5話〜看板娘ヴァレット〜

 この宿はベッドと食事が良いので少々お高いが、ティルテの今の収入を考えれば妥当であった。さらにシーナの安全のことも考えるとなお良い。


「あ、ティルテさんおかりなさい! 夕食できてますよ! それとも先に部屋で体を拭きますか? それとも私?」


 ティルテとシーナが宿に入ると、看板娘のヴァレットが飛んでくる。彼女は現在14歳。綺麗な金髪を後ろに結んだポニーテールの髪型をしている。


「夕食を頼む。それと子供用の量のやつを追加で頼む」


 ティルテはヴァレットの冗談を無視してシーナの分も追加で頼む。この宿は朝夕の2食付きなので、シーナの分の料理の料金は別払いだ。


「無視ですか!? 酷いですよティルテさん! 私これでも結構緊張してましたし、本気だったんですよ!」


 ヴァレットがそう言いながら頬を膨らませてティルテを睨む。まるで木の実を口に頬張る小動物のようだ。


「そうかそうか。それより早く飯をくれ。腹が減って死にそうだ」


「喜んでー! ……あれ? なんで子供用が必要なんです?」


 ヴァレットが厨房に駆け込もうとして、そう尋ね返してきた。


「見ればわかるだろ? シーナの分だ」


「え? ……あ、可愛い! シーナちゃん……だっけ? 私はヴァレット! ヴァレットお姉ちゃんって呼んでね!」


 ヴァレットはティルテが言うまでシーナに気づいていなかった。ティルテとの会話に夢中だったからだ。

 今はシーナに話しかけながら、自分をお姉ちゃん呼びするように言っている。

自分よりも幼い年齢の人間が、この宿には少なかったからだ。


 だから15歳程度の見た目をしているティルテにも、ヴァレットは最初、友達を作るような感覚で話しかけていた。色々あった結果、それはいつの間にか別の感情へと変化していたが。


「ティルテさん! この子は一体? まさか妹ってわけじゃ無いですよね?」


 ヴァレットが腕を組み、首を傾げながらティルテに尋ねる。


「拾った」


「……拾った?」


「拾った」


 ティルテの回答に、さすがのヴァレットも黙り込んでしまった。たが、ティルテの意図をちゃんと汲み取ろうとうんうん悩んでいる。


「ヴァレット! いったいいつまで喋ってるつもりだ!」


 この宿を経営するヴァレットの父親が痺れを切らし、厨房の奥から怒鳴り声が響く。


「あ、ごめんねティルテさん。すぐに戻ってくるから」


 ヴァレットがそう断って、厨房の奥へと戻っていく。一旦買っておいた荷物を部屋に下ろし、ティルテとシーナは空いている席の一つに座った。

 シーナは向かい側に座ると思っていたのだが、ティルテの予想に反し横に座った。


 それからちょっとして、ティルテとシーナの料理がヴァレットによって運ばれてくる。

 そしてティルテとシーナの席に料理が置かれ、向かいの席にヴァレットが座る。


「あ、今は休憩時間だから安心して。さぁシーナちゃん、遠慮しないで食べてね。ティルテさんもほら、美味しいよ?」


「言われなくてもこの店の飯がうまいことは知っている。クエストを受けている時も食べれたらなと思うことも少なくない。……いただきます」


 ティルテはヴァレットにそう告げて料理を食べ始める。だが、ティルテが黙々と食べ始める中、シーナの手が動いていなかった。


「シーナ、嫌いなものでもあったのか?」


 本日のメニューは少し硬い黒パン。塩味の野菜スープ。『ニンギュルの森』に生息している討伐難度Fランクの、ラックバードと呼ばれる鳥の魔物の肉を使った照り焼き。添え物の新鮮な野菜などだ。


「……シーナも、食べて良いの?」


 シーナはティルテに尋ねる。その目には若干の怯えも見えた。


「当たり前だ。他に誰が食べる」


「……いただき、ます?」


 ティルテが断言すると、シーナが疑問形で両手を合わせて料理を食べ始めた。

 その姿を見て安心したように見つめるティルテとヴァレットがいた。


「それでティルテさん。その子を拾ったってどう言うことなの?」


 ヴァレットが改めて真剣な表情をしながらティルテに尋ねる。


「森で拾った。兵士たちに保護させるつもりだったが、シーナが離れなかった。ミハイルに命令されて一緒に住むことになった。ちゃんと追加料金は払う」


 ティルテは簡略化しつつもヴァレットにありのままを話す。わざわざ嘘をつく理由などないし、後々面倒くさいことになるだけだからだ。

 今シーナが食べている料理や部屋の追加料金は、後でティルテが支払うつもりだったので、先にそう言っておいた。


「追加料金はちゃんとティルテさんなら払うって信じてるから大丈夫だよ。それよりも、シーナちゃんの両親とかは居ないのかな? いるなら心配してるんじゃない?」


 ヴァレットは善意からそう言いだしてくれたのだ。だが、両親の居ないシーナにその話は禁物だろう。


「……居ない。その話はよそう」


 そう考えたティルテは早々に話を切り上げる。


「あ、そう。……ごめん」


「いや、その質問は当然出てくる類のものだ。ヴァレットが謝る必要はない」


 だが、ヴァレットが責任を感じないようにティルテはフォローを入れる。

 幸いシーナはご飯に夢中であまり話を聞いていなかった。


「シーナちゃん、おいしい?」


「っ! ……ん!」


 シーナは急にヴァレットに話しかけられて驚いていたが、笑顔を浮かべて肯定する。


「……シーナ、顔を動かすな」


 ティルテがそう言ってシーナの顔へと手を伸ばす。シーナは少し怖がるように目を閉じた。

 そしてティルテはシーナの頬についた照り焼きソースを指で拭い、自分の口へと持っていく。


「……あり、がと」


「気にするな」


 シーナは驚いた表情を見せながらもお礼を言った。ティルテは本当に何事もなかったかのように食事の再開する。


「ティルテさんティルテさん、私にも付いちゃいました、取ってください!」


(……俺の皿のを拭って自分で付けたのか?)


 ヴァレットが先ほどの光景を真似してティルテにソースの付いた方の頬を差し出す。

 ティルテは同じように手を伸ばし、宿に来るまでに買っておいた使い捨ての布切れで拭った。


「あーっ! もうっ、さっきシーナちゃんにやったみたいに指で拭って食べてくださいよ! なんのために私が頬につけたと思ってるんですか! 私、おバカな子供みたいじゃないですか! こんな美少女にそんなことできるシチュエーション、滅多にないんですよ!? もう知らないです!」


 だが、ティルテの行動がヴァレットは気に入らなかったようで、そうティルテに説教をしだした。


「いや、意味が分からん。わざわざ汚したお前の不始末を片付けただけだが?」


 ティルテとしてはわざわざソースで汚したヴァレットを綺麗にしてやったつもりだ。なのに怒られる理由がわからなかった。


「方法が問題なんですぅぅ! 私はティルテさんに食べて欲しかったんですぅぅ!」


 その言葉がさらにヴァレットを怒らせる。


「いや、今食べてるぞ? もぐ……うまい」


 ティルテはそう言いながらラックバードの照り焼きを口に入れる。


「そうじゃなくってぇぇ……もう良いです!」


 ヴァレットはそんなティルテに毒気を抜かれたようにシナシナと机にに突っ伏し、ちょっとしてからふんっ、と言いそっぽを向いてしまった。だが、席を立とうとはしなかった。


(……何が悪かったんだ?)


 ティルテはそのことを考えながら食べ続けた。結局食べ終わっても答えには至らなかったが。


 ティルテはヴァレットがなぜ不機嫌になったのかを考え続けたが、結局は理解できなかった。

 だが、自分が悪い可能性が少しでもあれば、とりあえず謝罪すべきなのだろうと考えた。


「ヴァレット、君が何を言っているかは分からないが、何か悪いことをしたのだろう。すまない。……ご飯、うまかった」


 食事を食べ終わり、ティルテがヴァレットに頭を下げて謝る。


「ティルテさん、本当に悪いと思ってますか?」


「あぁ、思っている」


 ヴァレットが疑いの目でティルテを見つめる。その目は少しばかり睨みつけているかのように細く見える。

 だが、そうであろうとなかろうと、ティルテにとっては関係のないことだ。


「でも、何が悪いか分からないんですよね?」


「……あぁ、すまない」


 ティルテが正直に答えると、ヴァレットはさらに不機嫌になった。だが、その表情は怒っているというよりは、悲しんでいるようにティルテは見えた。

 だが、これはヴァレットの演技だが、ティルテにそれを見破れるわけもない。


「……じゃあ罰として、明日……いや、いつでも良いんで今度1日、私と二人っきりで付き合ってください。それでチャラにしてあげますよ」


 この案はヴァレットが元から誘おうとしていた事だった。しかし、きっかけがなかったため、今の今までお蔵入りしていた。

 それをチャンスと見たヴァレットが今こうして提案したのだ。


「む、そうか。それなら……シーナを誰かに預けられるようになったらで頼む。いつになるかは分からないが。それでも良いか?」


 ティルテとしては、シーナの面倒を誰かに任せる気にはならない。ミハイルに頼まれたという理由もあるが、何よりシーナ本人が嫌がるだろうと考えたからだ。


「あ、別にシーナちゃんと一緒なら良いですよ」


 だが、ヴァレットが笑顔でシーナの同行を許可した。ヴァレットとしては小さな子供なら心配もないし、むしろ話が途切れさせないための重要な役割を果たせる可能性もあった。

 もちろんそれとは別に、シーナと一緒に居たいという気持ちも本心だが。


「了解した。明日はギルドに用がある。明後日にしよう」


(明日はギルドにクエスト報告に行かねばならない)


「やたっ! ティルテさん、約束だよ?」


 ティルテが日程を告げると、ヴァレットは拳を握り締めてガッツポーズをとりながら、笑顔でそう言った。


【ねぇ、ティル……結婚て知ってる? 好きな人間同士が、愛し合う時の誓いみたいなものなのよ。私たちもそうしない?】


【……良いの? 本当に? ううん、嬉しいの! ……約束……だよ?】


 ティルテの記憶の欠片。そこに刻まれた言葉が、ある少女の声で思い出される。


「あぁ、もう約束は破らない。絶対にだ」


「う、うん。ありがとうティルテさん」


 ティルテの覚悟を決めたかのような重みのある言葉に、ヴァレットは少々驚きながらもそう返した。


「あ、もうそろそろ終わりだ。じゃあねティルテさん、シーナちゃん」


「あぁ」


「……ん!」


 ヴァレットがそう言いながら手を振って戻っていった。


「シーナ、明後日はヴァレットと出かけることになった」


「ん? ……ん! 分かった」


 ティルテはもしかしたら話を聞いていなかったかもしれないシーナに、一応と思い明後日の予定を報告する。

 シーナは最初キョトンとしていたが、にっこりと笑いながら理解を示す。


 その後、ティルテはシーナが食事を食べ終えるまで待ち、食べ終わって残った食器などをヴァレットが次々と片付けていく。

 そしてティルテとシーナは自分たちの部屋へと戻っていった。

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