娘⑦
「今日の運勢占い、一位になるのはうお座、いて座どちらでしょうか?」
テレビ画面の中の女性リポーターが言った。いつもなら、前のめりになるほど熱中しているのに、今日は口を真一文字に固く結びテレビを一向に見ようとしない。
お母さんは仕事の都合上早くに出ていき、今家にいるのは私と父の二人だけだ。
昨晩のようにテーブルに向かい合っている。昨日と違うところは、朝食を食べているところだ。テレビがついているぶん昨日より重苦しさはない。
目の前の父が口を開け、何か発するのかと思うと、すぐに口を閉じ、また口を開け、せわしなく口をモゴモゴと動かす。「千尋、昨日はごめ――」
「昨日の警官のコスプレってさ、どこで手に入れたの?」と私は父の声をかき消すほどの大きな声で言った。
父は少し狼狽しながらも「あ、あれは知人からもらったものなんだ」と言った。
そうなんだー、と返事をする。
私は父の顔を見返す。頬が少しこけていて肌が青白い。頼りない顔つきだ。それでもこの頼りなさそうな父が私を守ろうと捨て身の特攻をしてくれたんだと思うと、私を本当に大切に思ってくれていることが実感でき胸が熱くなる。
すぅー、と息を吸う。
「お父さん」この単語を使うのはあの日の出来事以来だ。あまりに久しぶりに言うものだから、お、の部分が若干裏返ってしまった。
お父さんはハッとした表情になった。驚きのあまり目を白黒させている。お父さんが箸で掴んでいた何かがこぼれた。
「昨日お父さんに色々言われて思い出したんだけど」
「うん」
「かなり前に授業でやったことでね。『モラトリアム』って言葉知ってる?」確かゴリアテの授業だったはずだ。
お父さんは首を横に振る。
「青年期における猶予期間のことを言うんだって。準備期間ともとれるのかな」
「何が言いたいんだ」お父さんの目が泳ぐ。
「私はね、モラトリアムは一個人だけじゃなくて家族にも適用されるんじゃって、急に思ったの」
言いながら私は、そうだそうだ、と確信を持ち始めた。まだ私たち家族はモラトリアムの真っ只中にいるんだ。『家族』という小さくて大きな社会集団が形成されていく準備期間なんだ。
「上手く言えないけど私たち家族もさ、なんか色々あるけどそれでいいんだよ。迷ったり、クヨクヨしたっていいんだよ。だってモラトリアムなんだから」
モラトリアムか、とお父さんは嚙みしめるように小さく呟いた。
「またあの時のような家族になれるよ」私の頭の中で『乙事主』の前でピースサインをして写っている私の写真がはっきりと浮かび上がる。
「そうだな」と言うお父さんの目は赤くなっている。きっとお父さんも同じことを考えているはずだ。
「お父さん、行ってきます!」大きな声で言った。
いつものようにローファーの爪先をトントンとして、外へ飛び出す。後ろで玄関ドアが優しく閉まるのがわかった。
家を出て庭に止めてある『クイック』にまたがる。ペダルに足をかけ、グイッと体重をいれる。すごいスピードで道路を走り出した。
いつもは強烈な向かい風に体が突っぱねるけど、幸運にも今日は追い風だった。追い風を背中で受け止める。車体が徐々に加速していく。
この時間だと今日も遅刻ギリギリだな、と思うが、私の心の中は今の天気のように雲一つない快晴で不快感は微塵もなかった。
今なら皐月や他のクラスメイトともキャッチボールができる。不思議とそう思った。爽やかな風が私の頭を撫でた。
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