娘⑤

 『乙事主』を出た後、皐月とたわいもない話をして別れた。

 学校に置いたままの自転車を取りに行く。『乙事主』が面した道路は車一台通るのがやっとの道幅のため、自転車を店の前に置くことが出来ず、しぶしぶ学校に置くしかない。

 サドルにまたがり、ペダルに足を乗せ大きく踏み込む。

 朝の時と同じように気持ちの良い疾走感に体全体が震える。が、家に近づけば近づくほど自転車の速度はどんどん落ちていく。

 すでに夕暮れをむかえ、辺り一帯が静けさに満ちてきた。ふと空を見上げると、うっとりするほど綺麗なコントラストが創られていた。私の背中、学校側はまだ日の光が届いており鮮やかな夕焼け色に染まっている。一方、私の正面、私の家の方は完全に日の光が消え失せ、まるで深海のように空全体が闇に包まれていた。その闇を見つめていると無性に心細くなる。

 私はその深海に向けてペダルを漕いでいった。


 家に着き、庭の隅っこで自転車のスタンドを立てた。

 腕時計に目を落とすと時刻は六時ちょっと過ぎ、父が帰ってきている時間だ。帰ってる時から重かった体がまた一段と重くなった。なぜそうなるのかは私自身わからない。得体の知れない何かが私に乗っかってる気がした。

 玄関ドアの前で、ふぅ、と息を吐き、ボクシング選手のように少しジャンプしながら右、左とジャブをしてみる。

 ほんのちょっとだけ体が軽くなったような感じがした。

 私は鍵穴めがけて鍵を差し込み、意を決して中に入った。


 てっきり電気がついているものかと思っていたから、家の中が真っ暗だったのはさすがに面食らった。あれだけの覚悟をして家に入った自分が馬鹿馬鹿しい。

 家の鍵をかけ玄関で靴を脱ごうとしたその時、廊下の奥、暗闇の中で人影が動いた。ヒッ、と私の甲高い声が響き渡る。

 帰ってきちまったか、といかにもめんどくさそうな声が聞こえた。

 「おい動くな、逃げるんじゃない」私は射すくめられたように動けなくなる。

 この声の主はもしかしたら父かもしれない、と幻想を抱き現実から目を背けたくなるが声の主が近づいてくるにつれ、その淡い期待は粉々に崩される。声の主は父と似ても似つかない外観だった。

 突如、私の頭の中で『乙事主』で見たニュースの内容がリピートされる。

 「恐らく身長は170㎝の中肉中背」と確かにキャスターは言っていた。ドクンドクンと鼓動が早くなる。

 まさしく私が対峙してるこの男こそが身長170㎝の中肉中背で、連続空き巣事件の犯人だ。

 

 さて、と思う。男が空き巣だと分かったはいいがここからどうすれば?

 頭をフル回転させるが答えはでない。

 「変なこと考えるんじゃねーぞ」と空き巣犯が私を指さす。

 「変なことって」

 「それは、ほらあれだよ」と一旦言葉を切り、「サツだ」苦しそうに漏らした。

 サツ、と小さく声に出してみるが慣れない舌触りがして気持ち悪い。

 そんな私を見かねてか「警察だよ警察!」と強い声を発した。

 「絶対に警察に連絡なんかするなよ」

 そうかその手があったか! と軽くこぶしを握る。警察に連絡できればこちらのものだ。

 「わかりましたよ。連絡しません」まるっきり嘘だと分かるこのセリフに空き巣犯は神妙な面持ちで頷いた。何を馬鹿正直に頷いてんだ、と私は苦笑する。

 「悪いな。聞き分け良くて助かるよ」連絡するに決まってんじゃん、とボソッと口に出す。

 「なんか言ったか?」

 「いやいや何も言ってないです」

 連絡するのはいいとして問題はどうやって警察に連絡をとるかだ。家の固定電話はリビングに置いてあるから、連絡をとろうとしたら空き巣犯を越えて行かなければいけない。固定電話はあまりにも無謀だ。スクールバックからスマホを取って連絡しようにも「動くな」って言われてるのにバックの中をゴソゴソしてたら、さすがのミスター馬鹿正直も私が警察に連絡しようとしていることぐらいは察知するだろう。スマホも論外だ。

 そうなるとどうすれば? 連絡したいのに連絡手段がない。

 どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。どうしようというフレーズが頭の中で渦を巻き私を飲み込んでいく。どうしよう、と考えれば考えるほど体がソワソワし落ち着かない。

 「おい動くなって言ってんだろ!」空き巣犯がヒステリー気味に叫んだ。

 「う、動いてないですよ」

 「いーや動いたね、俺は見逃さないよ。早くポケットの中見せろ」

 「え?」

 「だからポケットの中身見せろって言ってんの! 連絡する気だろ!」

 どうやら空き巣犯は私の不自然な動き(不安でソワソワしていただけなんだけど)を見てポケットの中のスマホで警察に連絡していると勘違いしたみたいだ、と気づいた時には空き巣犯は猪のような勢いでこちらに向かってきているところだった。

 ドンドンドン、と廊下を踏む音が家全体を震わせる。

 「早くポケットの中身見せろよ!」

 「ポケットの中身見ただけじゃ何も解決しませんよ」と私が説得を試みるがまるで聞いていない。と言うかスマホはポケットの中じゃなくてバックの中にあるのに、と思った瞬間、空き巣犯が私の腕を掴んだ。また、ヒッと高い声が出る。

 もうダメか、と観念したその時だった。私の真後ろにある玄関ドアの鍵がガチャリ鳴ったかと思うと、ドアが開き警官一人が入ってきた。

 その警官は最初のうちこそ事態の深刻さに気づいてないのか随分ゆったりとした足取りで玄関まで来たが、私が襲われていると見るや先程の動きが噓だったように俊敏に動き出し、空き巣犯に向かって体当たりした。

 警官を確認した後の空き巣犯の動きもこれまた素早かった。私の腕から手を離し、気づいた時には家の外に飛び出して逃げていった。

 何が何だか分からず呆然とするが、とりあえず警官は無事かな、と周囲を見渡す。

 警官はすぐ近くで壁にもたれながらのびていた。

 体当たりは空き巣犯に当たらず勢い余って壁にぶつかってしまったみたいだった。

 だらしない格好でよだれを垂らしている警官を見下ろしていると、何か引っかかるものがあった。『乙事主』で空き巣犯のを見た際に皐月が言った言葉だ。

 「ほら、最近お巡りさんが見回りしてるじゃん」この言葉が体中を駆け巡る。頭の中で火花が散る。

 もっと近づいて警官の顔をまじまじと見る。

 私の父だった。

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