娘⑥

 「ねえ、もう話してくれてもいいんじゃない?」

 「そうだな」と父は居心地悪そうにそう言った。

 私は父と向かい合ってテーブルに座っている。心なしかいつもよりリビングの照明が暗いように感じられた。テレビをつけてないせいか家全体が静まり返っておりエアコンが寂しげに稼働している。

 空き巣犯がしっぽを巻いて逃げていった後、壁際で気絶した父をたたき起こし無理やりテーブルに座らせた。

 「ほんとにどういうことなの?」

 「何が」何がって一つしかないだろうに、と呆れる。

 「その恰好だよ!」と警官姿の父を指さす。

 「この格好のことか」と言ったっきり黙ってしまった。

 「黙ってないでさっさと言ってよ」私は机をバン、と叩いた。

 「そうだな、分かった言うよ」父が覚悟を決めたように私の目を見た。「この格好は、お巡りさんのコスプレだ」

 「そんなん見たらわかるよ。私が聞いてるのはあの日のコスプレのことだよ!」

 父は黙り込む。「大体、何で仮面ライダーのコスプレをしてたの?」 

それはだな、と重たい口を開く。「お父さんは、コスプレで自分が本当に仮面ライダーに、昔見ていたヒーローに『変身』した気分だったんだ」説き伏せるようでもなく絶叫するようでもなく、ただ淡々と語った。

 「ヒーローになりたかったんだ?」唐突に出てきたヒーローという単語に可笑しみすら感じる。

 「そりゃあそうだ」と父は首肯する。「俺は子供の頃、自分が特別な存在だと信じて疑わなかった。その頃は今思うと幸せだったと思うよ。だけどな、その確信は年をとるごとに徐々にではあるが確実に揺らいでいったんだ」

 「それはどうして?」

 「そうだなぁ」と無精ひげを撫でる。「俺が今の千尋と同じ高校生ぐらいの時にな、急に気づいちゃったんだよな」

 「何を?」

 「俺は特別な存在になんかなれないんだなって」

 その言葉が深く私の心をえぐる。

 「当時は部活にも入っていたから余計に痛感させられたんだよな。横一線で同時にスタートを切ったと思ってたやつがどんどん俺を引き離していったときは辛かった」父は悲しそうに言った。

 「じゃあスポーツは無理だからって勉強にシフトしても駄目だったな。ぜんぜん敵わないんだ」

 「その時なんて思ったの?」

 「悲しかったし絶望したよ。だからかな、やつらに向かって、積んでるエンジンが違うんだ、とか吐き捨てたりしたよ。今思うとそれ自体、私は特別な存在なんかじゃありませんよ、って言ってるようなものだったんだ」父は悔いるように言った。

 「ちょっと待ってよ。学生時代に特別な存在になるのを諦めたとしたら、何であの日仮面ライダーのコスプレなんかしてたの?」

 「それはだな」と言いづらそうに顔を下にする。「千尋がいるからだよ」

 突然私の名前が出てきてギョッとする。「私?」と自分に指を向ける。

 「そうだ」

 「ぜんぜん話が飲み込めないんだけど」

 「わからないのも当然だ。大人になったら千尋もわかるようになる」

 「ごまかさないでよ!」

 重苦しい空気がリビングを包む。息をするのもやっと、と言うぐらい重苦しい。

 ふいに父が何かを思い返すかのように上へ顔をあげた。目線を辿るとそこには私の幼い頃の写真が飾ってあった。『乙事主』の前で幼い私がピースサインをしている。

 「千尋が産まれた時にな」と父の声が重苦しい空気を破る。「この子をどんな脅威からでも命がけで守ろうと決意したんだ。ただ、俺はそれと同時に怖くなったんだ」

 「何が?」

 「俺はこの子の希望、ヒーローになれるのかって」私は合点がいく。

 「だから仮面ライダーのコスプレをして自分を騙していたんだ」

 「そうだ」と観念したように言う。「俺は、俺自身が千尋のヒーローなんだ、という思いでコスプレをしていた」

 「あのコスプレは私の為だったって言うの?」

 「別に信じてくれなくてもいいよ。ただこれだけは言っておくが、お父さんは千尋の味方だ」私の全身に電流が走る。

 そっか、と私が漏らしたところで玄関の方から、ガチャ、と音がした。お母さんが帰ってきた。

 「どうしたの、二人して無言で向かい合って」

 「い、いや何でもないよ」と無理やりごまかしたのは、父かもしれないし私かもしれない。

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