娘④
あの日、私はいつものように学校から家に帰った。いつものように放課後をむかえ、いつものように皐月とたわいのない話をして別れた後だった。
家に着き、ドアを開け「ただいまー」と言ったがどこからも返答がなかった。
あれ、お父さん帰ってないのかな? と私は不思議に思った。スマホを見ると六時半ちょうどだったのを憶えている。普段だったらとっくに帰ってきてる時間だ。再度不思議に思ったが、まあいいか、とあまり気に留めず、学校指定のバックを肩に担いだまま二階に上がっていった。
ここが分岐点だった、と今にして痛感する。
階段を登り切り、真っ暗闇の二階に電気をつけるため壁にあるスイッチを押そうとしたところ、二階が微量の光に満ちているのを感じ取れた。どうやら、ほんの少しばかり開いたドアから部屋の明かりが漏れているみたいだった。「飛んで火にいる」じゃないけど、私はその光にスルスルと吸い寄せられていった。
その光は私の部屋から漏れていた。
何やら物音まで聞こえる。耳を澄ますと衣擦れの音だということがわかった。
私の部屋? 一体誰が? 何をしているの? 頭の中で大量の疑問符が生まれ、純粋な恐怖が私を襲った。が、それと同時に、私の部屋にいる謎の人物を突き止めたい、というあまりにも浅はかな冒険心も湧いてきた。
結果、冒険心が恐怖心を完全に上回った。
音を立てないように、と胸で唱える。一歩一歩確実に私の部屋へ足を運ぶ。
ドクンドクン、と心臓が脈打つ。
やがてドアの前までたどり着いた。体感だと一時間ほどかけて移動した気がしたが、腕時計に目を落とすと先刻から五分もたってなかった。
背中が緊張で汗ばむ。シャツがぐっしょりとしている。
ドアの隙間から見える部屋の中に目を凝らす。直後、私は固まった。比喩とかじゃなくて本当に固まった。
部屋の中にいる謎の人物は全身緑色のコスチュームを身にまとっていた。それだけでも充分に奇怪だが、さらに、右腕を顔に向かって斜めに勢いよく動かし左手は腰部分に添える、意図がよくわからない動きまで見せた。謎の人物が触れる、ちょうど腰部分にはベルトが巻かれていたが、市販のものとは似ても似つかない代物だった。
ドアの隙間からじっと謎の人物を観察し、ようやく何者なのか分かった。
私の部屋にいたのは仮面ライダーだった。いや、一番肝心なところであるはずの頭部を外していたから、仮面ライダーもどきだった。
もちろん、本物の仮面ライダーでないことぐらいはわかる。私の部屋で仮面ライダーのコスプレをしている誰か。ということになる。
そんなことを思い、私は合点がいった。どうやら先程の動きは『変身』ポーズのようらしい。あの奇妙な動きも納得がいく。
謎の人物が仮面ライダーのコスプレイヤーと分かったのもつかの間、じゃあコスプレイヤーは誰なのか、という至極まっとうな疑問が降りかかってくる。
なんで私の部屋にいるのか、なんで私の部屋で変身ポーズをしているのか、さっぱり理解できない。わからないことだらけで嫌になる。
もしや新手のドッキリなのでは、と思って周りを見回すもカメラらしきものは一向に見つからなかった。
ふいに、もう一度ドアの隙間に目をやるとコスプレイヤーの頭の正面がこちらを向いた。これを好機と思って、私はコスプレイヤーの顔を凝視する。
コスプレイヤーの正体は――
あまりの出来事に声も発せられず、肩にかけていたスクールバックがスローモーションのようにゆっくりと落ちていった。ドン、という破裂音が家中に響き渡る。
仮面ライダーのコスプレをしていたのは、私の父だった。
この時、私の内で何かが音をたてて崩れ去った。
父はコスプレをしている喜びのためか生き生きとした表情だった。が、ドアの隙間から見ている私と目が合った瞬間、みるみるうちに顔の生気が消え青白くなっていった。
あの日以来、その場面が何度も、何度も、何度も、何度も、何度も頭の中で再生される。
私は声をかけることなく廊下を歩いていった。父も声をかけてこなかった。
その後のことはあまりよく憶えていない。
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