第78話「私の一番の幼馴染」‐Side狭霧その10‐
「えっ? あ……そういえば、つい」
「ふっふっふっ……やっぱり夏休み前からの私の悩殺作戦で!!」
悩殺……なんてされてないけど目が離せないって意味では気になったし、二人が学院の先生とやり合った時にボクも出たいと思ってしまった。
「うん。さぁーちゃんが心配だったから……そう言えばそうだね……夏休み挟んでたからすっかり忘れてた。カッコつけて逃げ出したのに」
「自分の魅力がこわい」
「うん。さぁーちゃんは昔から可愛かったし最近は美人さんだからね?」
「そこまでストレートに言われると……その……照れるよシン」
ここまで長かった。これはいよいよ感動のフィナーレも近い? そんなことを考えて私はシンを見つめた。そして一気に私達の運命が動いた私の足の事故のことを思い出していた。
◇
あれは準決勝の日だった。ここまで残った相手も当然に強豪校で去年の全国出場校と決勝を争った高校で苦戦すると思ったけど意外と簡単に勝って県大会優勝へ向けて弾みを付けた。
「なんか赤音ちゃんが大会側と話しているらしくてね。私達は残れって」
「ぶちょ~、それって全員?」
「レギュラーと補欠だけよ。一年と応援の二年は解散。おつかれ」
そう言うとレギュラーと補欠と三年生はその場で残る事になった。そして一年生と二年生が居なくなったタイミングで部長ニヤリと笑った。
「よし、じゃあ全員集合、実は赤音ちゃんから待ってる間、アイスかジュース買って来て良いって言われてるから。しかも奢りでね、一年と二年には内緒だよ?」
その瞬間、私を含めた残ったメンバーから歓声が上がった。単純にアイスやジュースが奢りが嬉しい者よりも秘密でコッソリ自分達だけと言うのがたまらなく甘美だった。それにあと一戦で私はシンに告白出来る。
「優勝したら皆と祝勝会出来ないし、準決勝はいいタイミングかも。次も頑張ろ?」
「え? 何でよ? 勝ったら赤音ちゃんがスイーツか焼肉って言ってたわよ?」
「私はスイーツが良いかな。最近甘い物断ちしてたし」
「私は断然、肉よ肉!!」
皆でゾロゾロ移動しながら自販機の前に着くと、うだる暑さに辟易しながら何にするか話して買った順番から適当な木陰に入ってお喋りの始まりだ。
「それで何で祝勝会に出ないのよ?」
「え? 勝ったらシンに報告するって言ったからだけど? たぶんその後は二人で……ふへへ」
そんな事を話しているといつものメンバーだけじゃなくて部長や先輩達まで集まって来て私とシンの近況を聞かれた。
「女の友情なんて恋を知った裏切者の前には儚く消えるのよ凛?」
「ぶちょ~!! 来年も絶対に狭霧に惚気られて負け犬になりそうです~」
「お~よしよし、しかも来年は春日井会長になってそうだから権力握ってそうだしな。やりたい放題でしょ? ま、あたしは先に卒業するけどね」
凛と部長が即興で漫才してるし、優菜や他の先輩も笑っている。私は真剣なのに、すっかりイジリ対象になっていた。
「「「「「アハハハハハハ」」」」」
「私のシンはそんな事しませ~ん!!」
そんな事を話していたら暑さもピークの昼下がりに危険を感じて屋内に赤音ちゃんを迎えに行こうとした時だった。
「ね? あれって?」
私達の居た駐車場の付近の自販機の前に軽トラックが猛スピードで突っ込んで来るのに気付いたのはかなり近くなってからで部長が声を上げた時には車は私と凛の前に迫っていた。
「凛!! はやくっ、つっ!? ごめん!!」
「え? 狭霧っ!? きゃっ!?」
その後の事はよく覚えていない。頭を打ったわけでは無いけど痛みと出血で私は救急車で搬送されたみたいだ。足の感覚が無くなって動けない私は咄嗟に凛を突き飛ばしていた。それだけは朧気に覚えていた。
◇
「タケ!! 竹之内!! 狭霧!!」
「先生、落ち着いて下さい!!」
「うっ……うるさ、シン……あれ? 私は」
意識が朦朧とする中で思い出したのは信矢のことだ。前にもこんなことが有ってその時に一番最初に居てくれたのが信矢だった。
「竹之内!! 大丈夫っ!?」
「あ、かねちゃん?」
「良かったぁ……私のこと分かるわね? よくある記憶喪失とか無いわね!?」
「だいじょ……ぶ。でも頭痛い」
その後は精密検査を受けさせられて病院中をベッドの上に乗せられたまま移動する。時間は数時間経ったのかその度に「大丈夫か」と赤音ちゃんがいい加減しつこかった。
「あまり痛く無いんで、大丈夫です」
「ほ、本当なの?」
嘘だ。本当は両足が痛い。左足はジクジクして火傷のような痛みが、右足には今までに無い痛みがする。これは練習の時とかに一時的に大きくなった痛みにそっくりだった。バレたら次の試合に出られないから何とか隠さないと、そう考えた時だった。ドアが開かれてお母さんと信矢が入って来た。
「あ、ママ……じゃなくて母さん、私……って、シン? シン!!」
我慢出来ずに飛び出そうとしたら私の動きは読まれていてシンが抱き着くように私を抑え込んだ。シンの匂いがして安心する。そのまま抱き着いて離れないようにしていると周りは諦めたのかしばらくそのままにしてくれた。そして本命の方の足の怪我を隠そうした私だったが、すぐにバレてしまった。
「私、凄い必死でっ……怖くて~」
「そうですか、頑張りましたね。それで? 何を隠しているんですか?」
さすがのシンだった。私が無意識に庇っていた動作だけで隠している怪我の箇所までバレてしまい、その後は病院の先生からも説教をされてしまった。
周りからのお説教が終わり病室に移動した後、シンには全部お見通しだったみたいで私が怪我を隠していたのが約束を守ろうとしていたのも怒られるかと思ったら泣かせてくれた。
「約束……守れないよぉ……」
「気にする事なんて有りませんよ。来年、全国に連れて行って下さい」
こんなこと言って自分だけ大人っぽくなってズルいと思いながら私はシンの背中に縋りついて泣いた。しばらく病室で二人だけでいると部活の他のメンバー達が入って来てシンは入れ違いのように病室を出た。見ると赤音ちゃんに呼ばれたようだ。気になったのは帰って来たシンの顔が少し強張っていた事だった。
◇
翌日からシンは夏休み中、私の入院中はずっと来てくれてリハビリも手伝ってくれていた時に、とある事件が起こった。私の中学時代に声をかけてくれた冴木さんと偶然にも病院で再会したのだ。
「あの時から私は変わって無いわ。怪我が治ったら話だけでも、どう?」
「ですけど私、そう言うのはちょっと……」
そりゃモデルにスカウトなんて言われたら浮かれちゃうし女の子なら誰でも嬉しいに決まってる。少なくとも私はそうだった。だけど今は怪我をしているし何より前にシンにも芸能界は怖いところだと言われてたので断る気持ちが大きかった。
「あなたには絶対に才能も有るし、今度、お話だけでも、ね?」
押し切られそうな時にこちらに鬼のような形相で歩いて来るのは信矢だった。廊下を歩いている患者さんが道を譲っていてゾロゾロ付いて来る光景は某総回診みたいになっていた。
「ふぅ、狭霧? どうしましたか?」
そこで突如始まったのは私を守るために全力で大人に立ち向かう信矢だった。しかも明らかに口の上手い冴木さんにも一歩も引かずに最後は完璧な対処で冴木さんを追い返していた。
「――――狭霧、また接触して来たら必ず私に連絡を、学院にも生徒会権限で通達しておきます。夏休み明けの集会でも私が率先して呼びかけます」
「う、うん……分かった。ありがと、シン……」
その後は看護師さんに関心と呆れを半分づつされて私達はリハビリを開始した。最初は看護師さんに手伝ってもらいながら、ゆっくりと途中からはシンにも助けてもらって無事に終えるとその日から信矢の家で同居が決まった。
「あぁ……そう言えば今回の怪我ってオーバーワークも原因って言ってたわね? 狭霧ちゃん」
「ソ、ソンナコトシナイデスヨ~」
理由は私が無茶をするというのが既にバレていたこと、もう一つは母さんが出張で家に居られなくなるから私が一人になってしまうということで、それなら夏休み中は預けて行けば良いという話にまとまった。
「ふぅ、そんな事だろうと思いました。正直に言うと夏休みが終わる前までは我が家の客間に狭霧を監禁したいくらいです」
「信矢、あんたサラッと何を言ってんのよ……」
信矢の愛が今日も重い。シンママも呆れている。部活の皆は私の方が重いとかワガママ娘とか言うけど実際はシンだって同じくらい重いんだ。その辺りは愛莉さんとか彼女組のお姉様方はみんな私の味方でシンも同じくらい重いと言われている。
「この部屋……泊まるのも久しぶりだね? 昔は家族四人で、霧華も一緒に……」
「そうだったな。毎回お前だけは俺の部屋にコッソリ入って来て朝起きると、この部屋は三人になってたな?」
そして二人で私の泊まる部屋の掃除をしている時に不意に見えたのは私の元の家だった。こっちの家に泊まりに来た時も有ったけど、私の家は今でもそこに有る。売りには出されてないけど母さんもパパも処遇を決めかねているらしい。
「随分遠くになっちゃったな……私の家……」
そもそも二人はまだ離婚はしていない。実質的には離婚しているみたいなものだけど、その辺りは月に一回の霧華との電話で話したりもしていた。妹が言うにはパパはかなり後悔しているらしく母さんほど割り切れてないみたい。二人の別居の原因が私の事ともう一つ、あれだから……シンパパに相談しようか悩んでいる。
「それはちげえ……って、止めだ止め!! 二人とも悪かったで、蹴りはついてんだろ!! 下に降りるぞ。飯の用意出来てんだろうしな」
「うん。じゃあ信矢? 抱っこ~!!」
冗談で言ったらすぐに抱き締められて顔が真っ赤になった。だってこの『俺』が一人称の時には私に厳しいことが多い。私に優しくするのが本人曰く漢じゃないらしい。下に降りるとシンパパも帰って来ていたから挨拶する。これであと霧華とパパさえ戻れば昔みたいに、昔の懐かしい日々に戻れるのにと思ってしまった。
◇
シンの部屋に都合三度目の夜這いを試みて失敗して部屋に戻されて怒られたり、暇な時間は夏休みの宿題を見てもらい、リハビリの時には自転車の荷台に乗せられたりと私達の離れ離れだった時間を埋めるような日々を送っている最中、いきなり学院から呼び出しを受けた。
「え?」
「え? どう言う事なのでしょうか?」
私は茫然と教頭先生の話を聞いていた。スポーツ科を辞めろ? 意味が理解出来なかった。私は術後の経過も含めて順調に回復していて来年こそはと思ってリハビリに精を出していた。
決勝で負けてしまった先輩たちが一昨日、リハビリ中に来て謝られて来年まで部活に復帰出来るように言ったばかりなのに……不安になった私は自然と信矢の手を握ってその横顔を見ると目線だけで頷いて先生達の話をメガネを光らせて聞いていた。
「言い辛いのですが、今の狭霧さんではスポーツ科も特待生も資格が喪失しているとお考え下さい」
「そんな……だって、私」
山田先生も赤音ちゃんも淡々と説明をしたり相槌を打ってお母さんの話を受け流すだけで全然取り合ってくれない上に前に私や凛たちを目の敵にしていた桶川先生が厭味ったらしく私をバカにしてきた。意味が分からず困惑していると理解した目の色のシンがポツリと呟いていた。
「悪意、知っていたのに話さなかった……この書類の悪意とは通常の意味と同時に法的な意味での悪意でも有るのか……」
その呟きに私は詳しくは理解出来なかったけど黙っていたのが悪いのは分かった。でも私に対する罰はまだ終わらなかった。過去の成績の圧倒的悪さ、一部教科を除いてオール1、これには母さんとシンにも絶句された。
「シン……」(今までの悪さが全部返って来たんだ……私が全部悪いんだ)
お母さんが桶川先生と言い合いになってヒートアップしている。山田先生と学年主任の……名前忘れちゃった先生と赤音ちゃんはオロオロして教頭先生はどちらに加勢するわけでもなく静かに見ていた。そしてシンは黙々と資料を捲っていて鬼気迫る表情をしている。そして資料に全て目を通した後に私を見つめた。
「狭霧……学院に残りたいですか?」
「私、シンと一緒に……居たいよぉ……」
情けないけど最後に頼るの相手は信矢しか居ない。その後に頑張れるかと再度念押しされた私は何度も頷いた。それを確認して信矢は立ち上がり机をバンと叩くとメガネを取ってニヤリと笑って私を守るようにして先生たちを睨みつけた。
「俺の狭霧泣かせたんだ。テメーら全員、覚悟しろよ?」
「シ、シン?」
「任せな……今度こそ俺達が守ってやる!!」
私は目に涙を貯めながらコクコク頷くしか出来なかった。見ると信矢は口元は笑っているけど目は怒っていた。それは私にも怒っているようで少し怖かったけどグッと見返すとニヤリと笑って頭をポンと撫でてくれた。
「これが先輩の言ってた……ここまで変わるのねシンくん……」
母さんもシンの病気、体質のことは聞いていたようですぐに理解したようで選手交代だと言わんばかりに椅子に座り直していた。対する教師陣は教頭先生も始め大人五人が固まっていた。場は完全に信矢の独壇場だった。
「シン……凄い」
「ふふっ、まるであの人みたいな弁論の仕方ね……覚えちゃったのかしら?」
「あの人?」
「何でも無いわ。屁理屈でお節介な人を思い出しただけよ」
シンは次々と大人たちを圧倒していく、途中で一人一人を倒すように蹴散らして行く私はただ茫然と見ていたけど母さんは違う印象を受けていたようで、この顔は一度だけ見た事が有った。パパの仕事を見せてあげると言って私と霧華を連れこっそり事務所に連れて行ってくれた時のあの時の顔だ。
「いやぁ~困ったなぁ……今日のこの暴言、SNSや動画サイトに流したらさぞ世間の皆さんが面白い判断してくれんだろうなぁ?」
「あっ、あああああああ!!」
「二度も同じ手は効かねえんだよ!! ボケ!!」
その後は桶川先生が暴走して二度も襲い掛かって来たけどそれさえ信矢は予想していたようで私に事前に指示を出していた。私にも出来る事が有ると思って母さんにお願いしてスマホで一連の行動を全部動画で録画してもらった。
「奈央さん!? 今のも撮れました?」
「ええ、バッチリよ!! さっすがシン君ね?」
え? シン、私は? 私も頑張ったのにと思って見るとシンは肩をすくめて右目を閉じてウインクした後に髪を左手でかき上げる仕草をした。すぐに小学校の時の暗号ごっこを思い出す。肩をすくめる動作は『どうだ?』で右目のウインクは『ちゃんと見てたよ』、髪を左手でかき上げるのは『やるじゃん』の意味だ。
(えっと、つまり意味は『俺はどうだった? 狭霧をちゃんと見てたよ。やるじゃん』って感じかな。後で聞いてみよ!!)
と、ここまでは良かったんだけど、桶川先生が退場させられて教頭先生からもしっかりお説教されて私の処分は保留になった。そして退学にならない条件は二学期の中間テストを全て赤点回避、さらに期末は平均点以上という今の私には難題だった。
(え~勉強やだなぁ……今のまま行けば普通に私残れるんじゃ?)
なんて私の考えを読み取った母さんにゲンコツされた上に再度頭を下げさせられた。久しぶりの母さんの一撃に頭を押さえて涙目になっているとシンが呆れた顔をしていたからばつが悪くて笑ってごまかした。笑顔は大事だよね。その後に私は最初は敵だと思っていた教頭先生が静かに私に語りかけて来た。
「はい……その、動機が凄い、不純ですけど……シンと一緒に居たいです」
「はぁ、分かりました。しかし採点は先ほどから援護していた山田先生や過剰なまでに叩いていた桶川先生では無くて私がします。良いですね?」
「お、お願い、します!! 頑張ります!!」
だから運動部の根性を見せる代名詞ガンバリマスを繰り返すと赤音ちゃんは頷いていたけど母さんと信矢は呆れていた。でも教頭先生は頷いた後に学年主任を連れて出て行った。それを確認すると信矢に抱き着いた。
「じんやぁ~!! もうダメだと思ったよぉ~」
「ああ、もう泣かないで下さい。まだ話し合いも有るんですから? ほら、鼻をチーンしますよ? 目元も拭きますからね?」
鼻水を昔みたいにハンカチでチーンとしてもらってもう一つハンカチを取り出すと今度は目元もきれいに拭ってくれた。そう言えばいつの間にか紳士的な信矢に戻っていた。
「だって~。わたし……」
「はいはい。髪の毛も今朝整えたばかりでしょう? 落ち着いて、よし、これでいつもの可愛い狭霧です。もう、大丈夫ですね?」
制服の皺から一通りをチェックされると少し目は充血しているけどそれ以外はいつも通りの私がいた。その光景に赤音ちゃんは呆れ顔で、初めて見た山田先生は若干引いていたけど小学校まではこのやり取りは日常茶飯事だった。
今にして思えばこんな事を学校でしてたら私もシンもイジメのターゲットにされるよね……なんて反省も出来るくらいには最近、自分のことが見えてきた。
◇
先生達は味方だって言われて一応は分かっていたつもりだけど納得できないでいたら信矢からのお説教が待っていた。そこで私が大体悪いと
「私の方こそ、いっつも言ってるけどシン以外には夜這いなんてしないからね!!」
「当たり前です。そんな事していたら相手はこの世に居ませんからね」
この後、先生達に呆れられたけど私はなんとか学院に残る事が許された。でも楽しかったのはここまで、明日から頑張ろうとしていた勉強も夏休みの宿題も信矢に今日からと言われて、いつもは私に優しいシンママにも勉強はしっかりするように言われてしまった。
「ううっ……頑張りますぅ~」
そんなこんなで夏休み最後の一週間は勉強漬けになった……わけでは無い。実は後で知る事になるけど信矢は私の集中力や適性なんかを初日で把握していて私に合うカリキュラムを組んでいた。夏休みの宿題と並行して中学の復習も少しづつ教えてくれたのは正直助かった。
「でもさ、シンって中学不良だったのに頭良いとかズルい~」
「はぁ、あのよ狭霧。俺はアニキ達と漢を磨いてたけどよ。それ以外は特に抜け殻の中二の後半から高一夏までは勉強しかしてねえからな? メガネが完成してなかったからよ」
「それって前も七海先輩たちが話してたけど……どう言う事なの?」
そこで勉強の休憩中にアイスを食べながら前からの疑問を私は聞いていた。長い話だから簡単にと前置きしてシンが私に話してくれたのは仁人先輩の研究所に連れて行かれた話だった。
シンが人格矯正を頼んで今の状態の信矢、つまり『俺』状態を封じる作業をする際に一週間近く監禁されていたらしい。それから最低限の会話しかしないで日常的な会話が出来るようになるまで数週間かかったらしい。
「私のせいで……」
「だから、もう良いって言ってんだろうが、今は三つが安定してんだからよ」
その話を聞いたからだろうか、私は少しでも信矢に迷惑をかけたくないから頑張って勉強に身を入れるようになった。そして必死に頑張って夏休み最終日に奇跡が起きた。庭先で近所の遊園地から上がる花火を見ていた夜。浮かない顔の信矢に心配をかけたくないから本心を語った。自分の弱い心を白状した。
「こうして並んで見るのは久しぶりだね……さぁーちゃん?」
「そうだね。あっ、こっちの家だと少し見辛いんだ……でも、私の家からだともっと見やすくて…………え? シン!?」
秋津さんと愛莉さんのお店で出た時以来だ。優しい昔のままのシンだ。だから私はこのチャンスを絶対に逃がしたくなくて、今思えばこの時点で私の勝利だったけどとにかく必死で気付いていなかった。
「私が、私のワガママを聞いて、お願い……シン。私にもう一回だけ、私を信じてもらえるように頑張る……チャンスを下さい……お願いだよシン」
「うん。ボクも、頑張るよ……」
このタイミングで花火が上がったけど花火の光で見えたその顔はいつもと違って昔のシンの顔に見えて私はやっと本当のシンを見れた気がした。
◇
そして新学期から数日経ち、今に至る。夏休み前の約束だからすっかり忘れてたけどシンを引きずり出せたなら私の勝ちなはず。でも前提として三人と仲良く出来て共生し始めている今ならあまり関係無い気がしてきた。
「そもそもシンが出れば勝ちってのも今は意味無い気がして来たよ」
「うん。そうだね。我慢出来ずに二回も出ちゃった時点でボクの負けかな……他の二人に謝らなきゃな……うん」
「え? なんで? 意味はもう無いし……」
「ううん。これからは……弱いボクでも、さぁーちゃんのために出来ることが有れば出るからって、二人に任せて逃げ出した癖に今更だけど……ってね?」
そう言って柔らかく笑うのは昔のシンでドキッとする。ハッキリと自覚してこの状態のシンを、高校生になったシンを見るのはほぼ初めてだからドキドキしていた。
「それって……」
「うん。お待たせ……まだまだ弱くて情けないボクだけど改めて、よろしくね」
そして、この日に本当の意味でのシン、私の大事な幼馴染の春日井信矢、その本来の主人格が復活した日になった。私が長年待ち望んだ日だった。
「おかえり……シン」
「うん。ただいま、さぁーちゃん」
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