第11話 水無月ひよりの初恋。

 それは今から一ヶ月ほど前、五月の初旬のある日のこと。

 その日の放課後、水無月ひよりは、担任に頼まれていた学級委員の仕事を行なっていた。

 時刻は6時を過ぎており、教室にはひよりの他には誰も残っておらず。窓の外を見てみれば、空も次第に暗くなってきている。

 

 入学してまだ一ヶ月程度だが、ひよりは教師、生徒ともに人望が厚く、今回のように頼まれごとをすることがよくあった。

 ただ、今日は欠席したクラスメイトの委員会の仕事まで代行していたことから、この遅い時間まで残って作業をしていたのだった。

 

 作業自体はそう難しいものではない。

 クラス全員に配布する資料の作成だ。プリントを下の方に書かれている番号順に並べ、ホッチキスで留めるだけ。

 しかし、いかんせんクラス全員分と量が多い。


 まだ時間がかかりそうだなと、大きなため息をついた時。


「こんな時間まで、何してるんだ?」


 声のしたドアの方を見てみると、そこには男子生徒が一人立っていた。

 同じクラスだが、ひよりはまだ話したことがない生徒だった。


(たしか、名前は……)


「……紫吹くん?どうしたの?こんな時間に」


 紫吹冷。それが彼の名前だ。


「俺も同じことを聞いたんだけど……。この前授業休んだところを聞きに行ってたんだよ。もうすぐ中間テストあるから。で、そっちは?」


 冷は自身の席に座り、カバンに教科書を詰めるなど帰り支度をしながら、そう言った。


「私は、先生に仕事頼まれちゃって」

「……この時間までか?」

「さっきまでは、今日休んでた子の委員会の分もしてたんだ。それで、気付いたらこんな時間に……。」


 冷はそれを聞き、眉をしかめる。


「それをなんで、水無月が一人でしてるんだよ?」

「私が頼まれた仕事だから、責任持って最後までしなきゃ」


 ひよりは、人からの信頼を裏切りたくなかった。

信頼されているからこそ、こうやって頼まれごとをされるのだ。この人に任せれば安心だ、と。

 それをこなせなかった時、その信頼を裏切ることになってしまうのでは、と考えてしまうのだ。

 だから、頼まれた仕事を断ることはできないし、それを途中で放棄することもできない。


「もう遅いし、紫吹くんはもう帰った方がいいんじゃない?」

「……はぁ」


 すると、冷はひよりの方へとぼとぼ歩き出す。

 そして、ひよりが座っている席の対面に座り、二人は向き合う形に。


「ほら、俺も半分やる」

「……え?」


 その思いもよらない行動に、ぽかーんとしてしまうひより。

 そしてハッと我に帰ると、


「いやいや!気持ちは嬉しいけど、紫吹くんに悪いし、私一人でも大丈夫だよ……!」

「二人の方が効率がいいし、早く終わるだろ」

「でも、私が頼まれたんだから、私がしないと」

「だから、水無月もしてるだろ。それに俺が加わるだけだ」

「そうかもだけど……。でも……」


 頑なに冷の協力を拒むひより。

 

「水無月は、どうしてその仕事を引き受けたんだ?休んでた生徒の代わりの仕事もあるって伝えれば、先生も無理に頼まなかったんじゃないか?」


 冷がそう尋ねると、ひよりは少しの間沈黙する。

 その後、ゆっくりと口を開いて。


「私、断るのが怖いんだ……。私を信頼して任せてくれているのに、その期待を裏切ることになるんじゃないか、って」


 すると、冷はただただ呆れたような顔をして、


「たとえ水無月が断ったとしても、水無月が裏切ったことにはならないし、ましてやそれで信頼がなくなったりはしないと思うぞ」

「え?」

「そもそも、水無月に勝手に頼ってるのは俺たちの方だ。それで信頼しなくなるなんて、お門違いもいいとこだろ。それに、今してるそれも、このクラス全員が使う資料だろ?だったら、クラスメイトである俺が手伝うのは何もおかしいことじゃない。分かったら、さっさと半分よこせ」

「あ、はい」


 ひよりは呆気にとられたように冷にプリントを半分差し出す。


「これを順番どおりに並べて留めればいいのか?」

「う、うん……。」


 それからは、しばらく会話はなかった。

 二人は黙々と手だけ動かし、作業を進める。

 すると、突然ひよりの口から小さな笑い声が溢れた。


「ふふっ………」

「?」


 それに対して、冷はただ首を傾げている。


「紫吹くんって、変わってるね」

「そ、そうか?」

「そうだよ」


 それだけ言うと、再びしばらく沈黙の時間が続いた。

 しかし、その静かな時間はひよりにとって、とても心地いいものだった。


「ねぇ、紫吹くん」

「なんだ?」

「ありがとね」

「……おう」


 二人でしたことにより効率も倍になり、作業が終わるのにそれほど時間はかからなかった。

 その後、ひよりは完成した資料を職員室まで持って行き、冷はそのまま帰路に着いたのだった。



 それからというもの、気づけばひよりは冷のことを目で追うようになっていた。

 授業中に眠そうにあくびをしている姿、休み時間に一人で読書をしている姿、隣の席の男子生徒の話を適当に聞き流している姿。


 そして、少しミステリアスで、とても優しい人。

 気がつけば、あっという間に恋に落ちてしまっていた。

 それが、水無月ひよりの初恋。

 

 これまでもかっこいいと思う人はいたが、恋愛感情に結びついたことは一度もなかった。

 だからこそ、それを意識してしまうと、どうすればいいのかわからなくなり。

 話しかけようにも緊張してしまい、ただ見ていることしかできなかった。


 しかし、その時は突然やってきた。

 冷に親しい異性が現れたのだ。

 それも、学校内で一番と言っていいほどの美少女である、早見姫雪だ。


 そして、今朝二人が仲良さげに話しているところを見て不安になり、直接聞いてみたが、付き合っているわけではないと知り安心した。

 しかし、冷本人は気付いていないようだが、ひよりは直感で感じていた。

 女の勘、というやつだろうか。

 この子は自分のライバルである、と。


 だからこそ、これからはもっと積極的にアピールしよう、と密かに決意したのだった。

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