルテが驚愕に心を揺らし、すぐにその行動を止めに入ろうとする。


「私を殺したとしてももう止まりませんよ! ……はい、あなたの想像通り、私が長年貯めた魔力と私自身を生贄に、【堕天使】を召喚するのです! ……この魔力は本来、【堕天使】が復活した時に力を取り戻させるための魔力でした。それに私自身が【堕天使】のご尊顔を直接拝謁するためにと生きていましたが……それが叶わないのなら自分自身を生贄にするだけです! 魔力が少なかろうと【堕天使】は立派な邪神の眷属! 人間だろうと亜人だろうとなんだろうと、人の身であるあなたには絶対に勝てないでしょう!」


 しかし、神父はイキイキとした表情で、しかし本当に悔しそうに叫ぶ。ティルテはそれを覚めた目つきで見ていた。


(【つまり、街の人々を殺そうとしたのは自分の欲を満たすため……だ? ふざけてやがる……!】)


「【……そうか。……やってみろよ】」


 ティルテは吐き捨てるように、声のトーンを一切変えずに言う。その言葉には怒りが含まれていた。

 しかしそれ以上にティルテの言葉に含まれていたのは、神父に対する無関心だ。

 既にティルテの関心は、召喚される【堕天使】にのみ向いていた。


「言われなくとも! 我が魔力ごと持って行きなさい! ……《【堕天使】召喚》!」


 そのティルテの態度に、《【堕天使】召喚》の魔術を唱えるのに必死な神父は気づかない。

 ロザリオに溜められた魔力が溢れ出て、禍々しい黒と紫色で構成された魔法陣を創っていく。


(【……さて、誰が来る……?】)


 魔法陣から吹き荒れる、まるで嵐のような突風がティルテに襲いかかる。ティルテはそれを魔術で塞ぎながら、そんなことを考えていた。


「あがごごごごごっ!?!? ……ごふっ!?」


 突如、神父の体が震えだし、変な声を上げる。目や口、耳などの穴から血が漏れ、地面へとまるで涙のように垂れ落ちていた。

 神父は最後に口から血を吐き出し、身体中の骨をへし折りながら絶命した。


 そして神父の命と引き換えに、魔法陣から現れる【堕天使】をティルテは見つめる。

 全てを飲み込むような黒き髪と瞳、一際目立つ大きな漆黒の翼。また、日焼けとは別のものような色味を帯びた褐色の肌。

 そしてなにより、放たれる明らかに人ではないと感じる禍々しきオーラ。その存在が、今口を開く。


【……人風情が私を召喚するとはな。汝に呼ばれて参ったぞ。さて、汝の目的を聞こう】


 ティルテと同じ……いや、ティルテ以上に無機質さを感じる声で【堕天使】は喋りだす。

 その目は先ほどのティルテ以上に厳しくも、まるで興味のない蟻に向けるような視線だ。

 しかし、その視線の先に映るティルテを見つけた瞬間、【堕天使】の顔は驚愕に染まる。


【え? ……何故あなた様が……? ……いえ、生きておられたのですね……!】


 【堕天使】は顔を笑顔にし、空を舞いながらティルテへと一直線に突撃をかましてくる。ティルテをそれを避けることが出来ず、【堕天使】の思いのままに蹂躙された。


【お久しぶりですっ! お久しぶりですっ!!! 生きて……おられたのですね……!】


 その【堕天使】は高身長ゆえ、ティルテよりも背丈は高かった。故に性別は女性だとしても、その光景を側から見れば女性が襲いかかっている光景にしか見えなかっただろう。

 幸い周りに人はいない。ティルテはしばらく【堕天使】の成すがままにされていた。彼女はティルテのお腹にその豊満な胸を押し当て、自身の頬でティルテの胸に顔を擦り合わせていた。


「【久しぶりだな。早速で悪いが、今はティルテと名乗っている。そう呼んでくれ】」


 ティルテは「もうそろそろ良いだろ」と言いながら彼女を引き離して立ち上がり、【堕天使】である彼女に命令をした。そう、命令をしたのだ。


【はっ……畏まりましたティルテ様】


 【堕天使】は一切の戸惑いを見せず、ティルテに対して片膝をつき頭を下げる。


「【様はいらん。そしてお前の名前は……そうだな、ミリアン・フィールベルンとでも名乗っておけ】」


 ティルテはパパッと服についた汚れは埃を落とし、少し思案をしたのちに【堕天使】にそう命令した。


【はい、畏まりましたティルテ様。それよりもここは人界のはず……。ティルテ様はこちらに逃げていたのですね?】


 ミリアンはまるでメイド、主従関係のような態度を取る。そして彼女はティルテがなぜここにいるかを、ある種の核心を持ったかのような態度で尋ねる。

 その鋭い眼光は、並の冒険者……つまりはゼファー、アリサ以外の人間では震え上がり、まともに目を合わせることも、ましては立つことも出来ないほどの恐怖が襲っていただろう。


「【正確にはあの人のおかげでここに逃げ延びさせられた、の方が正しい。とりあえず今はここで生活している。お前も俺みたいにしろ】」


 ティルテは空を見上げながら、あの人のことを思い出していた。ここに来る前、最後まで自分のそばにいた、まるで自分の兄のような存在だった人を。


【畏まりました】


 ミリアンはティルテの命令に従うように呟く。すると彼女を体を闇が覆う。その正体は彼女の魔力だった。

 そして時間にして僅か3秒ほどが経ち、彼女が再び姿を現す。


「【これでよろしいでしょうか?】」


 ミリアンが小首を傾げながらティルテに尋ねる。彼女の今の姿はティルテとほぼ同じと言えるだろう。

先ほどまであった翼は消滅し、周りのキラキラとした装飾品は消えていた。

 そして服装も先ほどまでの羽衣のような白い服とは違い、至って普通の人が着ている物に変わっていた。しかし……。


「【いや、今の俺と同じではダメだ】」


 彼女からは今のティルテ同様、人ならざる者のオーラがあった。ティルテとしては、本当に人間のようにして欲しかったわけだが、今の己の姿と同じになってしまったのも無理はないだろう。


「……では、こうでしょうか?」


 ミリアンが再び体を魔力の闇で包む。1秒後、彼女は普通の町娘のような可愛さを持ちつつも、年上の色香を纏った淑女の雰囲気を纏わせていた。


「【あぁ。俺も戻る】」


 ティルテはミリアンが戻ったことを確認すると、己もいつもの状態に戻る。先ほどまでの無機質な声はミリアン同様に変わり(戻り)、いつものティルテがそこにはいた。


「さて、ミリアン」


「なんでございましょう」


 2人は人としての姿になると、すぐにティルテが口を開く。


「お前も内心では混乱しているだろう。俺自身も、最初は混乱した。とりあえず俺が知る情報を話す。その代わりにお前も話してもらいたい」


「はい、承りました」


「だが、それは後で良い。今は先にやるべきことがある。それが終わるまで、ミリアンは隠れていろ。お前の存在はいろいろと面倒くさいからな」


 ティルテはミリアンにそう告げる。先ほどからゼファーたちの安否を心配していたからだ。

 すぐにティルテは怯え切って仕掛けてこない魔物たちを無視しながら森の中を突っ切り、『ニンギュル平原』へと向かった。

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