第75話「秋の始まり、二人での出発」
「じんやぁ~!! もうダメだと思ったよぉ~」
「ああ、もう泣かないで下さい。まだ話し合いも有るんですから? ほら、鼻をチーンしますよ? 目元も拭きますからね?」
取り合えず抱き着いて来た狭霧を腕から引き剝がし、腕を見ると制服に涙と鼻水と何か色々付いたのが気になったが今は狭霧の方を優先する。
「だって~。わたし……」
「はいはい。髪の毛も今朝整えたばかりでしょう? 落ち着いて、よし、これでいつもの可愛い狭霧です。もう、大丈夫ですね?」
家から一応は持参していた櫛で、はねた髪を軽く整えて振り乱した髪も綺麗にし最後に頭を撫でるとやっと落ち着いた。
「こっ、これは……な、何なんだ中野先生? いや、以前の職員室でのやり取りで怪しいとは思ってたんだが……」
「山田先生も初回のこれは驚きますよね……私も病院でお見舞いに行く度にこう言うの見せられて……正直精神がやられました。彼氏欲しい……」
「おほほ、うちの狭霧は幼稚園からこんな感じでして……ぶっちゃけシン君が居ないと要介護レベルなんですの……最近は落ち着いてたんですけど……ふぅ」
それは言ってはいけない、私も好きでやっているので問題は無いが、狭霧の将来と自立を考えたらさすがにマズいと自覚はしている。ちなみに中学時代と、この間までは自分でしっかりやっていたのに、ここ数日の同居ですっかり幼少期に戻ってしまった状態だ。
「それでは、まずは話し合いと行きましょうか?」
「信矢……その、私……」
「狭霧……お二人は味方ですよ? 警戒はしなくても大丈夫」
完全に中野先生や山田先生を警戒している。先ほどの証言で自分を売ったとか考えてそうだから、まずはその誤解を正す必要が有る。本当に狭霧を売るような事をする人間ならリハビリの様子を部活終わりに見に来てくれないから。
「で、でもぉ……赤音ちゃ、先生……私の事を」
「ごめんね、タケじゃなくて狭霧……さん。普通に報告したら、ああなっちゃって……ほんと迂闊だった」
やはり正直に報告してバレた系か……この人も腹芸とか苦手そうだったから仕方ないよな。
「そして山田先生は、気付いて上に報告するしか無かったと言う所ですか? 桶川先生が食いつくのも承知で?」
「悪いな。こっちも仕事だからな……にしても、良いのか? あのまま持ち込めば竹之内の、いや狭霧さんの――――」
「あの、先生方、狭霧の事は普通に、いつも通りで大丈夫ですから」
奈央さんは分かっていたようで改めて二人と話して納得している様子だ。そして二人がいつも、あだ名や呼び捨てで呼んでいたのにも気付いていたようだ。
「では具体的に話し合いましょう。狭霧、拗ねないで下さい。まず二人は立場上、仕方なく、あのような態度を取ったのです。分かりますね?」
「そ、そりゃ私だって少しは……」
「そ・れ・に!! そもそも今回の事は狭霧が悪い!!」
「そんな……シンまでそんな事言うの!?」
そもそも考えて欲しい。怪我が悪化した原因は何か? さらには成績が悪かったのは、どうしてか? そしてここまでの事態になるまで放置していたのは? その全てに私も無関係とは言わないが、狭霧が自ら招いた結果だ。先ほどの教頭先生のお説教は正に正鵠を射ていたのだ。
「ええ、言いますよ。狭霧、まずは怪我を隠していたのは?」
「私です……」
「成績がここまで落ち込んでいたのも?」
「私の……せいです……」
「昨日こっそり私のベッドに入って来たのも?」
「間違った振りすればワンチャン有るかと思って……」
やはり、わざとか寝ぼけた振りをしていたか。自分で「寝ぼけちゃった~」とか言いながら人の部屋の鍵を開けてベッドの中に入って来たから怪しいと思っていた。
「狭霧、いつも言ってますが、そんなふしだらな事はいけません。いいですね? もう、お互い高校生なんですから」
「私の方こそ、いっつも言ってるけどシン以外には夜這いなんてしないからね!!」
「当たり前です。そんな事していたら相手はこの世に居ませんからね」
そんないつものやり取りをしていると山田先生が正気に戻って冷静に言った。
「そこで相手に行くのか……」
「当たり前です。それ以前に、どんな手を使っても止めますけどね? さて、では具体的な話し合いをお願いします。お二方」
◇
話し合いが終わり外に出ると、まだ正午過ぎ、約二時間も過ぎたが母さんは校門近くに車を停めて待っていてくれた。
「おかえり、三人とも?」
「母さん、わざわざ待っててくれて、ありがとうございます」
奈央さんが素早く助手席に座ったので車いすをトランクにしまい、私は最後に乗り込むと自宅に帰る。そして家に着いて話し合いの結果を報告した。
「なるほどね……それにしても信矢、あんた大丈夫なの?」
「さあ? 全ては狭霧次第ですので、ね?」
「うん、だからね私、明日から頑張り――――「今日から頑張りましょうね?」
その禁断のセリフは言わせない。そのセリフを吐いた人間は何年経っても成長しないのは世の真理と言っても過言では無い。
「で、でもぉ……」
「今日からは甘やかさないで勉強もしますよ? 夏休みもあと一週間切りましたからね。宿題も少しづつ終わらせてるから大丈夫ですが……」
「そ、そのぉ……信矢、実は、ですね……数学は手つかずでして……あはは」
この子は……少しオシオキが必要なようだ。昔はこれをしなかったから狭霧は増長したし、暴走もした。なら厳しくしつける必要も有る。それにこれから一ヵ月は勉強させるから、練習にはちょうどいい。
「狭霧、今夜は寝かせませんよ?」
「わ~、私、胸が今からドキドキしてきたよ……シン……や、優しくしてね?」
「ええ、優しく朝までずっと勉強に付き合いますからね?」
「や、やっぱりぃ~!!」
松葉杖を探して逃げようとすると既に奈央さんが松葉杖を取り上げて俺の部屋に持って行ってしまった。
「さあ、狭霧、逃がしませんよ?」
「いつもなら嬉しくて悲鳴上げちゃうのに……今日は出荷される気分だよぉ」
いつものように狭霧を両腕に抱っこした状態で逃がさないように二階の部屋に戻る私たちの背中に母さんが声をかけてくる。鍋で何かを作っているようだ。
「はぁ、今日は狭霧ちゃんの好きなロールキャベツにしてあげるから……そうね十八時くらいまでには切り上げなさい?」
「へっ!? シンママ!? あと五時間も、そんなぁ……」
昼を食べたら体を動かしたくてウズウズしていた狭霧を落ち着かせるのは大変だ。それに好きな女の子と密室にいるのは男の方も決して簡単では無いのだ。鋼のメンタルが要求される。
「我が家も高校中退のお嫁さんは困るからね? せめて高校くらいはキチンと出てもらわないとね? だから、頑張ってね狭霧ちゃん?」
「ううっ……頑張りますぅ~」
そして私は心を鬼にして夏休みの宿題を消化させるのに必死になった。半泣きになる狭霧は時に泣き落とし、時に甘え、そして色仕掛けなどをして来たが……。
「おらっ!! 狭霧いい加減にしろよ!! メガネは甘いが俺はそうはいかねえぞ!!」
「えっと、こっちのシンは厳しいけど……泣き落としなら……」
「堂々と人前で言ってんじゃねえ!! あと五問、それ終わったら下からアイス取って来てやる!! だから早く解け!!」
今の状況は数学と化学以外は宿題を終わらせた感じで得意な文系科目と英語を泣きながら終わらせた状態だ。そろそろ休憩も入れたいと思っていたしちょうど良いと思っていたら狭霧が近寄ってくる。なんだ? また悪さ考えてるのか?
「ううっ……分かったよぉ……あと寒いよぉ……」
「ああ、分かった。少し待ってろ」
クーラーの温度も26℃から27℃に上げておく、少し待ってろと言って下に降りて狭霧用のブランケットと飲み物を持って上に戻る。
「ほれ、これだろ?」
「うん。やっぱりこれだよね~寒いぃ~」
なぜか昔から家に来るといつもこのブランケットにくるまっている事が多く、家に泊まった初日にも無いと言われ探したら客間の押し入れに有ったので、それ以来ずっと使っている状態だ。
「でも窓は開けちゃダメなんだろ?」
「うん!! だって熱風が入るし」
「はいはい。分かった……んじゃあ、少し休んだら続きな?」
その後はアイスティー飲みながら何とか今日の目安分までは宿題を終わらせる事には成功した。すっかり頭から湯気を出している狭霧を運んで、そんな日々を過ごしていると夏休みは、あっという間に八月三十一日、つまり最終日を迎えていた。
◇
「ね? 信矢!! 今日は一日お休みでしょ!?」
「ええ、そうです。昨日は頑張りましたからね」
昨日までに何とか宿題を終わらせ今日は最終日、リハビリも今日だけは休みで明日は始業式後に再開だ。
「そう言えば松葉杖はまだ使うのですか?」
「先生の話だと始業式まではって話だったんだけど……私が少し不安で……」
「そうですか、家では掴まりながらは歩いているので大丈夫かと思ったのですが」
「うん。だけど外は少し怖い……かな? それに明日は一度家に帰るから」
さすがに夏休み後は一度は戻る事が決まっていた。明日の朝は一緒に登校するが、問題は二日以降だ。母さんはこのまま居ても良いと言ったが狭霧もさすがに悪いと言い奈央さんも一度戻って欲しいと言っていたので明日は送る予定だ。
「しかし今日は一日好きにして良いんですよ? 中間対策は明日以降ですからね?」
「うん。勉強なんだけど……やっぱり、去年どころか中学の範囲も不安で」
それを聞いた瞬間に私は驚いていた。狭霧が勉強しようと前向きになっているだと、小学生の頃の自由研究は逃げ出し宿題も促さなければ最後まで手を付けずに最終日に泣きながらやっていた狭霧が……自分で……。
「ま、まさか……狭霧が自分から勉強を!?」
「あ、ち、違くて……いや、そう、なんだけど……その、中学のどの範囲勉強すれば良いとか聞きたいな、って思って。私も学院辞めたくないから」
「分かりました。では今日はネットから簡単な範囲と例題をザックリやりましょう」
そう言って私は二階の自室からノートPCを持って来て学習塾のサイトを見せながら説明していく。頷いて近付く彼女は無防備、昔からの距離でもドギマギした。そして夏休み最後の日は過ぎて行く。
◇
夕食後、庭先のベランダに私と狭霧は座りながら棒アイスを食べていた。外は暗くなりながらも、セミは夏はまだまだこれからだと言わんばかりに鳴いていた。しかし同時にコオロギなども鳴いていて庭先にはセミの死体も有った。
「夏も終わり……ですね」
「でも、まだ暑いよ~」
そのセミの骸を見て今更ながら狭霧が、あの事故で、もし、このセミのように動かなくなってしまっていたら、二度と取り返しがつかなくなっていたらと、恐怖が襲って来た。
「どうしたの? 信矢?」
「な、何でも有りません……」
君がもし事故で死んでいたら、と今さら恐怖を感じてたなんて言い出せるはずも無く歯切れの悪い返答しか出来なかった。だけど狭霧はそれだけで何かを察したようで薄く笑って横目で見て来る。
「んっ、そっか……この十日間さ……本当に楽しかったよ。昔に戻れたみたいで……本当に……」
「私もです。ただ、紛い者で申し訳ありませんがね?」
最近は不思議と調子が良い。ES276の服用はしていないし、頭痛は消え始めていた。やはり第二の彼が負担を軽減してくれているのだろう。そんな事を思いながら私はついつい口に出す。第一の彼の代わりだと言う負い目を思い出す。
「ううん。頼もしかったし、優しかったよ。もう一人のあっちの信矢も……私さ、最低な事、考えちゃったんだ……」
「何を?」
「まるでさ、どっちも本当のシンみたいで……どっちも好きになりそうで、最低だよね……取り戻すなんて言ってて、私さ……今が楽しいだなんて思ったんだよ」
本当に君は……肝心な時は凄い真面目になる。普段は一番楽な道を選ぶ癖に、こう言う時は必ず本質を見て一番難しい答えを選んでしまう。
「これじゃ、三股女だよ……ほんと、最低だよ……」
「何を言ってるんですか? 私はそのために生み出されたんですよ? 狭霧を傷付けるのは本意では有りませんが……最低だなんて思いません。これは三人供思っています。むしろ、こんな決断をあなたに課しているのは私達の落ち度です」
「ありがと……やっぱりズルいなぁ……今の信矢は大人っぽくて紳士的でドキドキする、怒りっぽい方は何だかんだで甘やかしてくれる。本当のシンは、肝心な時に居ないのに、出て来たら必ず優しくしてくれて――――」
そうして何かを言った瞬間に空に大きな、ドーンと言う音が鳴り、空が一瞬キラキラ輝いた。打ち上げ花火だ。実は空見澤にはとある大型遊園地が有って、そこでは夏の間、短い時間だけ夜に打ち上げ花火が上がるのだ。
「こうして並んで見るのは久しぶりだね……さぁーちゃん?」
「そうだね。あっ、こっちの家だと少し見辛いんだ……でも、私の家からだともっと見やすくて…………え? シン!?」
第三とそれと第二にも無理やり出されてボクはメガネを外していた。ボクだって出たかったけど、二人と違ってボクは弱い。もうボクが狭霧の傍に居る資格なんて無い。それでも二人は喜ぶから出ろと言って聞かなかった。
「第三が、外装がボクも出ろってさ……アハハ。ごめん」
狭霧が、さぁーちゃんが会いたがってる。勉強も頑張ったんだから出ろと言われてボクは仕方なく出た。いや嘘だ。会いたかったのはボクも一緒だった。
「シン、私……さ。頑張るから……だからさ、他の二人もだけどシンも少しづつ出てみようよ? ね?」
「で、でもボクじゃ、さぁーちゃんを守れない……二人に頼らないと、ならボクなんて居ない方が……」
そう、ボクはかつて変わろうと頑張った。だけど変われなかった。だから別な人間に護ってもらいたいと彼女を、狭霧を守って欲しいと、あの日ドクターさんに頼んだんだ。そんな逃げ出したボクが今さらと思う。
「私が、私のワガママを聞いて、お願い……シン。私にもう一回だけ、私を信じてもらえるように頑張る……チャンスを下さい……お願いだよシン」
ボクは頷くしかなかった。さぁーちゃんが変わろうとしているのに、こんなボクをまだ求めてくれるのが嬉しかった。それに今は彼女が学院に残れるかどうかの瀬戸際だ。だから、この騒動が終わるまでは……ボクも応援したいと思う。
「うん。ボクも、頑張るよ……」
ボクが喋るタイミングでまた花火が上がる。そしてボクは今度こそ……宣言した。そしてこの宣言がどう言う意味を持つか、この時のボクはまだ理解してなかった。
◇
翌朝は早かった。二学期の始まりの日、珍しく狭霧は俺のベッドに入って来なかった。少しは落ち着いたかと思って部屋をノックすると制服に着替え終わった狭霧が居て、松葉杖で立とうとしていた。そのまま今日は自分で降りると階段も一人で降りていくのを俺は後ろから見守る。
「ふぅ、ごちそうさまでした!!」
「ごっそさん、じゃあ言って来る母さん」
俺達は二人でほぼ同時に朝飯を食い終わると用意していたカバンを確認する。狭霧の教材は一部を除いてスポーツ科と同じだ。だからそれだけを受け取る予定だ。
「忘れもんはねえな?」
「う、うん……な、なんか転校生の気分だよ!!」
「だろうな、ま、心配すんな転校先に幼馴染がいたってベタな展開付きだからな」
話し合いでは事前に狭霧は俺のクラス、しかも席は足の怪我を考慮して変えてもらう事が決まっている。
「なんかズルしてるみたいだよ~」
「ま、そんな自覚有るならしっかり頑張って行くぞ? 気に食わねえが第一もやる気だしな……」
そして俺達が玄関に出た所で俺達は母さんに引き留められる。母さんが出て来て昼はどうするかと聞かれて、俺達は戻って俺の家で済ませてから狭霧を送ると言って庭からチャリを出す。
「二人乗りは久しぶりだからな……ま、実際はお前しか乗らないけどな?」
「二人乗りはダメだよシン……じゃあ、えっとシンママじゃなくてお義母さま!!」
つまり俺は乗らないでチャリを引っ張るだけで、後ろの荷台にクッションを乗せて狭霧を座らせて連れて行く。自転車通学は駐輪場の関係から許可制なので事前に話し合いで許可も貰っていた。
「はいはい、二人とも気を付けてね?」
「わぁ~ってるよ!!」
「「いってきま~す」」
さて、二学期の始まりだ。俺にとっても、狭霧にとっても勝負の二学期だ。狭霧は学院に残るために、俺はそんな狭霧を守るために……。その一歩を踏み出した。
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