6話〜シーナの正体、そして過去〜

 コンコン!


「お湯をもって来ました」


 扉を叩く音がしたのち、参加声が聞こえた。この店の店長でヴァレットの父親であるケルガーだ。

 ケルガーが扉を開けて、部屋へと入ってくる。体を拭くためのお湯を持ってきたのだ。


「助かる。これがシーナの分の追加の家賃、そして今回の食事代だ」


 ティルテはケルガーからお湯を受け取って床に置き、そう言って今月分のシーナの分の宿代と食事代を手渡す。


「毎度。そっちの嬢ちゃんは兄弟じゃないって聞いたが、まさか犯罪じゃねぇだろうな?」


 ケルガーがシーナの方を見つめながらティルテに尋ねる。ハンナと同じ反応だった。


「違う」


 もちろん違うので、ティルテは即答で否定する。だが、今後もそう考えられる可能性も0では無い。ティルテは憂鬱な気分になりそうだった。


「……てぃ、ティルは、シーナを助けてくれたの」


 ティルテがそう考えていると、シーナがティルテを庇う姿勢を見せた。その目には怯えもあったが、同時にティルテを守るという強い意志も感じられた。


「あ、すまねぇ、責めるわけじゃねぇんだ嬢ちゃん。ちょっとした確認みたいなもんさ。悪かったな」


 するとケルガーは申し訳なさそうに謝りながら部屋を出て行った。


「ティル……だい、じょう、ぶ?」


 シーナが心配した表情でティルテの近くにまで寄って来ながら尋ねる。


「あぁ、全然無事だ。ありがとうな」


 ティルテはそう言いながらシーナの頭を撫でて褒める。シーナ少しだけだが頬が釣り上がっていた。


 部屋の構造は至ってシンプルだ。1箇所窓があり、ベッドが一つ。あとは荷物を置けるように最低限のものしか置いていない。

 だがこの宿は高い分、衣服を収納できる棚も設置してあった。


(とりあえず体を拭くか)


 ティルテはそう考え、服を脱ぎ始める。用意してあった布をお湯につけ、ゴシゴシと体を拭いていく。

その後は今日使った剣の点検、装備の補填、今日買った物資の補充などをした。

 その間、シーナは隣でずっとティルテのする事を見ていた。暇だったのだろうとティルテは考えた。だが、今はそれを解消することはできなかった。


 そしてやるべきことも終わり、ティルテは寝ようと考える。着替えは体を拭いた際にちゃんと済ましてあり、いつの間にかシーナも、今度は自分で着替えていた。


(俺が着替えさせなくても良かったんじゃないか?)


 とティルテは考えるが、シーナが望んだ事をしてあげたんだからまぁ良いか、と結論付けた。

 ティルテはベッドに寝転がる。するとシーナは何も言わずにベッドに入り込み、ティルテの横で眠った。そしてすぐに寝息を立て始めた。


「シーナ、おやすみ」


 そう言いながら寝息を立てるシーナの頭を撫でて、ティルテも目を閉じた。そのまま意識は落ちていった。


***


ピクっ! ガバッ!


 ティルテは突如発生した強大な魔力の持ち主に反応して飛び起きる。しかもその強大な魔力はこの部屋に設置された棚から反応していた。

 即座に剣を持ち、いつでもその存在を斬れる体勢で棚を勢いよく開ける。


「……シーナ?」


「やっ! みないで!」


 そこにいたのはシーナだった。シーナは半分泣きながらティルテの視線に怯えるように体の一部を隠していた。しかしきちんと隠しきれてはおらず、ティルテには丸見えだった。

 頭から生える二本の黒いツノ。背中から生えるコウモリのような小さな黒い翼。お尻の上あたりから生える先っぽが逆ハートの形をした黒い尻尾。


 だが、ティルテが疑問形を口にしたのは見た目の変化だけではないわ

 もう一つ変わったことがある。それは、出会った時から感じていた魔力の大きさがさらに桁違いに大きくなっていたこと。

 ティルテはとっさにベッドを確認するが、当然そこにシーナは存在しなかった。


「シーナ……いや、そう言うことか」


 ティルテは理解した。何故シーナが盗賊に捕まっていた時に一人隔離されていたのか。

 何故見た目年齢に比べて胸だけが異常に発達しているのかを。


「……シーナ、お前……サキュバスだったのか」


「っ!」


 シーナの体がピクっと震え、瞳が大きく開かれる。体がブルブルと震え始める。


 人族以外の、シーナのような存在を纏めて異種族と呼んでいる。彼らはとある理由から人間たちに迫害され、また希少価値が高いので貴族の玩具として高値で裏取引されている例もある。


(怯えている……。異種族のせいで盗賊たちからされたトラウマでもあるのか? それ以前に何かしらあったか……)


「……ティルも……なの?」


 シーナがか細い声でそう呟く。


「ティルも……シーナを1人にするの?」


 シーナがポロポロと涙を流し、鼻を赤くしてティルテに尋ねた。シーナがどうしてこんな風になってしまったのかは分からない。

 だが、ティルテの答えはシーナからこのことを言われる前に決まっている。


「俺はシーナを1人にはしない。絶対にさせない」


 ティルテがシーナの問いにそう答える。その目は真っ直ぐシーナの方を向いていた。


「……でもシーナ、存在しちゃいけない子だって、サキュバスはダメだって言われたよ?」


 またもポロポロと涙を流し始めたシーナ。ティルテはそんなシーナを見て、とっさに抱きしめる。

 ビクリと少しの怯えもあったがそれは一瞬。シーナの涙は止まり、自らティルテの背中へと腕を伸ばしていた。


「そんな事はない。そんな言葉を誰に言われたかは知らない。でも少なくとも、俺はシーナに存在してほしい」


「……でもシーナは大きくなったら、男の人を襲うからダメだって……」


 なおもシーナはそう言って自分の存在を否定する。ティルテはその姿を見て、シーナをこんな風にした奴らに静かに怒りを覚えた。

 シーナのような幼く両親もいない少女が、自分の存在価値を否定されてきたのだ。それも彼女が実際にやったことではない事で。


「なら、シーナは襲わなければ良いだけじゃないか? 俺の師匠はこう言っていた。「強くなりたいなら強くなれば良い。負けたくないなら負けなければ良い」と。こんな考え、普通なら異常だよな? ……でも、確かにその通りなんだ。シーナが人間を襲わなければ、そんな事は言われないぞ?」


 ティルテがそう提案する。その提案の内容は本人も言う通りで異常だ。口で言うのは容易い。

 しかし実際に行動に起こし、そして達成できるかどうかには大きな壁がある。

 それでもティルテはその提案をした。彼はシーナが同じ人から傷つけられ、それでも自分と一緒にいたいと言った意志の強さを信じているから。


「……本当に、人を襲わなかったら言われない?」


 シーナがティルテに確認するように尋ねる。その瞳には微かな希望の光が差仕掛けているように見える。


「あぁ、シーナが人間を襲わなければそんなことを言われるわけがない。……でももし、それでもシーナのことを悪く言う人間がいるなら……」


 ティルテはその機を逃すことなく畳み掛ける。だが、シーナはそれでも信じられないかもしれない、そう考えたティルテはさらに話す。


「……いるなら?」


 シーナが途中で口を閉ざしたティルテの回答を急かすように尋ねた。自分の望む答え、それを必死に聞きたいがために。


「……俺がそいつに、シーナに謝って二度とそんなことを言わないように教育してやろう。だからシーナはいらない子なんかじゃない」


 ティルテはシーナが今一番望む答えを言う。シーナの瞳から大粒の涙がポロポロと流れる。流れているのは先ほどと同じ涙だ。

 しかしその前と意味は全然違う。さっきまでのは悲し泣き。そして今回は、嬉し泣きだった。

 泣きじゃくるシーナの背中を、ティルテは泣き止むまでずっと撫で続けた。


 そしてシーナは泣き止むと、そのまま泣き疲れて眠ってしまった。緊張の糸が切れたのだ。

 そんなシーナをティルテは丁寧にベッドに運び、毛布をかける。

 そしてシーナの小さな手を握りながら、その瞳を閉じた。


***


 ティルテとシーナが出会う三年前。とある街の路地裏に、3人の人影があった。うち二人は成人している大人であった。そして残りの一人は小さく幼き子供であることが分かる。


「シーナ様、絶対に人間に近づいちゃダメですよ」


 大人のうち、女性の方がシーナという名の子供にそう言い聞かせていた。彼女らは亜人、または異種族と呼ばれる存在であり、その中でも汚らわしいと呼ばれるサキュバス族であった。


「シーナ様、私たちから離れないようにしてくださいね」


 もう一人の大人の男もそう告げる。男の方も亜人だった。種族はインキュバス族。サキュバス族と並んで忌み嫌われる種族だった。


 彼らは大人になると、人の生気が自分たちの生きるエネルギー、食事となる。また大変美味であるため、過去に何度も人が死亡する事件が起こっていた。

 また彼らは人間だけではなく、他種族の亜人たちからも生気が取れる。その事実からどの種族からも、全ての人から忌み嫌われる存在となっていった。


「うんっ、ママ! パパ!」


 シーナは二人の大人の言うことに元気よく頷いた。両親と呼ばれた二人の大人は、シーナの天真爛漫の笑顔を見て頬を緩めていた。


***


 ティルテとシーナが出会う三日前。『ニンギュルの森』を3人が歩いていると、十数人の武装した盗賊が現れた。


「シーナ様をお連れして逃げろ!」


「パパ?」


 男性が女性に向けて叫び、女性はシーナを抱えて森の奥深くへと入り込む。シーナは訳がわからないまま、自分の父親と最後の別れを終えた。


「シーナ様、私が絶対に守ってみせますからね?」


「ねぇママ、パパは?」


「パパはちょっと遅れてるんですよ。必ず後で追いついてきますからね」


 女性はシーナを抱えて森を走る。慣れない森の中、シーナは一人いない男性の所在を尋ねる。女性は笑顔を浮かべてシーナに、そして自分に言い聞かせた。


「不味いですね。……シーナ様、いえシーナ。私からの最後のお願いです」


「さいご?」


 女性は真剣な表情で、敬称をつけずにその名前を呼んだ。彼女が本当の母親となった瞬間であり、娘との別れの瞬間でもあった。


「えぇ、隠れんぼです。そこの木の根本に隠れて1日誰からも見つからなかったら、シーナの勝ちです。分かりましたか? 絶対に一日はここから出ないようにしてくださいね?」


 木の根本は子供一人が通れるほどの隙間ができており、女性はそこを指差してシーナに説明をした。


「う、うん。……ねぇママ、そうしたらパパも戻ってきて、また一緒にいれるよね?」


「……えぇ、きっとそうなりますよ。……シーナ、生きてくださいね。幸せに……なっでぐだざい"ね"っ!」


 シーナは女性の服を掴み、疑いの目で尋ねる。女性は唾をゴクリと飲み込み、笑顔でシーナの頭を撫でながらそう言う。

 そして背中へと手を伸ばし、ギュッと抱きしめて涙を堪えながら、嗚咽混じりの声で言った。


「ママ……」


 そしてシーナと先ほど逃げてきた道へと戻っていった。その背中を、シーナは見えなくなるまで見続けていた。

 そして1日が経ち、二人は帰ってこなかった。数時間後、草をかき分ける音がした。


「……ママ?」


 シーナが元気よく声を上げる。その声に返事は返って着ない。それでも、その人物は確実にシーナの元に近づいていた。


「ざぁ〜んね〜ん! わる〜い盗賊でした〜!」


「〜〜〜っ!!!」


 シーナは盗賊に無理やり引き釣り出され、口に布を詰められ目隠しをされ、何処かへと連れて行かれた。

 シーナは音が盗賊たちの話し声が変に反響していることから洞窟だと幼いながらに理解する。

 彼女はこれまでも、ずっといっしょにいた男性と女性と共に過ごしたこともあったからだ。


 手には手錠をつけられ、服は布切れ一枚に無理やり着替えさせられた。目隠しと口に詰められた布はしばらくして取ってもらった。


「お前は存在してはいけない生き物だ。でもな、そんなお前にも価値がある。お前を高値で買ってくれる物好きもいるもんでなぁ」


 そこから彼女には拷問とまでは行かずとも、軽い暴力が始まった。盗賊はシーナに何度もそう言い続けた。


「ママ……は? パパ……は? どこにいるの?」


 シーナは最初に盗賊たちへと尋ねる。今の自分の状況も分からない事だらけだが、シーナが一番最初にまとめたもの。それは温もり、それも心の温もりだった。

 自分を見つけてくれなかった二人。その二人に今からでも会いたい、声を聞きたい、また一緒にいたい。シーナはそんな考えで、盗賊へと尋ねた。


「ぷっ、いやいや、お前の両親なんか死んだよ」


「……え?」


 シーナの希望を打ち砕くその一言を、シーナは理解できなかった。いや、理解したくなかった故に理解をしようとしなかった。


「うちの盗賊団の半数も減らされちまったけどな。大人の亜人も捕まえようと思ったけど、なんか最後は自分から死んじまったしなぁ。全く勿体ねぇ。まぁ、それ以上にお前は価値があるし、死んだあいつらも浮かばれるだろっ、はははははっ!!!」


 シーナに盗賊の言葉はほとんど届いていない。彼女はずっと一緒にいてくれた二人が死んだ事。そのショックによって体から力が抜けていった。

 後に残ったのは大した反応もしない、ただの肉塊だけ。拷問でもすれば泣き叫ぶだろう。しかし大事な商品に盗賊は手を出さない。


 そして出来る限り近づかなくなった。未熟ながらもサキュバスであるシーナを恐れているからだ。彼女は食事以外の時は、誰とも顔を合わせることがなかった。


 しかし、唐突にその日常は終わる。一人の少年が青年が曖昧な年頃に見える少年が部屋に入ってきたのだ。

 最初は訳が分からなかったが、どうせ自分の状況は変わらない。自分の父親と母親は死んだ、その事実は消えないのだ。


 そして何もしないでいると、手の鎖が彼の振るった剣によって外される。シーナは呆然としていると、何も言わずに無表情で近づき、腕を掴まれる。

 微かな抵抗を試みるが、それもすぐに自ら辞める。逃げられないのなら、どうせ一緒だ。体力を消費する分無駄。シーナはそう考えていた。


 そして《治癒》をかけられた。彼から発せられる優しくて暖かい力は、ずっと一緒にいた父親と母親と似ていた。

 そのまま彼の言う通りに従った。そこで初めて気づく。自分は助け出されたと言う事実に。

 咄嗟に名前を尋ねると、彼はこう名乗った。「ティルテだ」と。


(ティルテ……ティルテ……ティルテ……)


 シーナはティルテの父親よりも小さく、しかし大きな背中の温もりを感じながら、ギュッと両手で抱きしめ続けた。

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