第73話「非常な宣告と爆発10秒前」
◇
それは突然だった。狭霧が我が家に来て五日、奈央さんが出張後も忙しいのでは? と母さんが言って結局の所、狭霧は夏休み中、我が家に泊まる事になっていたのだが、その狭霧のスマホに顧問の中野先生から呼び出しが入る。
「なんだろ赤音ちゃん? 大事な話し合いが有るから制服で来て欲しいって、車いすだから付き添いはお母さん以外にもう一人来ても良いんだって?」
「奈央さんに連絡は? と、言ってる傍からアプリに通知が……どうやらもう呼ばれているようですね。行きましょう」
学校の呼び出しにしては遅い、そもそも退院してからも我が家に訪問したのは中野先生だけで、まだ怪我も治っていない狭霧を呼び出すのはおかしい、話が有るのであれば向こうから出向くのが筋では無いのだろうか?
「狭霧、少し暑いですが大丈夫ですか?」
「うん。それにもう病院ではリハビリで立ってるんだし、余裕だよ」
そんな会話をしながら私は狭霧の車いすを押して校門の前に立った。ここまで車で送ってくれた母さんに礼を言うと私達は校舎に入る。職員室に入ると横の会議室に通され、入室すると既に奈央さんが座っていた。
見ると学年主任と中野先生、それに他にも山田先生と以前、狭霧を引き合いに出していた特進の教師の桶川と奥には教頭も居る。さて、ただの怪我の話じゃないのは確実だな。
「さて、まずは、この度はお怪我の事、引率の際に目を離したこちらの対応も含め、誠に申し訳ありませんでした。竹之内さん」
「いえいえ、トラックの暴走事故で向こうの運転手も捕まったなら問題有りませんわ」
「そう言って頂けると幸いです」
こんな無難な話から始まった。その後も教員が一人一人立ち、お見舞いの言葉や、簡単な挨拶で始まったのだが明らかに不自然である。こんな事でわざわざ呼び出されるなんて意味不明だ。
「それで……なんですがね……竹之内さん」
「はぁ、何でしょうか?」
奈央さんも何か不審に思っている。用件を話して欲しい教頭よ、何が狙いだ?
「言い辛いのですがね……そのぉ……竹之内さん、狭霧さんにはスポーツ科を辞めて頂きたいのですよ」
「え? どう言う事なのでしょうか?」
「それは、ですね……山田先生、あと中野先生も説明をして下さい」
そう言うと剣道部顧問で運動部の統括の山田先生と顧問の中野先生が立ち上がり説明を始めた。どうやら本題はここからのようだ。狭霧は茫然としていて困惑した顔のまま私の手を力いっぱい握っていた。
◇
「今回の事故の事、何と言って良いのか、まずは運動部の統括としても、中野先生の指導教員としてもお詫び申し上げます。そして先ほどの教頭先生の話なのですが、入学要綱のこの部分をご覧下さい」
そこには信じられない事が書かれていた。事細かく難しく書かれてはいるが要約すると内容はこうだった、怪我をして再起不能になった生徒はスポーツ科から普通科に転科してもらうと言う内容だった。
「この子の怪我は再起不能では有りません!! ちゃんと医師の診断書では!!」
「前十字靭帯損傷・断裂はリハビリで治ると言われていますが、リハビリの期間は短くて半年以上、長ければ一年を越えます。そして中には再起不能のアスリートも出た事も有る怪我です。つまり……彼女は大会前に完治しなければ、そもそも部の戦力にならないと言う事です」
それは俺も調べたのだが、リハビリ期間は人によってバラバラで半年で治る人もいればリハビリに年単位もかかる人間もいると言う。ただ日常生活に戻るだけなら数ヵ月もかからないとも聞いたし歩くだけならすぐだと言う話だった。
「ですが、先生の話では三ヶ月や半年で治る場合も有ると」
「非常に、言い辛いのですが、可能性の話で特待生の権限を与え続ける程、当学院側も枠に限りがございませんので……。ご理解下さいますと……幸いです」
なるほど、つまり学院側は最悪の事態を想定して動いていると言うわけか……。だが悪意が有り過ぎる。それは山田先生や中野先生の表情からも苦渋の決断をしているのが分かる。反対に桶川や教頭は、にこやかな笑みを浮かべていて学年主任は、アタフタしている。
「そう、なんですか……でも」
「言い辛いのですが、今の狭霧さんではスポーツ科も特待生も資格が喪失しているとお考え下さい」
「そんな……だって、私」
そう言って狭霧が喋りだそうとする前に桶川が立ち上がってパンパンと手を叩き、私を含めた全員が注目する。
「いえね、我々としても。本来は優秀な素晴らしいスポーツ科の生徒をこんなに無理やり辞めさせる事は致しません。ただし書きにも悪意または悪質でない場合は、数ヵ月の猶予を与え判断するとなっていますがねぇ」
「じゃ、じゃあ、私、だって悪い事なんて……」
「ええ、そうでしょうね。頭の弱い竹之内さんなら理解出来ないでしょうね? ですが貴方は悪意ある行動をしていると中野先生から報告を受けていますよ? ねえ?」
「え? 赤音……ちゃん?」
信じられないものを見る目で中野先生を見ると中野先生も声を絞り出して震える声で話し出した。
「は、い……竹之内さんは足の……怪我の事を認識しながら半年以上の間、黙っていました。本人も……医師の前で、そう話して……ました」
中野先生が悔しそうに話している時に気付いてしまった。そう言う事か……俺は理解した。悪意とは……。
「悪意、知っていたのに話さなかった……この書類の悪意とは通常の意味と同時に法的な意味での悪意でも有るのか……」
「素晴らしい!! さすがは秀才、いや天才の春日井くん!! 法律の簡単な知識も有るようだねぇ!! その通り、悪意とは知っているか知らないか、それを隠していたかどうかを聞いているのです。竹之内さん、あなたは怪我を自覚していた!! それは立派な悪意なんですよ? さらに隠していたのなら、ねえ?」
「中野先生から報告を聞いて……この条項には当たらないと、そう考えました」
トドメの山田先生の一言で理解した。これは既に確定した事なのだと言う事だ。横の狭霧は顔を真っ青にして震えている。
◇
「しかし、それは――――」
「規則ですので……」
奈央さんも食い下がるが状況は既に明らかだ。俺は急いで脳内で計算を始めるが桶川は更に追い打ちをかけて来る。
「そこで、なのですが竹之内さん。狭霧さんの自主退学をお勧めしますよ~?」
「ど、どう言う意味でしょうか? 普通科に転科なのでは?」
退学? なんで話が飛躍したんだ? いくら特進のしかもそれなりに力のある教師でも生徒一人を簡単に退学には出来ないはずだ。
「ええ、ここに竹之内さんの一年生の頃から成績表のコピーがございます。春日井くんは生徒なので本来は見せられないのですが、どうしましょうか?」
「構いません。彼なら問題有りません」
「ええ、私も同意致しますよ」
そこで狭霧は青い顔が今度は真っ赤になっていた。見るとそれは意外と普通の一言で、成績表はオール3と体育が5で現代国語だけは4だった。しかしオール3の部分には印鑑で『特』と押されていた。
「これの意味を一応説明しますとスポーツ科のしかも特待生だからの特別です。ちなみにこの『特』が無い場合は狭霧さんの成績はオール1です」
「えっ、狭霧、あなた……」
「だって、部活に全力で打ち込んでて……それ、で……」
狭霧はバスケに全てとは言わないが大部分を割いていた。私との、正確には第二人格の『俺』との中学時代での約束を守るために、昔から目の前のことに精一杯に頑張って突破して来た子だった。だから勉強は二の次だったのだろう。でも酷過ぎるけどな?
「ズバリ言いましょう!! 竹之内さん、お嬢さんの成績では当学院の普通科でも学力レベルでは満たしていません。素直に自主退学し転校の措置を取られる方が賢明ですよ? その手続きとあなたに相応しい学力の高校を紹介します」
「えっ、じゃ、じゃあ私シンと別の学校に?」
「それはそうでしょう!! 彼は優秀な学年一位の天才、対してあなたは才能を失った劣等生、一緒に居るべきでは無いのですからねえ!!」
「桶川先生!! 今の発言は問題が有ると思うんだが!?」
山田先生が即座に言うが桶川は飄々とした態度を崩さずに口を開いていた。しかも俺の方を見て言う。
「おっと失礼、つい口が滑ってしまいましたよ。文武両道を習わしとする我が校の事を思って、つい、分かりますよね? 春日井くん?」
コイツ、私が以前言った事を……どうやら未だに根に持っていたらしいな。
「そうですね……」
「シン……」
「大丈夫ですよ竹之内さん、あなたに相応しい高校は私が見繕います。夏休みも残り数日、さっさと決めて転校の手続きを済ませましょう」
「えっ? え……でも」
狭霧は泣き出しそうな目で俺を見て来る。ああ、大丈夫。奈央さんが話している間に要綱を読み始めている。あと数分で全部が読み込める。
「さあ、早く!! 時間が無いとそれだけ!!」
「少し考える時間を……」
奈央さんがなおもの食い下がるが桶川は意に介さないのか適当な相槌を打っている。そして俺は一通り読み込んだ要綱を見て納得した。なるほど、よく分かった。確かに正論だ。否、正論に見える。
「狭霧……学院に残りたいですか?」
「ふぇ? シン?」
「どうですか?」
だけどこの正論を打ち砕くには何よりも狭霧の協力が必要だ。いや、狭霧自身の努力が必要不可欠だ。
「私、シンと一緒に……居たいよぉ……」
「そのためなら頑張れますか?」
「う、うん!! 頑張るよ。私!!」
目に涙を貯めながら私を見る彼女を見て、その言葉を聞いて私の決意は決まった。他の二人も同意してくれた。ならば私のやる事は一つだ。狭霧を守る。この決意は、もう誰にも止められない。
「ええ、では桶川先生の素晴らしい提案を、ここで完全に論破してご覧に入れましょう!!」
「「「「なっ!?」」」」
教職員の三人も奈央さんも驚きの声と表情を俺に向けている。だから俺はニヤリと笑ってメガネを取った。既に人格変更は終わっている。理論が奴なら俺のやる事はハッタリと出たとこ勝負だ。既に奴のアイディアは俺達の中で共有されている、ならばアドリブ力が一番長けている俺が出なければいけないだろ? 狭霧のためならメガネとも協力するさ。
「シン?」(人格が変わってる?)
「まぁ、あれだわ……色々言いてえ事あんだけよ……」
「な、何かね? 春日井くん? どうしたのかね?」
俺はこの場の全員をガンつけておく。雰囲気作りは大事だからな。そしてさらに笑みを深くする。演技だ、どこまでも相手を不安にさせる強者の雰囲気、アニキも言っていた喧嘩するならまずは飲まれないで、相手を雰囲気で飲んで逆に威圧してやれ、そうすれば、まずは一勝だと……。後は……言いたい事を言って一発かましてやれ。
「俺の狭霧泣かせたんだ。テメーら全員、覚悟しろよ?」
さあ、喧嘩の始まりだ。好きな女守るための喧嘩なら、じゃんじゃんやっても良いんすよね? アニキ……。だから俺は狭霧を守るために今から大人と喧嘩しますよ。俺は立ち上がると横の狭霧の頭の上にポンと手を置いて見つめる。
「シ、シン?」
「任せな……今度こそ俺達が守ってやる!!」
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